Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和シリーズ第二部049話 早朝参拝(伊勢6)

伊勢神宮の正式参拝をした日の、

翌朝は早く起きて、

宿泊した神宮会館の職員の案内による、

神宮の内宮の御正宮と荒祭宮の「早朝参拝」に参加しました。

 

たまたまですが、その日は早朝参拝の希望者が多くて3つのグループに分かれての参拝となり、主人と私は3つ目のグループに入りました。

 

職員さんのお話によると、

伊勢神宮は「お伊勢さん」だとか「伊勢神宮」と呼ばれているけれども

本来はただ「神宮」なのだそうです。

 

そういえばそういう説明は

伊勢神宮の公式サイト」

https://www.isejingu.or.jp/index.htmlでも見かけたなぁと思いました。

 

かといって「神宮」と呼ぶのは呼び捨てにするみたいで、

やはり「お伊勢さん」と呼ぶ方が、気持ちがおさまります。

京都の祇園の八坂神社も京都市民は「祇園さん」とか「八坂さん」と呼びますし、ね。

 

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内宮へ入る「宇治橋」を渡り、その次の「火除け橋」を前にした時、

どこからか白装束(白色に白袴)の団体が現れました。

 

火除け橋を渡り、その先のここから先が

本当の聖域という3つ目の「鳥居」を前にして、

御一行は立ち止まり、綺麗に列を整えてから、

一同で礼をして、

鳥居をくぐっていきました。

 

殆どが男性ですが、一部女性のかたもおられました。

一糸乱れぬ規律正しい歩き方でした。

 

私は職員さんに尋ねました。

「あの白い服をお召しの行列は何でしょうか?」

 

すると

「あれはこの神宮内の神官の研修です。」というお返事でした。

 

「ほぉ、神官の研修。

これは割とよく見られる光景なのですか?」

とお聞きしますと

「いや、これは余り見かけない、珍しい事です。

私は神宮会館の職員を務め、早朝参拝を担当して三年になるのですが、初めて見ました。」

というお返事でした。

 

この職員さんでも初めて見た、という珍しい光景なんですねー。

 

その時主人が私に

「あなたと一緒だと珍しい光景が見られて、貴重な体験をしたなと思います。」

と言いました。

私は驚きました。

「えぇっ、私の方こそ。ひろのぶさんと一緒だと、

こういう滅多に見られないものが見られた、

凄いなぁ、さすがひろのぶさん、ありがとう、

と今思っていましたよ。」

 

夫婦でふたり揃って「あなたのおかげで貴重なものが見られました」と、本心で思い、「相手の事を凄いなぁ、ありがとう」と思い合っているなんて、なんて嬉しいことだろう。

 

そして、この火除け橋と鳥居を渡るだけで
「浄化された」と主人は違いを感じたようです。

(私は、主人から言われて気づきました。)


鳥居を一つ一つくぐり、橋を一つ一つ渡るごとに、

聖域に近づいていくので、

浄化が深まっていくのではないでしょうか。

  

 内宮の御正宮の石段前にたどり着いた時

  • ここから先は、写真撮影禁止であること、
  • お願い事をしないで、感謝をすること

等の注意があり、それから正宮にみんなであがり、

それぞれに手を合わせて、祈りました。

 

その時、早朝で人数が少なかったせいか、

参拝して、何か「すごい浄化」を感じました。

(昼間だと参拝客がぎっしりです)

 

「正式参拝」ではなく、一般参拝の早朝であるだけですが

なにか、が、こたえました。

 

その後、内宮の別宮であり、天照大御神の荒魂をお祭りしている

荒祭宮に行きました。

「ここではお願い事ができます。決意表明をなさってください。」

という職員さんの御案内でした。

 

私はそこで

「世界平和のお仕事」をさせて頂いている事に感謝しました。

セラピストもこの「世界平和シリーズの記事を書くこと」も

「世界平和につながるお仕事」だと思っています。

 

 

ちょっと話はずれますが、

「神社とお願い事」について、私はこう思っていました。

(今回の伊勢神宮参拝に行く前まで勘違いしていたことです)

 

一般の神社では「お願いごとはしない」。

代わりに「決意表明をする」のだと

思っていました。

 

しかし、早朝参拝のご案内では

「お願い事」=「決意表明」なのだそうです!

 

お願い事をしない場合の手を合わせて祈ることは

「感謝をする」「ご挨拶」もしくは

「国家安泰、世界平和祈願」であることのみなのだそうです。

 

そうだったのかぁ~! と思いました。

確かに私たちが何かを欲しいと思ったり、お願い事をしたりする時、

神様の側からすれば、

「おまえには、もう既に与えてやってるやないか」と

言うことなのでしょうね。

与えて貰っている、頂いている、生かせて頂いている。

人と人は出会わさせて頂いているのですものね。

 

  

また今回の伊勢神宮参拝で気づいたことがもう一つあります。

続く