Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第三部035話 福王子神社(初夏の仁和寺8)

福王子神社にお参りすると
社務所の入口横に「宝船」の文字を絵にした

絵馬がぶらさがっていて、

また奥には

見事な刺繍の作品が飾られていました。

 

「ほぉ」と三人で眺めていると

宮司さんが来られました。

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福王寺神社の社殿 宝船の絵馬


宝船の絵馬は富岡鉄斎の描いた宝船を
木彫りの版画で刷ったものだそうです。

 

宝の旧文字「寶」が船の帆になり
「船」の文字が、宝物を積んだ船の図

となっています。

 

そして、宝を積んだ船が港に入ってくる

という図になっているのだそうです。

 

「それはそれは縁起がいい!」
と、私達三人ともその絵馬を買いました。

 

刺繍の作品は宮司さんの奥様が
創作されたものだそうで、
それがきっかけで福王子神社についての

お話をお伺いしました。

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福王寺神社の由来



奥様のお話ですが、

福王子神社というのは、仁和寺鎮守神社だそうです。

 

仁和寺応仁の乱で焼けてしまいました。

江戸時代家光が再建しました。

 

その時、

仁和寺創建を発心した光孝天皇の妻であり、

光孝天皇の息子の宇多天皇のお母さんにあたる

班子さんのお墓が、この福王子神社の所に

ありました。

 

そこで班子さんをおまつりし、

仁和寺鎮守神社として

家光は「福王子神社」を作ったのだそうです。

 

宮司さんの奥様は歴史に詳しく、

仁和寺を作った56代の光孝天皇、57代の宇多天皇

の家系についても話してくださいました。

 

私がほぉと思ったことを書きます。

 

光孝天皇の女御であり、

宇多天皇の母である班子皇后

50代天皇桓武天皇平安京を作った)の孫である、

ということでした。

 

また、光孝天皇は、政治的な関係で

本当は天皇になるはずはなかったそうです。

不遇な時期を過ごしておられたのですが、

55歳で天皇つくことになりました。(884年)

そういえば仁和寺のお坊さんの説明では

仁和寺光孝天皇により886年に作り始め、

887年に光孝天皇が亡くなられ、

仁和寺創建は光孝天皇の息子さんが

次の宇多天皇となって後継され、

888年(仁和4年)に建ったそうです。

その時の年号が仁和だったから、

仁和寺という名前にした、という話でした。

 

888年(仁和4年)に仁和寺が建った

というのはとても覚えやすいですね。

 

他にも歴史や社殿の彫刻についても
詳しくお話をして頂きました。

貴重なお話、とても豊かな時間を過ごしました。

 

・・・・・

話は前後しますが、

 

TMさんと仁和寺に行く話が出た頃、

実は奈良の友人レンさんから

とんでもない話を聞かされました。

 

続く