世界平和第二部082話 秋の伊勢研修1 前倒しで癒される
で伊勢神宮の清掃研修の申込をしたことを書きました。
その後、令和元年(二〇一九年)の秋に、一泊二日の
伊勢神宮の外宮の古殿地の清掃奉仕の研修に参加しました。
参加申込してから研修日が近づくにつれて、家の掃除に手間がかかるようになりました。
家のあちこちで、普段目にしない細かい隅っこに目をやっては、
「うわ、カビかけている!」とか
「あぁ、こんなに埃がたまっている!」などと
みつけては、必死で掃除する日々でした。
それだけではなく、体の細胞に記憶している過去のネガティブな記憶も浮上してきました。
それは研修の1週間前のことです。
たまたま腰に違和感があり、夕食後主人にマッサージを頼みました。
ひきつれているような感覚がある、膝の裏から太ももの裏にかけての筋肉をほぐしてくれるように頼みました。
主人は片手でスマホを見ながら、空いている手で、膝の裏に触れてくれました。
主人はスマホに夢中になりながら、の、適当な片手間のマッサージだったにもかかわらず、膝の裏にふれられたら、そこから全身の津々浦々までの神経に伝わり、ぴぴぴと電気信号が伝わりました。
主人の手は、全然力をくわえていないにも関わらず、
的確に「ツボ」をとらえており、
私の身体の奥に刻まれている「痛み」の記憶につながりました。
ある程度してもらってから、
主人の手を膝の裏から太ももの裏側に動かして
「こっちをお願い」と言うと、
その手は太ももの裏側から、太もも深部の筋肉のひきつれにつながりました。
太ももは、私が早産で生まれた時、未熟児だったために、
毎日、注射を打たれたところです。
左右の足に、一日交代で注射を打たれました。
そのショックで、双子の姉は足が弱くなり、私も足は少し弱いです。
足はまだ大丈夫ですが、その分、耳にきていて難聴なのかもしれません。
その時期の医学の処置としてはそうするしかなかったようです。
ふとももの裏側の深部の筋肉のひきつれがよびさまされ、
そこから骨盤の骨に伝わり、
骨盤の骨がぎしぎし言いました。
ふれられていることで、痛いという感覚は全然ないのです。
でも、息が荒くなり、あえぐように呼吸しました。
「自分が存在するだけで苦しい。」
「生きていることが、苦しい。」
未熟児で生まれた時の太股への注射の記憶が、無意識に自分を苛んでいました。
「わたしは存在してはいけないのか。」
「わたしはこのままでは、到底生き続けられないだろう。」
「こんなに苦しいのは、わたしがなにか、悪いことをしたのだろうか。」
「苦しい。からだじゅうの骨がぎしぎしする。」
「あぁ、何をしても、救われることはない。」
と、子供のころから、無意識に諦めに近い絶望を感じていたのは
それが原因だったのだ・・・
とわかりました。
そのつらい記憶を主人がほぐしてくれたのだと思います。
ものすごくりきんで、汗と涙を流して、耐えました。
ほぐしてもらってる間、頭も全身も、痛くないけど歯をかみしめるほど苦しかったです。
主人の手は全然力を入れていないし、それどころかスマホに夢中になっている状態での、片手間のマッサージだったにもかかわらず、
私の人生における、根源的な痛みにふれて、幾分か、解放してくれました。
これだけの深いテーマであれば、よほど信頼した人でなければ、ふれることは許さないし、とても繊細にふれる必要があります。
その時が、解放するタイミングだっただろうし、それも触れる人は、主人でなければならなかっただろうな、と思います。
私のバーストラウマの解放は、伊勢神宮の外宮の古殿地の清掃奉仕をする前に、前倒しで、いただいた恩寵なのではないかと思いました。
研修の日がやってきました。
つづく