2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧
ツアーの皆さんと一緒に上御霊神社の境内に入りました。 すると目にとまったのが、 「応仁の乱が勃発するきっかけになった御霊合戦というのが御霊の森で始まりました」 という説明書きと石碑でした。 応仁の乱が始まった、御霊の森 「応仁の乱~! そういえ…
下御霊神社にお参りした日から一週間たった、ある日、 私は一人で京都市内の観光ツアーに参加しました。 ツアーテーマは、まったく興味がない「幕末」の分野でした。 ふつうだったら参加するはずはないのです。 しかも、誰か友達と一緒にではなく「ひとりで…
下御霊神社にお参りして帰る時、夕立があり、 ベランダに干していた洗濯物が全部濡れてしまいました。 洗濯し直している時に、頭の中を整理しました。 その時、眠くなり、横になりました。 横たわりながら、下御霊神社にお参りした時に 「たたっていない」と…
綺麗な虹をみながら、洗濯物を干し終わりました。それから落ち着いて、物事を整理してみました。 早良親王は、長岡京造営の中心人物の暗殺事件に関わっていない 無実だと主張して、絶食したのだから、恨んでいる訳ではないだろう どっちかというと、わかって…
下御霊神社をおいとまし、 寺町通を通って地下鉄の駅まで行くことにしました。 歩いていると、だんだん進行方向の 南の空が怪しい雲行きになってきました。 その雲を見ているとあることを思い出しました。 そういえば私は子供の頃NHKで「南総里見八犬伝」…
しばらく行くと下御霊神社がありました。 「御霊八所の神を祀り疫病災厄から朝廷と都民を守護する神社」と書いてありました。 鳥居の所でお辞儀をして、それから入ろうとしたら入れませんでした。 「あー、形だけのお辞儀ではダメなんだ」と分かりました。 …
桓武天皇柏原陵にお参りしてから三カ月間、早良親王の事は保留になっていました。 (早良親王というのは、桓武天皇の弟さんで兄桓武天皇の邪魔をしたと疑われた方です) その間に、三輪山に登ったり、出雲大神宮にお参りしたり、大物主命や大国主命について…
元号が令和になってからしばらくした頃、 桓武天皇・柏原陵 (かんむてんのう・かしわばら の みささぎ) というのが京都の伏見桃山のあたりにあり、 そこに時々お参りをする、という友人がいて、 SNSに記事をアップしていました。 (正式名は「桓武天皇…
昨年(平成30年・二〇一八年)、 西日本に地震、台風をはじめとする天災が 山のように次々起こっていた頃、 私は図書館で一冊の本と出会いました。 『神社の系譜~なぜ神社がそこにあるか』 (宮元健次著・光文社新書)です。 (この本については『世界平和…