世界平和シリーズ第二部057話 大国主命は婿養子?(元出雲5)
帰ってから「出雲大神宮にお参りする前に色々調べていて、こういうのがあったなぁ」と思い出しました。
「出雲大神宮」についてウィキペディアで調べた文をわかりやすく書いてみました。
引用・・・・・・・・・・・・・
京都の亀岡の「出雲大神宮」は、
一般的には「出雲大社」が始祖であると考えられています。
「出雲大社」の方が有名ですから普通に考えてもそうでしょう。
しかし、「出雲大神宮」に伝わる「社伝」には、
逆に、「出雲大神宮」は始祖なので、「元出雲」とも呼ばれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・引用おわり
そこで疑問がわきました。
一般的に「出雲大社」が始祖であると考えられている通りならば
なぜ、出雲大社の祭神は大国主命だけなのか?
出雲大神宮のように、妃神の三穂津姫命を一緒に祭神にしなかったのか?
やはり、出雲大神宮に夫婦でいた時に、夫の大国主命だけが出雲大社に連れていかれて、隔離されてしまったのではないだろうか?
そう考えた時に「引き裂かれた~!」という声が聞こえた気がしました。
大国主命の声のような・・・?
ウィキペディアにはこのような事が書いてありました。
読みやすいように改行をしています。
(引用)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・丹波の出雲大神宮(京都府亀岡市)では大国主神とともに主祭神となっており、
大国主神の后とされている。
・三保の松原(静岡市清水区)の入り口にある御穂神社も同様に、大己貴命(ここでは別名を三穂津彦命(みほつひこのみこと)としている)とともに祀られており、「羽衣の松」と縁が深い(御穂津彦命、御穂津姫命という表記もあり)。
引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
え? 美保の松原、というと羽衣伝説ですね!
天女の羽衣伝説について調べていたのは、ほんの2カ月前のことです。
なんと奇遇な!
(参照
)
美保の松原と三保津姫について調べてみました。
こちらのサイトにはこのように書いてあります。
(わかりやすく書き換えています)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
1、大国主命は、天孫に、自分の治めていた国土を快くお譲りになった、ということ
2、高皇産霊尊の娘・三穂津姫命を妃にして、自分の名を三穂津彦命に改名した、ということ
3、新婚旅行に出かけて、「美保の松」にお鎮まりになったということ
が書いてありました。
(参照サイト:
「神社記憶 御穂神社」のページの一番下の処をご覧ください。
http://www.genbu.net/data/suruga/miho_title.htm)
(「美保の松」はお能「羽衣」の題材になった元々の伝説の地です。16話、17話参照。
このことについては、また改めて書きます。)
大国主命は三穂津姫命と結婚して、名前を三穂津彦命に変えた、ということは
「婿養子」になった、ということ?
(そんな事を考えると、大国主命が「マスオさん」のように見えてくる!?)
大国主命が夫婦で仲良く新婚旅行した、という神話も美しいですね。
しかし、私はなぜ島根県の出雲大社が、三穂津姫命と大国主命の二柱で「えんむすび」の神様にならなかったのか? 不思議な気がします。
梅原猛さんの「神々の流竄」と「記紀覚書」の本を読んだ時、このような事が書いてありました。
先住民よりもあとからきた民族による支配の力を明確にするために、先住民が大事にしている神々の物語に手を加えて、新しい神話を作り、神事も自分たちに都合がいい神事を作ったのではないか?
・・・・ ということです。
なるほどなぁ、という感じがします。
作られた物語だとしても、神はエネルギーとして存在します。
それが架空の物語だよ、と言っても、そういう筋書きで神事・祭事が行われると、そういうエネルギーが生まれます。
出雲大神宮にいる間は、二人で過ごした。
出雲大社に移らされた時は、一人になった。
これって「永遠の単身赴任」させられたってこと?
私の直観では、どうやらそうだというような感じがしてきます。
大国主命は、出雲大社では一人になり、それだからこそ、夫婦仲良く一緒にいて、というのが大事なことだよ、と訴えているのではないでしょうか?
それからしばらくして、
続く