世界平和第二部98話(家康と秀吉3)「家康と秀吉の違いは」
五社神社諏訪神社の拝殿で手を合わせると、同時に目の前で参拝客のご祈祷が始まりました。
今までにもこういうタイミングはよくありました。
手を合わせて目を閉じると、足元がぶるぶると小刻みに震えました。
以前、仁和寺の観音堂の特別拝観の時に、描かれている観音様のところで手を合わせると、物凄く怖かったことがありました (91話参照)。
今回はそれと少し似ています。
仁和寺の時ほど、怖くはないのですが、それでも足が地面に吸い付いて動きませんでした。
意識では、怖いとは思いませんでしたが、
身体の潜在意識では怖がっていたようです。
そして「何事かをするように言われている」と思いました。
次の瞬間
「引き受けさせていただきます」と強く思い、言いました。
これは、書くことか・・・と思いました。
元城町東照宮では、秀吉と家康の二公の像のところにある説明書きには、
秀吉、家康の二人がそれぞれに
「逆境にあい、どん底の気分を味わい、とても悔しい思いをした」
ということが書いてありました。
二人はそれぞれに「どん底状態」になりながら、その後勝ち進み、出世をして二人とも日本一の天下を取りました。
しかし、日本一になった後、秀吉は狂乱し、「秀次事件」が起こりました。
甥の関白秀次とその周りの部下を多く処刑しました。
これにより、結果的には、豊臣家の力を弱めてしまいました。
一方、日本一になった家康は、徳川幕府を築き、多くの戦国武将を自分の支配下におさえて栄えました。
天下を取った後、秀吉は「秀次事件」で狂乱し、
家康は、足元がもっと固まるように手堅く動きました。
家康と秀吉の二人の、その差は一体どういうことだろうか?と思いました。
その時、私の胸の奥に「声」が響きました。
「秀吉は『自分』が天下をとりたい、それだけだろう。
私は『自分が天下をとって、この世界を平和にしたい』と思ったのだ。
戦国の世で、人の心も乱れる。
私は戦いを終わらせて、この戦国の世を平和にしたかったのだ。」
あぁ、そうか、家康さんは、戦いにつぐ戦いで、苦労された。
もう戦いは終わらせたい。そう思われたんだ。
声が再びしました。
「そうだ。そのためには、戦いを起こさせないように各地の大名に苦労をさせた。
その方がこの国がみんな栄えるのだ。
狸親父と言われても、最終的には平和になる。」
戦いの為の苦労ではなく、それぞれの領地をおさめる苦労をさせたのですね。
そうだったんだ…。
戦いに明け暮れて乱れている世の中、それを平定するのには、
一筋縄ではいかなかったことでしょう。
どれだけのことを視野に入れる必要があるのだろう。
自分の治める領地と相手の領地だけでなく、日本全体の国土のおおよその様子、各地でとれるものなど、把握しておくだけでなく、多くの人員の心をつかみ、腹の底まで見据えていなければなりません。
同時に海外の動向も視野に入れておかねばなりません。
心も頭の思考も相当に器が大きくなければいけません。
共に動く人々との縁も、恵まれている必要があります。
そう考えると、徳川家康という人は相当の器の人物であったと感じます。
せいぜい自分と自分の家族のことしか考えないようでは、人の上に立てないのですね。
「身内の安全、家内安全」だけでなく、「世界の安全、平和」まで考えに入れられる人というのは、本当に器が大きい人物なのだと思います。
しかし、その基本は自分の心の平和です。
秀吉は自分の心が平和ではなかったのでしょうね。
だから老齢においても、自分の甥に政治を任せて隠退するということができなかったのですね。
最後の最後まで自分のものにしてしまいたい、という欲がでてしまったのでしょう。
翌日は浜松から名古屋へ移動しました。
MKさんと私が名古屋で訪れたのは…。
続く