第五部14話 大仏の風(久しぶりの東大寺2)
「バイローチャナ」(廬舎那仏)という言葉がふってきた翌日、土曜日はよく晴れた日でした。
東大寺に行く事にしました。
奈良公園を歩いていくとそこそこの人出でした。
東大寺の南大門付近ではたくさんの鹿が「主」みたいな顔をして歩道にいました。
特に「しかせんべい」の売り場ふきんにいる鹿の目がすわっているのがちょっと怖かったです。
南大門の金剛力士の彫像は迫力がありました。
それを撮影しようとすると、どうしても太陽光線の関係で虹色の光が入ってしまい、金剛力士を撮影することはできませんでした。
大仏殿に入ると大仏様がすごい大きい!
見上げると「首が痛っ」となりそうなくらい。
それだけじゃなくて、大仏さんからの風が強くて真正面には行けない。
なんだ、この強風は。
ものすごい大きな扇風機が前にあるような。
大仏さんのむかって右端のほうに下がって、やっと身体をまっすぐにできる。
風がきつすぎて、こんな端っこに移動しないと姿勢が保てないとは。
と、ここで気づいた。
ぶおんぶぉん、と大仏さんからの強い宇宙風とでもいうようなものを身にうけながら
気づいた。
「大仏さんから風が吹く、
大仏さんからの風がきつい」と感じているのは、どうやら私だけ?
他の誰もこの風、、、感じていない?
ええええ?
ってことは私だけ?
台風のレベルじゃない位の風なんですけど…。
大仏さんからの風じゃなくて、宇宙仏からの風かな。
つまり これがゴータマさん=ブッダの悟りか。
うぬー
これだけの強い風が宇宙仏からゴータマさんに吹いていて、
ゴータマさんは宇宙仏からの強い風にあおられながら、
悟りをうながさせられたのかな。
悟りの風というのかな。
(2年前だったか、秋の頃、仁和寺の観音堂で、背面の観音像の絵をみて、誰も感知しないけど、私だけ「こんな怖いものはない」というえもしれぬ恐怖を感じ、ぶるぶる震えて汗かいた経験ありますが、その時に近い感覚です。)
大仏さんの斜め前の所で、ずっとずっと風にふかれっぱなし。
30分以上いたのではないかと思います。
ずっと風にふかれっぱなしなのも、疲れるので、大仏さんの前を横切り、角を曲がると大きな蓮の花弁に美しい仏画の毛彫図がありました。
これは数年前に東大寺に行った時、大仏さんよりこっちの蓮の方ばっかり見ていたっけ、と思い出しました。
横に立ててある説明文によると
「お釈迦様が6年の修行の末、大いなる宗教体験を得られ、無限の広がりをもつほとけになられた状態が描かれています」
と明記されていました。
「大いなる宗教体験」か。
凡人に説明できるようなレベルではないんだろうな。
言葉を越えている、
その時代の常識を超えているのだろう。
私たちはフロイトやユングのおかげで「無意識」とか「外向的、内向的」などが日常に認識されて言葉として使われるレベルに達している。
だから2500年前の古代インドで、お釈迦さんの経験は、そうそう人には語られるものではなかったのではないかと思います。
そうだ、悟ったことそのものはだれにも語っていないのではないだろうか。悟りの体験で見たり聞いたり感じたこと、そのものを伝えてもわからないのだから。
それならば、お釈迦さんが人々に語った言葉は、相手の理解の範囲に合わせてお話されたのだと思います。
そう考えると、「ブッダ」の出家してから修行していく姿を描くことはできそうだと思いました。