第四部28話 「鑑真さんは凄い人!」(鑑真和上1)
ある日主人が電車のつり広告で、京都府国立博物館で「鑑真和上と戒律のあゆみ」展のポスターをみかけ、その写真を私に送ってきました。
弘法大師空海シリーズの漫画動画を描いていて発表していた時、
私は
「空海さんの逆バージョンで、唐のお坊さんが日本に命かけてきたパターンもあるよ」
と主人に鑑真和上のことを話したことがあります。
鑑真和上のこと、ご存知ですか?
凄い人ですよ。
鑑真さんはその当時、中国の仏教界の最高峰の地位におられたんですよ。
日本では奈良時代で、
「日本の仏教界の為にどなたか、律を教えにきてください」
と頼んだのです。
律というのは仏教のルールです。
奈良時代は私度僧(自分で出家する、非公式の僧)が多かったのです。
「僧に位を授ける僧」がいて、新たに僧になる者には「戒律を守るように申し渡す」制度を入れよう!
と聖武天皇は考えていました。
仏教のルールというのは、
仏教の僧になるにはどんな事を護らなければいけないか(五戒)
どういう風に修行をつみあげてマスターしていくか、
決まっています。
その決まり事を「律」と言います。
戒律の僧で有名な鑑真さんのもとをおとずれた栄叡と普照は
鑑真さんと沢山のお弟子さんのおられる前で、『日本のために「律」を教えにどなたか、お越しください。』
と頼みました。
しかし「私が行きます」と手をあげる人は一人もいませんでした。
当時、渡航の技術は、稚拙で、波任せ風任せでした。
海を渡って無事に、到着するのは半分から3割の確率でした。
誰もわざわざ海を渡って、仏教後進国の日本に渡って色々と指導する、という面倒くさいことをしたくなかったのでしょう。
それを見て、トップの鑑真さんが
「誰も行かないのか、
そうか、それならば、私が行こう」
と言ったのです。
驚いたのはたくさんのお弟子さん達。
「お師匠さんが、なんで行くのですかっ」
鑑真さんは、
「誰一人として行くという者がいないなら、
私が日本まで授戒しに行きますよ」
とおっしゃいました。
それで
「鑑真さんが行くのなら」と言って、
ぞろぞろと後だしじゃんけんで、
「私も行きます」というのがいっぱい出てきました。
それで行こうとしたら、国が許可しませんでした。
トップオブザトップの鑑真さんに出国されたら困ります。
鑑真さん行きかけては、鑑真の渡日を惜しむ者の密告により、捕まります。
12年間に5度もチャレンジ!
5回目は船がはるか南の海南島に流されてしまい、鑑真はそこに1年いて、薬草について教えたりしました。
だんだん盲目になりながら、6回目のチャレンジで日本に来られました。
鑑真さんの人生は、ウィキペディアで読むだけで、ハラハラします!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%91%E7%9C%9F
76歳でお亡くなりになられるちょっと前に、虫の知らせがあったのでしょうか。
鑑真和上、像を作らせます。
その像は、まつ毛まで、きちーと描かれています。
という話を主人にしたのです。
その鑑真和上の座像が京都の国立博物館にきている、ということです。
行くことにしました。
(おまけ
鑑真さんが日本に到着された時、
一緒にこられた若いお弟子さんが、
後々お年を召されて老僧になられた頃
唐に行く前の若い頃の空海を可愛がられていて、中国や唐のことや密教の事なんかもお話されていたようです。
そういう事もあって、空海さんはのちに遣唐使になって唐に渡る、と決意されたんですね。)