Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第三部027話 導かれていた(法隆寺5)

奈良の法隆寺に行ってからしばらく経って
私は友人と話をしていました。

 

友人は「和を以て貴しと為す」という言葉について

話していました。

 

これは聖徳太子が定めた

「十七条憲法」の第一条にあることばです。

 

この時、ふっと

「令和」の元号になってから丸一年が経った

ということを思い出しました。

 

和をなしなさいよ、と天におられる聖徳太子

我々に教えさとしているような気がしました。

 

法隆寺といえば「救世観音」です。

 

「救世観音」さまの溢れる慈愛、慈悲のお顔を

思い出しました。

 

救世観音さまは

あんな風に微笑みながら教えさとして

くださっているのだなと思った時

 

ふと「救世観音」というと

ある観音さまを思い出しました。

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救世船乗観音(平等院



それは京都宇治の平等院鳳凰堂の真裏に

当たる「浄土院」のところにおられる

「救世観音」です。

 

正確には「救世船乗観音」さまです。

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救世船乗観音の説明



確か法隆寺に行く四日前平等院に行きました。

 

その期間、

平等院は観光客を受け入れていません。
地元の市民がごくたまに数人散歩で歩いていました。

 

私は10円玉に刻まれています、鳳凰堂の前の池のほとりで

手を合わせ、祈りました。

 

そして池のまわりをぐるっとまわり、

鳳凰堂の裏にある浄土院に行きました。

「救世船乗観音」にお会いして

手を合わせました。

 

その時はまだ奈良の法隆寺に行く、とか

法隆寺の「救世観音」さまのお姿を拝見する

ということは考えていませんでした。

 

それから三日後に「奈良の法隆寺」に

お参りしなさいというメッセージを受け取り、

翌日には、法隆寺に行きました。

 

もしかしたら、「奈良の法隆寺に行きなさい」

というメッセージは宇治の平等院の中の

浄土院の「救世船乗観音」さま

手を合わせて祈らさせて頂いた時のことから

関係していたのかもしれない。

 

と思いました。

 

「そうか、導かれていたのか」

と呟いてみると、

 

導かれていること以外にも

 

自分がこの日常のなかで普通に暮らせている

ことがとてもありがたくて幸福だと

改めて思いました。

 

その時にふと「幸福」っていう感覚を

私は今まで、本当に実感せずに

実感しかけたら、すぐ何か用事を作って

ばたばたと動き回って

 

幸福を感じることを避けてきたなぁ

 

ということを思いました。

 

そこで「幸福だ」と感じてみました。

 

すると、

「いやもっと何々しないといけない」

とか

「いえいえ、私はまだまだです。」

という風に

自分を追い込んでしまうことに気づきました。

 

しっとりと、柔らかな心で「幸福、幸せ」を

穏やかに感じようとしたら

 

涙が出てきました。

身体が震えて涙がどんどん出てきました。

 

幸せなんだけど、幸せって感じちゃいけない

ような気がして、認めなかったんだなー。

 

「だって世の中、苦労している人はいっぱいいるのに」

とか考えたりして。

 

でも冷静に考えてみると

世の中の人が全員しあわせになってからでないと

自分はしあわせになっちゃいけない

って思っていたんだよ。

 

世の中の人はしあわせかどうか、それはその人でないと

わからないじゃない?

傍から見て、「夫婦関係完全破綻」に見えていても

本人同士は「ラブラブ」と思っている夫婦もいる。

 

世の中の人がしあわせになってからでないと、

という見方は、

傲慢じゃないのかな

だってあの人達は皆不幸だ、

と決めてかかっていることになるでしょ?

 

他人がどうであれ、自分が自分の幸せを

ゆっくり味わうことは、とてもいいこと

なのではないでしょうか?

 

そう自分にむかって話してあげました。

 

すると私の中の私は、

小さくうなずいて、胸の奥の小さな扉を

一つ開けました。そこから風が通っていき、

胸の奥に新しい風がふきぬけていきました。

 

その時、法隆寺の救世観音さまのような

愛情深い慈しみを自分で自分に与えることが

できたなぁと思いました。

 

世の中がどうであれ、

自分は自分に優しくしてもいいんじゃないか。

自分は自分を認めてもいいんじゃないか。

 

と思えました。

 

その時きっと私は自分自身と和することが

初めてできた瞬間だったのではないでしょうか。



法隆寺に行ってから一か月した頃、

神社ツアーで一緒に行った

TMさんからメールがきました。

というのは・・・

 

つづく