Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部078話秀吉4 瑞泉寺に行く

 瑞泉寺に行く前に、秀吉と秀次について色々調べました。

 

秀吉のことを調べているうちに、秀吉が晩年自分の甥である秀次を高野山切腹させ、その後、秀次の子どもや女性達(妻、側室、乳母)39人を三条の鴨川で公開処刑した「秀次事件」のむごたらしいこと、その悲惨な情報がいっぱい出てきました。

 

それだけでなく「連座」といって、秀次だけでなくその「家族」や「関係者」まで罪となり、切腹させられた家臣や武将だけでなく一般人までも殉死させられた者が多いことに驚きました。

 

中でも驚いたのが「駒姫(伊万)さま」のことです。

駒姫さまは、山形の最上義光の娘です。伊達政宗の従妹でもあります。

「東国一の美少女」としての噂も高かったため、「秀次公の側室として差し出すように」と、時の関白である秀次公から迫られました。

最上義光は、いったんは断ったが、十五歳になったら京に嫁がせると約束しました。

 

駒姫は京の最上屋敷にたどり着いて、旅の疲れを癒していた所、七月十五日、秀次は豊臣秀吉の命により高野山切腹させられました。

 

そして駒姫も八月二日に他の秀次の側室達と共に、三条河原に引き立てられ十一番目に処刑されてしまいました。まだ秀次公と顔も合わせていない、実質的な側室になる前だったのに・・・。

父の義光や伊達政宗が必死で助命嘆願に廻ったけれど、処刑されてしまいました。

 

秀吉が許さなかったから、とか、許したけど間に合わなかったから、とか言う話があります。

 

いずれにしても、なんとひどい。

 

処刑された秀次のこどもの年齢は四歳とか五歳とかの・・・。まだほんの幼い子供を殺しています。

それなのに、秀吉は自分の子・秀頼がまだ三歳の子供なのに、後継者にしてしまいました。

 

調べているうちに、秀次が「摂政関白」なのをもじって「殺生関白」と言われるような悪行をする人である、と書いてあるものもあり、気になりました。

 

それで瑞泉寺に行って、秀次公に会ってみようと思いました。

f:id:yulilove:20200111221422j:plain

瑞泉寺の案内板

 

三条木屋町の角からすぐの所に見える瑞泉寺に初めて行ってきました。

 

(慈舟山瑞泉寺 http://zuisenji-temple.net/
瑞泉寺の歴史 http://zuisenji-temple.net/history

入口の左に石碑があり「前関白 従一位 豊臣秀次公之墓」と字が彫られていました。

 

入ってすぐ右に「大日如来さん」がおられました。
手を合わせて拝み、中に入りました。

 

通路を右奥に進むと、秀次公と一族の方々のお墓がある、と案内がありました。

 

奥まで進む途中の右手に、「引導地蔵尊」の小さなお堂があり、そのお地蔵さんの左右に、処刑されたお子さんと妻妾、乳母39人の人形がありました。

 

引導地蔵尊というのは、こういうことです。

三条の河原に高野山切腹した秀次公の首がさらされ、そこに、「父、夫と対面させてもらえる」と思って三条河原に連れ出された、お子さんと女性達が次々と首を討たれたり、刀で刺されたりしました。

 

その流血の三条河原の現場に、大雲院住職の貞安という僧侶が貞朝作の地蔵尊を持ち込んで、一人一人に十念を授けて、引導を渡したと言います。

(「京都 高瀬川角倉了以・素庵の遺産」石田孝喜著・思文閣出版参照)

 

ちなみに、その大雲院というお寺は、今はなく、現在その跡四条河原町高島屋デパートの南側の位置となっているそうです。

瑞泉寺の資料室に大雲院の遺蹟についての記事が貼ってありました)

 

引導地蔵尊のお堂の通路の前に立ち、近寄るのは勇気がいりました。

 

直観に聞いたら「行ってよし」と言われたので、ゆっくりと正面まで歩いていきました。

 

足が細かく身震いして、お子さん達と女性達の痛ましい嘆きが伝わるような気がしました。

 

正面のお地蔵さまは立派な姿をされていて、お子さんと女性達はこのお地蔵さまにおすがりするしかなかっただろうな、あっというまに首をうたれ、あるいは刀で切られ、怖くて痛くてさみしくて、つらかっただろうな。

 

(写真は遠慮させていただきました)

 

処刑されたところに大きな穴を掘って、そこに処刑された39人の遺体をほうりこんで、上に石を載せて「塚」とし、くりぬいた石の中に秀次公の首を入れて、その塚の上に乗せ「秀次悪逆塚」と石塔が建てられました。

 

それが「引導地蔵尊」の奥にある「秀次公の墓」です。

 

通路に戻り、お墓に行っていいのかどうか、迷いましたが、

ここでも直観に尋ねて「行っていい」と言われたので、

勇気を出して足をふみだしました。

 

続く