Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部076話(秀吉2)秀吉の心の闇

豊国神社には友人MKさんと一緒にお参りしました。

 

MKさんは

「豊国神社の前はよく通るけど中には入ったことがないし、お参りしたことがないの。今回初めてなのよ」

と言いました。

 

「へぇ、そうなの」と言いながら歩いて行くと、

豊国神社が京都国立博物館のすぐそばの角を曲がった所にあることに改めて気づきました。

博物館には何度も行っていながら、そのそばに豊国神社があることは気づきませんでした。

 

MKさんは歴史に詳しく、お参りする道を歩きながら、晩年の秀吉の狂気的な所業のお話をしてくれました。

 

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豊国神社の豊臣秀吉の像

秀吉は晩年側室の淀君に息子秀頼が生まれ、その子を跡継ぎにしたい、と強く思ったようです。

 

それだけでなく、まだ幼いわが子を見ているうちに、関白である甥の秀次が自分の息子秀頼を後々殺すのではないか、と疑い出して、自分の甥である秀次を高野山切腹させたそうです。

それだけでなく、秀吉の命令で、秀次の一族の女性や小さな子供まで、三条河原近くの高瀬川で処刑されたそうです。

 

16年後に高瀬川の開削の工事の時に角倉了以が、その塚が放置され荒れ果てているのを発見して、瑞泉寺にて供養したことなどを聞きました。

 

それはひどい話や…と思いました。

 

角倉了以に見いだされるまで、16年放置された秀次とその一族の女性や子供たちの塚。

 

 

なんとなく、秀吉が神として16年祀られたあとに、神を剥奪され豊国神社が放置され荒れ放題になったのは、

秀次と女性や子供たちの無念さの現れではないか、と思いました。

 

同じ「16年」です。

16年間放置されたのち、秀次達は弔われ、

16年栄華を極めた、その後に、豊国神社は放置されました。

 

そして、その秀次と一族の女性や子供たちを供養したお寺「瑞泉寺」というのが三条木屋町にある、MKさんから聞いて

あれ?と思いました。

 

たまたまですが、その数日前、京都の木屋町通りを歩いていました。

その日、三条京阪駅のあたりに用事があるのに、一つ手前の祇園四条駅で降りてしまいました。それで、木屋町通りを四条から三条へと歩いて行きました。

 

木屋町三条あたりにさしかかった時、ビル街の中に、お寺を見かけました。

 

その時「あれ? こんな所にこんなお寺が?」と思ったのです。

それが瑞泉寺でした!

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瑞泉寺

いつもだとお寺があってもさして気にせず素通りしてしまうのですが、私はその時、初めて、そこにお寺があることに気づいて、足を止めました。

 

そしてお寺の門の横に石碑に刻まれている 「前関白 従一位 豊臣秀次公の墓」と書いてあるのを初めて読みました。

 

その時は意味がわからず、「?」と思いました。

 

瑞泉寺に行くように、導かれて私はそこまで行ったのでしょう。

お寺の前を通りかかり、足をとめて

「前関白 の 豊臣秀次公の墓が、そのお寺にありますよ」

という事を、「見せられた」のでしょう。

 

その時の私は「なんで降りるところを間違えちゃったんだろう」と思いながら、歩いていただけなのですが! 前もって導かれていたとは知りませんでした。

 

Kさんから話を聞いて、やっと、瑞泉寺と豊国神社の関係がわかりました。

 

多分、秀吉は気が狂っていたのだろうと思われます。

でも気が狂っていたら、何をやってもいいという訳ではありません。

 

秀吉の出自は下層の農民だという話ですが、サンカと呼ばれる被差別階層の出自ではないかと教えてくれる友人もいました。

 

サルと呼ばれていたこと、猿に本当に似ていたこと、

信長から「おい、サル。サルは猿のマネをしろ」と言われ、

皆の前で猿のマネをさせられ、笑われたということもあったらしい。

 

美しい姫や武将たちの前で、笑いを取る、その時の秀吉の心は悲しかったり、悔しかったのではないでしょうか?

 

それまでの天下をとった人というのは、皇族だったり武家の生まれだったりします。

おそらく秀吉が初めて、皇族や武家以外の生まれで天下をとるところまでのぼりつめたのですね。

そこに至るまで、どれほど自尊心が傷つき、悔しい思いをしてきたことだろうか、と思いました。

 

ビジネスの世界でも「大成功」を治めた人は、その成功の光とバランスをとるのか「心の闇」が出る、と言います。秀吉も天下を取った後「闇」が出たのかもしれません。

 

そこまで考えた時、豊国神社の鳥居の前まで来ていました。

つづく