第四部39話 玄奘さんも闇を光に
玄奘三蔵の生涯を調べ、その物語を元に動画を作って行きました。
「玄奘の最期」で動画を終わらせるつもりでした。
「最期」の動画を作った時、玄奘さんが「般若心経」を漢語訳した経緯(いきさつ)について書いてある記述を見つけました。
唐の皇帝、太宗が亡くなる寸前に太宗の治癒回復を祈願して、玄奘さんは「自分が砂漠で命を落としかけた時に、支えになったお経」を漢語訳し直しました。
そのお経を改めて、玄奘さんが訳した時に「般若波羅密多心経」と名付けた、ということを知りました。
それ以前の鳩摩羅什による漢語訳では違う名前が付けられていました。
それで「般若心経の誕生」についての動画を作成しました。
それから「三蔵法師玄奘物語」の動画一連の作品を四部作の総集編として、まとめ直しました。
動画ソフトで編集をし終わったら、いつも主人に見てもらいます。
どういうことが言いたくてこの動画を作成したか、などのポイントを話し、それが作成した動画を見て、伝わるかどうか2人でチェックします。
その時主人が尋ねました。
「玄奘さんの事、書いていって、もう思い残す事はない?」
総集編でまとめてしまうことで、もう終わらせられるか?
その時頭をよぎったのは、「大唐西域記」につきまとう2つの闇です。
一つは「大唐西域記」に高昌国の記述がない事。
もう一つは「大唐西域記」をまとめる時、手伝った弟子弁機がある疑惑を着せられ、ひどいやり方で処刑されてしまった事。
この2つの闇を思うと気が重くなります。
「うぅーん」と呻いている私に、主人が「思い残しのないように描いたらいいよ」と言いました。
私は思い残しがあると、後々まで引きずる性格なので、きちんと取り組んでケリをつけた方がいい。
主人は私のことをよくわかっている!
それで思い切って描きました。
一般に、帰国した玄奘さんが経典を翻訳する時、唐の国中から翻訳を手伝う若い僧侶を集めて、物凄く長い「大般若経」を翻訳するのをサポートした、ということで、
「良い皇帝」のように思われています。
確かにそうでした。
でも玄奘さんにとっては、唐の皇帝が高昌国を滅ぼしたので、義兄弟の契りを結んだ「高昌国王・麴文泰」が殺されてしまったであろうことはひっかかっていたと思われます。
そこに「大唐西域記」の編纂をてがけた弟子・弁機にありもしない色恋沙汰の罪を着せて、腰を切断し処刑してしまいました。
どちらも玄奘さんにとって、心の底で大事にしていた人達でした。
「何もかも放り出してしまいたい、皇帝を罵り、その結果殺されてもいい」と思ったこともあるのではないでしょうか?
しかし、それをすればせっかく天竺から持ち帰った経典を翻訳することができないばかりか、持ち帰った経典ももしかして焼いたり捨てられたりしてしまうかもしれない。
玄奘さんは翻訳に徹して、涙をのんだのではないでしょうか。
だからこそ玄奘さんは「翻訳の鬼」と化して、途方もない長い経典16部600巻にも及ぶ「大般若経」を完全に翻訳してしまわれたのではないでしょうか?
玄奘さんは皇帝に対して、複雑な気持ちを抱いていました。
その皇帝が避暑地の宮殿に玄奘を呼びました。
皇帝は身体を悪かったのですが、体調が急変しました。
おそらく皇帝は玄奘に「あんたの仏尊とか経典で、なんとかしてくれ」というようなことを頼んだのではないでしょうか?
玄奘は、心のどこかで「死ねばいい」と一度は思った相手が危篤状態に陥ったのをみて、心の底から「皇帝の回復」を願って「砂漠を乗り越えた時の奇跡のお経」である「般若心経」を翻訳されたのではないでしょうか。
すべては空である。
目に見える
「色(色分けして見る)」
「識(識別するもの)」
あらゆるもの、すべては
「空」
(ニュートラル)
である。
ものに意味はもともとない。
人がものや出来事に意味をつけるのだ。
これが良いとか悪いとか言っては執着する。
「般若心経」もともとの原文を忠実に訳しながら、
玄奘さんは自分自身への戒めとして、訳したのではないだろうか。
これを訳することで、自分の心のなかの闇を光に転じたのではないでしょうか。