Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第二部93話 仁和寺6 白隠さんの子ども時代

仁和寺観音堂は江戸時代初期に建てられました。

白隠さんは江戸時代中期に活躍されました。

 

白隠さんは幼い頃に母親と一緒に行ったお寺で

日厳上人の講話を聞きました。

その中で地獄の話があったそうです。

 

(以下引用元「別冊太陽 白隠 衆生本来仏なり」平凡社

 

この席で上人が語った地獄の諸相の恐ろしさに

岩次郎(白隠禅師)は震え、決定的な衝撃を受けたそうです。

 

それ以来身の置き所もないように感じ、

「昼夜、悲傷して止まず。

懊々として楽しまず、両眼、常に涙を帯ぶ」
(『策進幼稚物語』)

という状態で泣き暮らしていたといいます。

 

ある日、母親とお風呂に入った時、

母親が薪をどんどんくべさせると、

炎が噴き出て、釜がゴウゴウと音を立てました。

その音が、まさに地獄の業火を想い起こさせ、

あまりの恐ろしさに大声で泣きだした。

家人がなだめすかしてもいっこうに泣き止まなかった

という事です。

 

岩次郎が十三歳の時のことです。

法華経の日親上人のお芝居を見たそうです。

お芝居の中で上人が、

「修行した僧侶は火でも熱くないし、水に入っても溺れない」

と言いました。それを聞いた将軍が

真っ赤に焼いた大鍋を上人の頭からかぶせて、

焼いた鍬を上人の両脇に挟んでも、

上人は動じず、微笑んだ・・・というお芝居の筋書きでした。

 

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炎の写真 pixabayから

それを見た岩次郎は

「上人の意思の強さ、仏力の功徳」に感じ入り、

自分も出家する決意をしたそうです。

(引用おわり)

 

大人になって、お坊さんになった

白隠さんは、お目々の大きな

おおらかな達磨さんの絵を

描かれるようになるのですが

子供の頃は意外に

怖がりだったのですねー。


怖がりだったのを克服して

おおらかな人になったのかもしれない、

と思いました。


それともうひとつ思ったのは

もしかして、

私が仁和寺観音堂で感じた

得体のしれない恐怖、というのは、


幼き頃の岩次郎(のちに白隠禅師となる)の

とりつかれた恐怖と、似ているのではないかと

思いました。

 

これは私の考えでしかないのですが。

 

江戸時代の初期に観音堂が建てられ、

その障壁に地獄・修羅界を含む六道図が

描かれ、その上部に

閻魔大王的な意味合いで観音像が

描かれたのだとすれば、

 

戦国時代のような「人が戦い争う」ことは

いけませんよ、

そんなことをしてはあなたも地獄におちますよ、

六道の畜生道におちますよ、

ということを

言い表していたのではないでしょうか。

 

戦国の世の修羅が、

地獄と重なるような感じがします。

 

下剋上や、

江戸幕府にたてついて兵をあげて戦う

ということをしたら、

「地獄におちますよ」と おどしながら

「平和な世界」へと導いていたのでは

ないでしょうか?

 

白隠禅師は江戸時代の初期に生まれ、

江戸時代中期にさしかかった頃に活躍されました。

 

だから、もし下剋上江戸幕府にたてつくと
あなたも地獄におちますよ、という

スローガンで六道図や地獄の話をして

布教するということが流行っていたとすれば

白隠禅師はその影響をもろに受けたのではないか、

と私は思いました。

 

平和を語るのに、観音様の優しさだけでなく

閻魔大王と地獄の怖さが効果的だったのでは

ないでしょうか。

 

 

それから三日後のある朝に、ある「恐怖」と対面しました。

つづく