第四部08話 親の思い(捨身の覚悟8)
善通寺というのは四国88ヶ所の75番札所です。
弘法大師空海さんの生家があった所がお寺になっているそうです。
駐車場に車を停めて西院「誕生院」を歩いて東院「伽藍」まで行きました。
伽藍の中心的な位置に「金堂」がありました。
金堂の前には祈りたい内容が書かれているお線香が置いてありました。
いくつかはクライアントと知人の為に購入し、火をつけてお供えしました。
金堂の中には薬師如来さんがいらっしゃいました。
神妙な気持ちで手を合わせました。
善通寺の境内には空海さんが生きておられた頃からあるといわれている大きな楠(くす)の木があります。「大楠」と「五社明神」に大きな楠があります。
空海さんが幼い頃をふりかえって書いた文書には楠木について書いてあるそうです。
その傍に小さな祠がありました。
見てみると「佐伯祖廟」と書いてあり、空海さんのお父様「佐伯明神」とお母様「玉寄明神」をおまつりしている、と説明がありました。
そこで手を合わせていると、胸の奥に、ほかほかしたものが感じられました。
失礼かもしれませんが、ふかしたての肉まんのような温かさが胸の奥に感じられました。
「あったか~い。これ、ほんまに空海さんのお父さんとお母さんやわ。
親の愛そのものや。」
と感動しました。
空海さんが生まれた時ご両親は「真魚さん」と名づけ、「貴物(とうともの)」と呼んで大切に育てられました。
その大切に大切に育てた感覚。
すくすくと育っていく我が子(真魚)が、思いもかけない器をもっていて、空海と名を変え、大器晩成して行く姿を見るにつれ、驚きと感動と神仏への感謝を感じておられたことでしょう。
善通寺に行ってから、親の恩について改めて感じることがありました。
というのは、善通寺は弘法大師空海さんの生家跡に建てられたと言う話ですが、
善通寺のウェブサイトの「由来」のページによりますと、
https://www.zentsuji.com/about/yurai/
(貼りつけます)
唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、
大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、
弘仁4年(813)6月15日に落慶し、
父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。
(貼り付けおわり)
807年というのは、空海さんが唐から帰ってきた翌年です。
遣唐使として20年唐にいなければならないのに、2年で帰ってきた、ということで
大宰府に留め置かれた時期です。
朝廷からはまだ都に帰ってきていいよ、とお許しがいただけなかった時期です。
そんな時期に、讃岐の国では、空海さんのお父さんが寄進して、空海さんのためにお寺の建立が始まったというのですから、それは凄いです。
それに、お父さんは確か、空海さんを大学に入れて朝廷の役人になってほしかったんです。
空海さんはそれに逆らって、大学を中退して、私度僧(未公認の僧)になり、仏教マニア、修行マニアになって研究研鑽に励まれたのです。
空海さんは捨身の覚悟で、お父さんに逆らって好きな道を選んだのだから、途中で投げ出さず、唐までも行ってとことん研究し、信仰を極められたんですね。
お父さんは、我が子の捨身の本気がわかったから、ゆるしてやり、大きな土地を寄進してお寺を建ててやった、ということです。それは本当に素晴らしいことだと思いました。
空海さんはそんなお父さんの御気持に胡坐をかくことなく、親の恩を返すようなつもりで、世のすべての人を救おうとされたんだなぁと、しみじみ思いました。
(そこで感じたことを動画にしましたので、
よかったら合わせてごらんくださいませ。)
↓
【漫画】空海の言葉④ 高天よりも高く
続く