Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部15話 織部さん(興聖寺3)

京都市上京区にある、観光客には未公開のお寺、

興聖寺に、私は時々お手伝いに行きます。

 

なぜ宇治からわざわざ京都の上京区にある
興聖寺にお手伝いにいくようになったか?

 

「大事なお経の納められた蔵が壊れたので
修繕費がかかるらしい」という話を

友人のMKさんから昨年(2018年)の秋に聞きました。


MKさんのお友達の画家の渡邉敬介さんが

興聖寺の早朝座禅に参加されていて、

その関連でMKさんも興聖寺によく出入りされているそうです。


その興聖寺では、蔵の修理のために、
お寺で何か公演やイベントに使って貰い、
そこに参加された方に蔵の修理代として寄進して頂く、
ということを始めるらしいとMKさんから聞きました。

 

私は自分がそこで何かできるかもしれない、
できたらいいな、と思って、

興聖寺に芸術家の方々が見に来られる、という内見会の時に、
初めて興聖寺に行きました。

 

興聖寺は綺麗なお寺で、観光客未公開なだけあって、綺麗なまま残っていいます。

 

住職の案内で芸術家の皆さんと一緒に、
お堂や座禅の部屋など見せて頂くなかで、
ふとお墓のある処まで来ました。

 

住職が「ここの奥に『古田織部さんのお墓』があります」と言いました。

 

織部」というのは焼き物の「織部焼」の「織部」です。

 

古田織部さんは戦国時代から江戸時代はじめにかけての武将で
千利休と共に「茶の湯」を大成された方です。

 

調べてみると今の「茶道」の原型は千利休よりも
織部さんが築かれた部分の方が多いようです。

 

しかし、政治的になにごとかあって、切腹させられ、
お家を断絶させられました。

織部さんは茶の湯の世界を築き上げた功績があるのに、
千利休に比べると評価されていないようです。

 

話はもどって、

住職にお寺の案内をして頂いている時

お墓の近くで住職が

「ここの奥に『古田織部さんのお墓』があります」

と言いました。

 

その時、みんな

そこに停まって動こうとしなかったのですが
なぜか私は急に興味がわいてきて

「え? どれですか? あの奥ですか? 行ってもいいですか?」

と言って、奥に進みました。

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墓場の奥の真ん中に、
綺麗に織部焼の飾りがほどこされていて
台のようになっているところに、
古田織部さんとそのご家族の方々のお墓が並んでいました。
真ん中の一段高い石が、古田織部さんのお墓だそうです。

 

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織部焼がほどこされている

それを見に行った日は寒い日でした。

しかし、そのお墓の真ん前、
特に古田織部さんのお墓のまん前に立った時、
からだがほのかに温かくなるのを感じました。

その時古田織部さんは亡くなられても
このお寺にいらっしゃり、

蔵が壊れたことや修理にお金がかかる、

ということでどうやってお金を集めようかと
苦心している住職や周りの方々のことも、
よくわかっておられる・・・と感じました。

 

念のため、MKさんに
織部さん一族の方々のお墓があるうちの、
織部さんの墓』の真ん前の処を指し示して
「ここのところがちょっと温かいと思わへん?」と聞いてみました。

 

するとMKさんは「そういや、そうね」と言いました。

この微妙な温かさに気づくか気づかないか、

だけど、そこに古田織部さんのこころを感じました。

 

その後、興聖寺のお庭の落葉掃除に行って、

帰る前に織部さんのお墓のところにご挨拶に行きましたら、

「よぉ、やってくれたな。ありがとう」と

言ってもらえたような気がしました。

 

(追記)

この織部さんとご家族の方々のお墓は
現住職の前代の住職が、綺麗にされたそうです。

はじめはお墓がどこにあるのか、わからなかったのを探して、
一つの所にまとめられ、それから織部焼の飾りをつけたりして、
綺麗に整備されたのだそうです。素晴らしいですね!

(2015年のまだ織部焼の飾りがついていない時期の
お墓の写真が出ているブログをみつけました。)
https://ameblo.jp/2633ganko-jiji/entry-11983810693.
html?fbclid=IwAR0eqczi4-ktUwWqDSnwgzW6ws4s6KV2EsPS
_CvZ88ZXbUUCyWYxnOEdfFQ

 

 

織部さんが切腹させられ、お家も断絶させられたことに

ついて少し調べてみました。

 

すると、

「そのことについては なにごとも言うな。

わしは何もいわずに墓に持っていった。

何も推しはからないでくれ」

と言う声が聞こえてくるような感じなのです。

 

「それよりは興聖寺の蔵のことで尽力してくれてありがとう。

わしはわしのことを思ってくれるよりも、その方が、ありがたい。」

織部さんが言っているような気がしました。

それで織部さんについて調べるのはやめました。

 

私は織部さんの温かさを感じます。

そういうこともあり、
興聖寺に行くとなんともいえない心が落ち着く感じがします。

特に、お寺の庭の落葉のお掃除をすると、
私の心も過去もすべてが一緒にお掃除できていく

ような感じがするのです。

それでお掃除に時々行っています。

 
お掃除に行っているだけでなく、
催しがある時は、裏方のお手伝いをすることもあります。

 

ある時、

お能」の催しがありました。

その時・・・。

続く