Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部079話秀吉5 秀次さんに会う

瑞泉寺の境内を奥まで進みました。

右を見ると囲いがしてあり、その入り口左に石碑の案内が立っていました。

「前関白豊臣秀次公墓」と彫ってありました。

 

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秀次公の墓の前の石碑

私は、その入り口の所まで来て立ち止まりました。

中へ入りにくい氣を感じました。

特に足元にじわじわと小さな震えを感じて立ち止まっていました。

 

入口の所で立って中をじっと見ていると、ふと通路の二三歩先の所に視線が釘付けになり止まりました。

 

それで、なんとなく視線が留まっている所へ進むのは、許されている感じがしたので、二三歩進んでみました。

 

すると、視線が留まっていたところまで歩いたら、そこで足がきちんととまりました。

 

「んー、どうなるかなぁ」と思いながら立ち止まっていると、また二三歩先のところで視線が留まりました。

そこを見ると足元のじわじわ感が減少した感じがするので、

「もしかしたら、またあの、二三歩先までは進んでもいい、と許されたのかなぁ」

と思って、進んでみました。

 

そうやって、二三歩ずつ歩んでは立ち止まり、をくりかえしました。なんとなく、秀次公とご一家の皆さんが、私が進むのを少しずつ受け入れてくれるのを感じながら、奥のお墓に向かって二三歩ずつ進んでいきました。

 

お墓の真ん前までたどりつきました。

 (お墓の写真はご遠慮させていただきました)

三基の石の墓は、はじめからあったもので、と説明が書いてありました。

 

手を合わせてみましたら、秀次公はそこにいらっしゃいました。

 

 

ごつい武将がそこに座っておられる、という風な感じが伝わってきました。

 

私は心のなかで秀次公にむかって話しかけました。

「秀次さん、お子さんや奥様方まで一緒に巻き込まれて処刑されるなんて。

なんと痛ましいことでしょうか。さぞ痛かったでしょう。

苦しかった、こわかったでしょう。

絶望的になられたことでしょう。」

 

しばらくすると、心の奥に「秀次さん」らしい感じが更に伝わってきました。

 

それは豪快な男性的たたずまいで、豪傑で、「がっはっはっは」と笑うような武将の中の武将という雰囲気の人の「氣」でした。

 

大きくて強い男性の氣を感じました。

 

「あぁ、秀次さんという方はこういう雰囲気の方なんですね。」

と思いました。

 

秀次さんは、

「仕方ない。

こうなってしまったのだもの。

受け入れるしかないのだ」

と言っているような気がしました。

 

「でもね、あなたのおじさんの秀吉さんのやり方はひどいですよね。
なにもあなたを切腹させなくたって…。
子供さんや奥様がたまで一気に処刑してしまうなんて…。

秀吉さんに恨みあるでしょう?」

 

秀次さんは言いました。

「おじさんに恨みはありません。

私にいたらぬところがあったからです。」

 

私は驚いて言いました。

「そうなんですか。

そんな目にあっても恨みはないと言えるのですか?」

 

秀次さんは言いました。

「はい、恨みはありません。」

 

「えぇー、恨みはない、と言い切れるのですか!」

と言うと

それまで味わっていた豪快さの「内側の扉」が開いた感じがしました。

 

そこに秀次さんの心がある、と感じました。

 

その時秀次さんの心の声が伝わってきました。

 

「それより私は、悲しくて空しかったです。

自分が何をしても、おじの太閤秀吉という人に

受け容れてもらえることはないんだと感じるのが辛かった。」

 

その時不安でたまらない感じが伝わってきました。

 

さっきまでの秀次さんの豪快さとはうってかわって、

内面に押し隠していた不安感がにじみ出てきました。

 

「わたしは、何をしてもおじに褒められない。

よしと言われることがない。

それで私は拗ねてしまい、一時期乱暴になったことがあります。

だめじゃないか、と言われ、叱責されるとしても

私をかえりみなくなった、冷たいおじが

また私のところに戻ってきてくれるといいなと思って。」

 

「そうですか、それであなたは

内側の不安感を外側の豪快さでごまかそうとしていた訳ですね。

でもその豪快さは豪快ではなく

乱暴なふるまいとなっていたのでは?」

 

秀次さんは言いました。

「そうです。だから僕自身にも非はあるのです。

でも僕ひとりではなく、
子供たちや妻たち、家臣も道連れにしてしまったのは、
すまなかった。
申し訳なく思っている…。」

 

「秀次さん、そんな目にあっても、恨まないって…」

 

「おじはおじの考えがあってしたこと。

僕は僕の考えで動きました。
僕に悪いところはあったのは確かです。

おじにそのような所業をさせたのは僕なのですから、責められるべきは僕なのです。」

 

理路整然とした言い方、たたずまいがきちんとしていて清潔感を感じました。自己を律していて、毅然としている秀次さんの在り方に、私は軽くショックを受けました。

 

秀次さんは生前、外側に強さと豪快さを演出したようです。

 

でも内側は不安で、

「おじに受け容れてもらった感を感じたことがない」
という思いを抱えていたので、その代わりに

「自分はだれかを受け入れてやる人間だ」という風に「強さの器」を
見せていたのではないでしょうか。

 

殺生関白(摂政関白のもじりと思われる)と呼ばれるほどの悪行をしたようには見えない。秀次公よりも秀吉の方がよっぽど乱暴ではないか?と私は思いました。

 

亡くなって仏の世界に進むと、恨みがましくなっていくか、恨みがきれいに祓われていくか、どちらかのようです。

 

かといって、全然恨んでいない、ということもないようです。

全身の肌に、ぞわぞわと、細かいさざ波のような何とも言えない感覚が伝わってきました。

 

南無阿弥陀仏を唱えさせていただきました。

 

お墓のところを出ると、その向かいには本堂がありました。

つづく