Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第三部018話空海さんと姫の恋 (眞名井5)

ここで、
いくつかのブログに書いてある、
空海さんと眞名井御前の恋物語
統合させ、
わたしなりに
空海さんと眞名井御前の恋物語
書いてみたいと思います。

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籠神社



丹波の一之宮籠神社の宮司だか
神官だかの家系の海部家(あまべけ)の姫は、
二十歳の時、淳和天皇の四番目の后として皇室に入ります。

 

このお姫様は眞名井の地から来られたので
眞名井御前と呼ばれました。

 

皇室に入ると、いじめなどがあって
眞名井御前は外へ出たいと思われたそうです。

 

眞名井御前は皇室に入る前、10歳の時から
空海さんがお寺で法要するのに参加したりして
お互いに知っていたようです。

 

眞名井御前が皇室に入ってから、
五、六年した頃、
摂津の甲山で修行を始め、
空海さんから教えを賜ります。

(皇室から出るのを助けてあげたのが空海さんだったようです。)

 

この時、眞名井御前は空海さんを尊敬し、
心より愛されたのだと思います。

 

空海さんも憎く思っていないし、愛弟子だったでしょう。

心がしっかり結ばれた二人だったのではないでしょうか。

 

眞名井御前はその後出家し、「如意尼(にょいに)」として

神呪寺(かんのうじ)を建立しました。

 

「神を呪うって、なんっちゅう名前じゃ!」

 とお思いになった方もおられるのではないでしょうか?

 

神呪とは、マントラ(お経)のことです

神呪寺は つまり

マントラ寺・お経寺とでもいうような感じですね。

 

空海さんはその神呪寺の山の桜の木で、
如意尼(眞名井御前)をモデルに
如意輪観音像」を彫られたそうです。

 

如意輪観音とは、
全ての願いを思い通りに叶えてくれる観音様だそうです。

 

その後、如意尼は三十三歳で高野山にむかって、

如意輪観音真言を唱えながら亡くなられたそうです。

 

空海さんは、その次の日に六十一歳で亡くなられたそうです。

 

えええ、一日違いで!

二人は遠く離れていても、
お互いを思い合っていたのでしょうね。



神呪寺のお堂はわずか33日で立ったらしいです。

 

空海さんが如意輪観音像を彫った時も
33日で完成したそうです。

如意尼が高野山に向かって如意輪観音真言を唱えながら

合掌して世を去ったのが、33歳。

 

「33」が鍵の数字なのね〜と思いました。

 

話が盛り上がった頃、車は籠神社の近くまできました。

続く