第四部33話 鉄眼さん(一切経の歴史3)
宝蔵院はお経の一切経の蔵であり、印刷所でもあります。
300年前の一切合切の一切経を彫り込んだ(奈良の吉野の桜の木の版木だそうです)ものが物凄い規模で、置かれています。
当時、お経を手に入れるには、写経しかなかったんですね。印刷やコピーなんてなかった。
鉄眼禅師は、自分が勉強する時のお経を写経するのも大変だった訳です。
万福寺の隠元禅師から中国から持って来られた、一切経を、宝蔵大師鉄眼さんは板に貼り、余白の白い所を彫ればいいですよ、と教わり、版経印刷を始められたんだそうです。
そうすれば、全てのお坊さんが仏教の勉強をするのが楽になる、と、ご自分が印刷所をしようと考え、日本中を回って多くの方の寄進を集められました。
印刷所を作れるくらい寄進が集まった時、大洪水が起こりました。
多くの難民を前にして、集まったお金を印刷所のためではなく、目の前で苦しんでる人々を助けるために使われました。
そしてまた一から集めて行かれました。
そして、印刷所が建てられるくらい寄進が集まりました。
ですが、今度はまた疫病飢饉が起こりました。
前回より大変な難民の方がそこいらじゅうに溢れました。
鉄眼禅師はまた、集まったお金を目の前の難民を救うために使われ、それだけでなく、借金までして難民救済にあたられました。
それからまた一から印刷所を作るために、全国を回られだそうです。
その慈善行為では物凄いたくさんの方々が救われだそうです。
お経の印刷所を作る為の寄進を三回目に集まった時に、やっと印刷所が建てられることができるようになりました。
その偉業を讃え、昭和7年にこの鉄眼禅師は、昭和天皇から「宝蔵大師」の諡(おくりな)を授けられたそうです。
版経の版木がとても多くて、「凄い凄い」と感心しました。
いま、私たちが、何の不思議にも思わないで、原稿用紙で文章を書きます。その「原稿用紙」のもとになったのもこの版木印刷が本だし、
印刷する時の活字の「明朝体」もこの版木印刷がもとになっています。
私が時折行きます、京都市上京区の興聖寺も一切経を、持っておられるし、
お経を取りに行かれた三蔵法師玄奘をしらべて、漫画動画にしているし、
そういう事もあって、すごくご縁を感じています。
この宝蔵院の御本尊の所に、鉄眼禅師の像があり、お亡くなりになられる一年前に彫ってもらわれたそうです。
そのまんま、そこにおいでになられるような。
口元が動いて何かお話されてるような。
こちらをごらんください。↓↓クリック
http://www.tetsugen-zakura.com/tetsugen.html
リアルなので!
凄いビックリしました。
(昨日観させてもろた博物館での「鑑真和上」もお亡くなりになる寸前に像を彫ってもらわはったんですよね。それを思い出します)
つづく