Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第三部036話 橿原神宮ではない?(神武天皇1)

芸術家仲間のTMさんと

仁和寺の『八十八箇所巡り』に行きましょうか」

という話が出だした頃、

 

実は同時進行でもう一つの寺社めぐりの話題が

他の友達と出ていました。

 

その友達レンさんは古い友達で、今でも

SNSを始めた頃のペンネームゆりすの名前で

呼んでくれています。

 

レンさんは飛鳥時代奈良時代や古代史に詳しく

大化の改新」や「聖徳太子」の話などを

SNSに書いておられます。

 

奈良にある神社の話題で

コメントをやり取りしているうちに

橿原神宮神武天皇が即位した」

というのではない、と

レンさんが書かれていたので、

驚きました。

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神武天皇(初代天皇



レンさんに

「え、橿原神宮神武天皇

 即位したのではない、ってことですか?」

 

と尋ねました。

 

レンさんから

「そうです。」と返事がきました。

 

なんでも、地元の人たちで、ひっそりと

お祭りしてきたのだそうです。

 

明治時代に入って、

天皇が政治をおこなうということになり、

 

国指定「何々天皇の古墳」と明記する

ようになりました。

 

その時、神武天皇畝傍山のほとりで

戦いに勝ったぞと声をあげて、

「宮殿をつくらせた」ということになって

いる「即位の地」は、はっきりとは

わかっていませんでした。



詳しくは
橿原神宮の公式サイトの歴史のページ
http://www.kashiharajingu.or.jp/about/history.html
を御覧ください。

 

明治時代に調査され、

「畑地」になっていたところに

「ここが神武天皇が即位された橿原宮」という
印のような物として、橿原神宮を建立したい

という想いが日本中にわいてきたそうです。

 

それで明治23(1890)年に
神武天皇即位の地として、
橿原神宮が建立されたそうです。

 

・・・・私はレンさんに尋ねました。

「日本政府だとか宮内庁だとかが

神武天皇即位の地を調べにきた時に

 

本当の「神武天皇即位の地」の地元の人達は

『ここがほんま即位の地じゃ』

ということを、地元の人は知っていたのに

言わなかった、ということですね?

 

それは何故ですか?」

 

レンさんが教えてくださったものを

整理して書きます。

 

「昔々から代々言い伝えられて、

みんなでひっそりとお守りしてきたのに

 

国に言ってしまうと、

広い神宮を建てる為、

 

その地域に住んでいる人達は

追い出されてしまう、

どこかへ移住させられてしまう。

 

それは嫌だ。

ずっとわしら皆で支え合って

お守りしてきたのに・・・」

 

ということで、証拠のものは全て

焼いてしまわれたのだそうです。

 

「ええーー、そうかぁ、焼いてしまわれたのは

痛々しいけれど、そうするしかなかったのだなぁ」

と 思いました。

 

本当の「即位の地」というのは・・・

 

続く

 

(折も折、別件で、

同じく明治時代に神社の祭神が

本当に祀っている神様の古文書を

焼いてしまった神社の話が入ってきたので

なんと、興味深いことだろう!

と思いました。

 

それはまた後日別シリーズで書きます。)