Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第三部025話 聖徳太子(法隆寺3)

法隆寺は我が国の現存する木造建築の中で
一番古いのだそうです。

1200年以上と考えると、
「へぇーそんなに木はもつんかぁ!」

と思いました。

燃えたらそこでおしまいだけど、

燃えなかったら、ずっと保つんだ。
鉄はさびるということを考えると
木は「意外に強い」のかも?

と思いました。

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法隆寺の金堂と五重塔



まず五重塔を眺めました。

 

細かく木を組み込んで建てられた五重塔

とても美しく、昔の人のもっていた技術というか

芸術的センス感度の高さに驚きました。

 

次に金堂に入りました。

釈迦三尊像は「教科書で見たことある!」と

思いました。

聖徳太子をモデルにしている、と聞きました。
身長が同じだと。
お顔の表情がとてもいい。
(国宝にむかって失礼な言い方!

見た感じ、とても気のいいおじさんという気がしました。

その次に大宝蔵院に行きました。
そこには昔のお札の一万円札に描かれた、聖徳太子像と
良く似た聖徳太子像(教科書で見た)がありました。

 

その聖徳太子像がある部屋は、飛鳥時代以後、
戦国時代や江戸時代など、
各年代ごとに
聖徳太子をうやまって、聖徳太子像を描いたもの」が

いくつも並んでいました。

まるで聖徳太子部屋とでも言うような感じでした。

そこで、主人が言いました。
聖徳太子って、どれも怖い顔してるね。」

見てみると、

まだ2歳の聖徳太子が、ご高齢で博識の長老で

あるかのような表情で描かれていたり、
まだ幼児の聖徳太子像なのに、
日本の国の大問題を背負っているかのような
厳しい表情をされていました。

 

それはまるでイエス・キリスト
生まれたてで、おっぱい飲んでいるはず
なのに、「いかにも賢い人」みたいなお顔で

描かれていたりするのと同じではないだろうか。

 

後の時代の人が聖徳太子をイメージして描く時は

やはり願い、祈りをこめたものとなるのでは

ないだろうか?

国家の一大事である、という時に、

国の政を司っている人は

聖徳太子のような人がいてくれたらいいのに、

って思うのではないでしょうか。

 

聖徳太子がものすごい頭が冴えた人であるとか、
10人の話を一度に聞いて理解できた、という話とか

そういう話を聞きます。

 

そう考えると聖徳太子という方は、

生きているかのようです。


亡くなったあとあとまでその存在を人々は忘れず、
いついつまでも語り、姿を描き、思い馳せるのですから

亡くなって忘れ去られるどころか、

いついつまでも思い出して忍ばれているのです。

 

それから夢殿に向かいました。

続く