第二部97話(家康と秀吉2)「少年時代の秀吉」
家康と秀吉の二公の像が拝殿の横にありました。
(参考サイト→文末に書いています)
出世した二公にあやかるために、その二つの像の間に立って
写真を撮るのにいいですよ、という風にこしらえてありました。
家康公の像は、まだ若い頃で、浜松城を築いた、無名時代だそうです。
武田信玄から領土を侵され、心配した織田信長から「浜松を捨てよ」と言われたのに、戦国最強と言われた武田軍と戦って大敗北したそうです。戦には負けたが、武田軍を城まで踏み込ませることなく、撤退させた、ということです。
決死の風体の家康公像でした。
秀吉公の像は、まだ16歳で農村を出てきたばかり。
主君を探していたそうです。
引間城主飯尾家の宴会で、サルそっくりの口元で猿の物真似をして栗を食べて気に入られたそうです。浜松の豪族松下家へ武家奉公がその時始まったそうです。
若い秀吉公は、ここで三年間、武者修行をして働き、学んだそうです。
織田信長と出会う前の秀吉で、無邪気な猿真似をしている子供の像でした。
像の間に立って、記念写真を撮ってもらったあと、
MKさんと二人で、その像のうしろの「庭」のような
すこし小高くなっているところを歩きました。
第二次世界大戦で、浜松の町じゅうが空襲で燃やされた時に、
この元城町東照宮も燃えてしまったそうです。
戦後立て直されたそうです。
だから庭には、それほど古い木はありませんでした。
庭の中心にちょっと小高くなっているところがありました。
二本の木の間が、一番高くなっている所で、そこだけ何かが違うような気がしました。
MKさんがそこを通りかかった時、それに気づいて、私もそこに立ってみました。
すると秀吉さんの声と思えるような声が響いてきました。
そしてこんな言葉と感情が伝わってきました。
「今に見ておれ!
次はわしが天下を取ってやる!
ワシを笑った奴ら、今に見ておれよ!」
秀吉は笑いものにされて、めちゃくちゃ悔しがり、
「天下をとってやる!」と決めたようです。
庭の一番小高くなっているところからは、あたりが見下せたようです。
「天下をとってやる!」と心の中で決意し、視野を左から右へ動かしながら辺りをみる身体の動き・心の動きまで伝わってきました。
逆境の中から出世した家康公と秀吉公の二人の原点をここで知ることができました。
元城町東照宮から浜松駅までは歩いて戻ることにしました。
いきしなの列車の中で「東照宮」について色々調べていた時、浜松駅近くに「五社神社諏訪神社」という神社があること、そこは徳川家ゆかりの神社であり、また徳川康公が祭神の一つであることを知りました。
https://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/
そこにも行けたら行ってみようということで、
MKさんに提案し、歩いて行く事になりました。
その日は「お天気が荒れる、寒くなる」という話でしたが、
気持ちのいい晴天で
たまに、強い風が吹くだけで、どちらかというと暑い日でした。
神様が護ってくださっているんだなぁと思いました。
歩いていくと、立派な鳥居がありました。
鳥居の足元の門松は裾拡がりになっていました。
こういう門松は初めて見るなぁ、と感心しました。
鳥居の所に御祭神と御由緒書きの案内板がありました。
五社神社は元々曳馬城(浜松城)内にあったものなんだそうです。
家康は自分の子どもができた時にこの五社神社を産土神として崇敬したのだそうです。家康公も神として祀られています。
拝殿の前まで行き、手を合わせました。
その時、家康公の気を感じ、同時に足がぶるぶる震えました。
続く
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家康と秀吉の二公の像について
(参考サイト→https://www.travel.co.jp/guide/article/40497/)