第二部99話(お釈迦様1)「本物のお釈迦様のお骨があるって?」
浜松観光をした翌日、前から行きたかったお寺に行きました。
そのお寺は、「覚王山(かくおうざん)日泰寺(にったいじ)」です。
日泰寺は、日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のためのお寺です。
釈尊(お釈迦さま)のご真骨をタイ国(当時シャム国)より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に1904年(明治37年)に建立されたお寺だそうです。
それを聞いて私は「えええ、タイの国王から頂いた『本物のお釈迦様のお骨』が収められているって!?」とびっくりしました。
(お釈迦様のほんものの骨入り壺がみつかった時のことや
日本にわたってきた経緯の詳細はこちらをごらんください。
↓
「覚王山日泰寺」ウェブサイト
http://www.nittaiji.jp/kakuouzan/index.html)
数か月前、SNSで日泰寺に行った知人の記事を見るまでは、そんなお寺があることは全然知りませんでした。
お釈迦様の本当のご真骨があるお寺に行くと、お釈迦様のお人柄を感じることができるかもしれない、と思いました。
そして「お釈迦様ってどんなお人なんだろうなぁ」と考えると、胸が温かくなる気がしました。
地下鉄の覚王山駅で降りて北へ歩いていくと、山門がありました。
日本の普通のお寺だと、筋肉隆々の仁王さんが身体をくねらせ見栄を切って(?)立っているところです。
それに対し、こちらの日泰寺の山門は、お釈迦さまの二人の弟子の像が立っています。そのすっきりとした清涼な存在感に、あっけにとられました。
本堂に行くと、上の方にシャム国(現タイ国)の国王実筆の額がありました。
左右両側に、物凄い日本画の壁画がありました。
その絵に挟まれて、真ん中には黄金に輝く釈迦仏像がありました。
そのどれもが、物凄い存在感がありました。
(写真は不可なので、撮影していません)
その前で目をつぶり、手を合わせました。
すると、「清涼なる軽やかさ」とでもいうようなものを感じました。
「般若心経」に書かれている究極のことがら
つまりすべてはニュートラル(空)である
ということを感じました。
どう思うかどう感じるかがすべてを作って行く、ということです。
でも、どう思い、感じ、捉えるか、を超えたところに本質がある、
ということなんですね。
しかし、私たちは、
何が聞こえた、
何が見えた、
どんな匂いがした、
どんな感じがした、
という事柄に縛られて、
物事の善し悪しの判断をしてしまい、
その判断、判定に心が縛られてしまいますね。
このお寺の本堂にたたずんでいると、
すべてのことは「空」であり、
「ニュートラル」なんだよ、
一瞬のうちにすべて
変わっていくようなもんなんだ、
ということを、軽やかな感覚で教えてくれる・・・と思いました。
こう感じた、こう思った、という感覚を、
今この文章で書きながら、同時に、
私は縛られないようにしよう、と思いました。
本堂を出て、五重塔のところで手をあわせて、山門を出ました。
参道を歩きかけて
「あれ? お釈迦さまのご真骨っていうのは、どこにあったんだろう?
そういえば、わからなかったなぁ」
と思いました。
その時、参道のわきに地図があるのが見えました。
地図を見てみると、ご真骨のある所がわかりました。
ご本堂がある敷地の南東の方向に、もう一つの敷地があり、
それにご真骨が収められている「奉安堂」がある、ということでした。
MKさんと二人で
「せっかくここまで来たんだから、ご真骨の所まで行ってこよう」
と言って、歩いて行きました。
坂道を歩いて、もうひとつの敷地にたどり着きました。
続く