世界平和第二部083話 秋の伊勢研修2 罪悪感
伊勢神宮の清掃研修の当日は、「御垣内参拝」も研修の中に含まれるため、主人と二人、礼服で出発しました。
また、清掃奉仕は靴も含めて白の上下の服で参加することになっているため、白いスニーカーと白い運動着の上下を荷物に入れていく必要がありました。それゆえ、大荷物で出発しました。
その日は朝から喉がイガイガしていました。
伊勢に近づくにつれて、私の喉元からなにやら「罪悪感」のかたまりのような思いがしてきたので、自分で喉元に手をあてて、ヒーリングしていました。
「罪悪感」のかたまりは、「自分なんか迷惑をかけるだけの存在だから生きていても仕方がない」だとか「神様のお社になど、行くだけの値打ちもない人間だ」とか言い出す始末。
どちらかというと「錯乱している」に近い状態でした。
「罪悪感」は物の道理もなにもなく、やたら激しく「自己消滅」に向かっていました。
わたしはそれに向かって話しかけました。
「一体、何がどうしたの?
誰もあなたから迷惑かけられていないわ。
あなたは、誰にも迷惑かけてなんか、ないんだから、安心なさい。」
なだめすかして、声をかけました。
まったく意味不明でした。
罪悪感で暴走していました。
ヒーリングに集中していて、降りる伊勢市駅に電車が到着した時、すぐに気がつきませんでした。
「あぁ、伊勢市駅だ!」と気づいて、荷物を両手につかんで、ころがるように電車からホームに降りました。
普段はこんな風に大慌てで「ぎりぎりセーフ」になることはありません。
しかし、なぜか、スピリチュアル関係で遠出すると、こんな風に「ぎりぎりセーフ」となることがあります。
伊勢市駅に到着して、バスに乗る前に、駅の近くの食堂でお昼ご飯を食べることにしました。
この時も「軽い錯乱状態」をひきずっていて、食堂の入り口を見ても、私の頭の中で、こんなことを考えているのです。
「あ、こんな簡単に、この入り口から入ってはいけない。
どこか回り道をして、それからようやくたどり着くのでなければならない。
こんなにたやすく、お昼ご飯にありつけては申し訳ない。」
などと考えているのです。
そして、食堂の前を通り過ぎて、うろうろしようとしました。
その時に主人が「おい、ここから入ったらいいじゃないか?」と声をかけなかったら、どうなっていたでしょう?
「ちょっとおかしいんじゃないか?」
と言われて、私は自分でも、普段の自分の感覚ではないことに気づきました。
伊勢神宮の外宮の古殿地を清掃奉仕させてもらえる、というのは、光栄なことと思っていましたが、同時に「こんな私が掃除させてもらっていいのか」と極端に恐縮しきっている感覚がありました。
伊勢市の地元の人が行くような庶民的な食堂で、ソウルフード的な伊勢うどん(おかげ横丁でいただく伊勢うどんとは違って、パンチがありました)と鶏丼を食べながら、
「罪悪感のかたまり」の意識と、ふだんの自分の意識の二つを同時に感じていました。
清掃奉仕まぢかなので、潜在意識の奥にある「こんな私なんて」という「しみったれた感覚」がわいてきたのかもしれないな、と思いました。
食べ終わってからバス停にいくと、ほどなくバスがきました。
スマホで調べると研修会場には15分で到着する、と出ていましたが、実際は35分かかりました。
日曜日で道路が混んでいたのかもしれません。
たまたまですが、天皇陛下の「即位の礼 正殿の儀」があり、その直後の日曜だったから、伊勢神宮にお参りする人が多かったと思います。
この日、朝から余裕をもたせて移動しているのに、すべて余らせることなく、丁度の時間になったことも印象的でした。
受付と開会式を済ませると、研修ツアー全員で、伊勢神宮内宮の御正宮(ごしょうぐう)まで移動し、御垣内参拝をしました。
この日の伊勢神宮の参拝客はものすごく多かったので、宇治橋を渡り参道を歩いて正殿まで向かう途中、研修ツアーの黒の礼服グループは目立つどころか、埋没してしまうほどでした。むしろ、黒の礼服を着ていたから、「あ、あそこにうちのグループの人がいる!」となんとか目印になったくらいでした。
他の参拝客の迷惑にならないように、御正宮前の階段で左側によって行列を作りました。研修ツアーの私たちは、その行列のまま、御垣内に入り、全員で一斉に二礼二拍手一礼の参拝をしました。
今年の初夏に主人と二人で御垣内参拝をした時(45話参照)のような、
お腹の中に「ぐ!」と響くような感覚はありませんでした。
こーんな、大所帯で、一斉に拝んで(お礼を言う)というのは
心を研ぎ澄ます余裕はなく、団体行動の枠を乱さず移動するだけで
精一杯です。
なんだかなぁ・・・と、頭は考えかけていました。
しかし、その参拝のあと、御正宮の階段を降りる時、
私は、胸の中でふしぎな感覚があることに、気づきました。
続く