Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部081話 秀吉7 終わらない戦いを終わらせる

ここで私は思いました。

 

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瑞泉寺の中の張り紙

お墓の所で、秀次さんが

「おじの秀吉のことを恨んでない」

というようなことを言うのを聞きましたが、

 

太閤秀吉が、日本の政治の中心にいた「関白」の秀次を切腹させ、

三条河原でさらし首にしたこと、

そして

罪のない秀次の家族をほぼ全員処刑して、

乱暴に大きな穴に次々に放り込んでしまったこと、

 

それは重要な問題です。

 

その時の秀吉は、気が狂わんばかりに

本気で『甥』の秀次よりも『我が子』に継がせたかった

のかもしれませんが、

 

秀次を亡き者にしてまで、愛妾「淀君」の生んだ子供が

小さいうちに自分の跡継ぎに決めてしまったこと…。

 

いくら戦国の時代だと言っても、

公私混同にも、ほどがある!と思います。

 

(この当時、「公」と「私」を区別する

概念はなかったかもしれませんが)

 

その一件により、戦国武将の何人かは、

 

「秀吉側についていると、いつ何時どんなことで処刑されるやわからん」

と考えて、それよりは徳川家康についておこうと思わせたこと、

 

秀吉の本当の身内がいなくなったので豊臣家が弱体化したこと、

 

このことで関ヶ原の戦いが起こる一因になったと言われています。

 

 

77話に書いたように、

やはり秀吉は「陰」の役割を引き受け

秀吉は反面教師になったのではないでしょうか?

 

日本を統一したら、

「その後も君臨し続けるため」には、どうするか?

ということについて、

 

秀吉のようにしてはいけない、ということ

 

それならば、どうやって統一して安泰にするか? という事を、

家康は非常に考えたのではないでしょうか。

 

 

家康の作り出した「平和、安泰」は、

まず「戦国の世」を終わらせることでした。

 

戦いを生み出す余裕がない位、有力大名を疲弊させ

徳川の力を見せつけることでした。

 

秀吉の作り出した日本統一は、

自分の力を誇示して見せつけたいだけであり、

戦いを次々にみつけて、朝鮮にまで出兵させました。

 

戦いの中で自分の地位をあげていき、

太閤になっても戦いを終わらせることができませんでした。

 

「戦いがいつまでたっても終わらない・・・」

 

日本全体として、

その苦しみは大変なものだったのではないかと思います。

(これを書いていて涙が出てたまりません)

 

戦いに関わる全ての人が苦しかったと思います。

 

位の高い武将も、足軽も、農民も商人も、

いつ戦いに巻き込まれるかわからない。

 

自分が大事にしている家族も家も、

いつなんどき失われるかもしれない、

と考えるのは恐怖ではないかと思います。

 

だから、徳川幕府が出てきて、国家統一してくると、

悔しい人もいたかもしれませんが、

同時に、

「もう戦わなくてもいい」ということで、

ほっとした人も多いのではないかと思います。

 

 つづく