世界平和シリーズ第二部050話 宇治橋(伊勢7)
今回の伊勢神宮参拝で気づいたことをもう一つ書きます。
一日目に、内宮の御正宮の正式参拝を受ける前のことです。
内宮の御正宮の前で、「ここから先は写真撮影禁止」
という「石段の下」の所で、
参拝客が「これからお参りしますよ~」というように
必死に? 写真を撮影されます。
その石段下で、
これから石段をあがって御正宮の正式参拝を受けるのだ、という気持ちになった時
ふと、足元の石段に目がいきました。
内宮の御正宮の石段は、石が特別に立派なのです。
https://www.isejingu.or.jp/about/naiku/shogu.html
(このページのギャラリーの中に「石段」がよく見えるのがあります。)
階段の「段」一面が「立派な石」なのです。
二日目の早朝参拝した時、別宮の荒祭宮の前の石段を上がった時、
「あぁ、御正宮と別宮とは、石段が違う」と思いました。
石段の石の大きさが全然違いました。
残念ながら外宮の御正宮の石段はどうだったか?
一日目の昼前に外宮に正式参拝する時に足元の石段を
ちゃんと観察していなかったのです。
それはちょっと惜しかったなぁという気がします。
それから、四年半前に伊勢神宮にお参りに行った時に
気づいた事を書きます。(これも足元です)
四年半前のことです。主人と二人で内宮をお参りして、
最後に宇治橋を渡って、元来た所へ戻ります。
その宇治橋を渡っている時に、靴ひもがほどけました。
宇治橋は右側通行です。
右端は橋の欄干で、人が橋の上からの川の景色を見ていました。
(内宮は右側通行、外宮は左側通行です。)
それで私は人の邪魔にならないように、左に寄りました。
というと橋の真ん中よりです。
でも一番真ん中には行っていません。
こころもち真ん中寄りに行きました。
しゃがんで靴ひもを結んでいると、
驚くべき光景が見えました。
私が靴ひもを結んでいたのは、内宮の宇治橋の「帰り」の側です。
目に入ったのは、
行き側の「これから参拝するんだ~」の人が通る向こう側と
帰り側の「参拝終わったよ、おかげ横丁に行こうか」の人が
通るこっち側の、
両方の橋板。
(写真は今回の二日目の早朝参拝の帰りの時に撮影したものです。)
真ん中は神様がお通りになるので、
真ん中は歩かない、ということですから、
真ん中には行っていません。
その行き側の参拝前の人が通る橋板の暗い色と比べて
帰り側の参拝後の人が通る橋板の明るさときたら!
行き側の人々が浄化される前のエネルギーに触れて
橋はこのように痛んでくるのですね。
そして帰り側の浄化された人々のるんるんエネルギーに触れて
橋はこのように新品に近い状態です。
写真をご覧になると、よくわかると思います。
これだけの浄化が行われているのです。
目には見えない神様の力ですけれども、
しかし、このように見させられると、深い感謝の気持ちと恐れ多い、という気持ちがわきおこります。
これらは毎日の、
内宮の神様、天照大御神のお力であり、
それから伊勢神宮の中の神官の方々の働きでもって、
参拝客の浄化が行われているのだと思います。
早朝参拝のあと、神宮会館に戻って朝食を頂きました。
その後疲れていたので、
チェックアウトぎりぎりまで部屋で寝ていました。
チェックアウトしたあと、おかげ横丁の中の郵便局に行き
用事をすませたら、行きたかった所へ行ってみようと思いました。
それは饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)です。
京都の宇治の宇治橋の近くにも橋姫神社はありますが、
伊勢神宮も地名が宇治であり、橋が宇治橋で、同じように
橋姫神社があります。
同じ名前でも違います。
お伊勢さんの饗土橋姫神社の「饗土」というのは、
疫病神や悪霊などの悪しきものが入るのを防ぐために
饗応(きょうおう:もてなすこと)の祭りを行う土地を
意味するもので、
お伊勢さんの饗土橋姫神社は、駐車場の奥の目立たない所にあります。
「合格神社」ののぼりがすぐ左にあるため、
一見「あれは合格神社かな」と思うような感じです。
宇治橋のことに気づいているのなら、
饗土橋姫神社にもお参りせねば、
という気持ちからお参りしました。
二礼二拍手一礼でお参りしますと、
「もう、ここで、お帰り。どこにも寄らずにお帰り」
という声がしました。
それで、私たちはその声に素直に従って、帰ることにしました。
伊勢神宮の別宮で行ってみたい所もありましたが、
行かずに、「帰りなさい」という声に
素直に従った方がよさそうな気がしました。
というのは疲れていた、ということもあるし、二人とも喪服礼服なので、この恰好ではどこかに立ち寄るにも立ち寄りにくいからです。
着替えの服も持って行きませんでした。
喪服以外の着替えの服を
持って行きたい気持ちがあったのですが、
何度直観に聞いても
「要らない。喪服のまま行って帰ってきたらいい」という声が
していたので、何度かやり取りした後で、直観の通りにしたのです。
結局それでよかったのです。
主人は帰り道に、下痢となり、
乗換のたびにトイレに駆け込みました。
私は下痢ではないけれども、
お腹がゆるんで下痢に近い状態となり、ぐったりと疲れました。
帰りの電車のなかで二人共爆睡しました。
それは体内の悪しきものは祓われろ、とでもいうのか、
やはりそれも「浄化」だったのではないかと思います。
そして浄化は帰ってからも続きました。
続く