Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和092話 観音様と閻魔大王 仁和寺4

仁和寺に行ってから一週間した頃
友達に誘われて
滋賀県の佐川美術館に行きました。

特別展の「ZENGA(禅画)~白隠と仙厓」展を見ました。
白隠禅師のことはあまり知りませんでした。

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禅画展のチケット



白隠禅師は江戸時代中期に活躍された禅宗の僧侶です。
 「ZENGA~禅画」というのか、
 目がぎょろっとしたダルマさんの絵を
 たくさん描かれました。

なかなか味のある筆のタッチです。
人間的な味わいのある、勢いのある太い線が特徴です。

展示会場の最初の部屋に
白隠禅師の描いた観音図が並んでいました。
その中の一枚の観音図に私は注目しました。

観音像というと、たいていまっすぐに直立
していますよね。

その白隠禅師の観音図は座っていました。

山水画のついたてがある、中国風の部屋で、
机に巻物などの書物を並べて
お役人風を着た観音様が
椅子に座っていました。

その観音様が右手に巻物を持って
「これ」
という風に 観る側に差し出して見せていました。

観音様だけれども、
何かの役職についている
お代官さまであるかの
ような雰囲気。

この絵の横に小さな説明書きがありました。

分かりやすく解説します。・・・・・

この絵のタイトルは「十王図」です。

十王図と言うのは
閻魔大王が冥界にきた亡者を
裁くところを描いたf図です。

閻魔さまは亡者の所行を
逐一書いた巻物の書物を
片手に持って裁きます。

しかし、この絵は、
本来は閻魔さんを描くべき所に
この絵は観音さま
(それも白隠観音ともいうような)
が描かれています。

それはなぜでしょうか…。

それは
閻魔さんも観音さんも
「一所(同じ一つの所)」から発している
ということです。

つまり、閻魔さんも観音さんも
あらわれが全然違う、別物みたい
だけれども、元をたどれば同じである。
ということを表しているのではないか、

・・・・と書いてありました。



美しく、慈悲深い観音さまが
恐ろしい、地獄行きかどうかを裁く閻魔大王
同じものがある、ということです。
それはつまり、同じ、
「仏の世界の一端」を
表しているということですね。

私は思いました。

どちらも「人の心の弱さ」を取り扱っていますね。

観音さんは慈悲深く、人の痛み弱さを受け止めてくれるように思います。
閻魔さんは恐ろしく、人の弱さからくる狡さ見にくい所業を見抜いている感じがします。

どちらも、人の心というものをとことんそこまで見抜いているような感じがします。
それで、一つの元のところから出ている、ということですね。

もしかして、
観音様の優しさのなかに
閻魔様の厳しさがある、
ということなのかもしれません。


その後、この思いをふくらませるような出来事がありました。

たまたま写真家の堀出恒夫さんのスタジオに行った時のことです。

スタジオには「白隠禅画墨蹟」(二玄社刊)という本がありました。
豪華本で、10センチの厚みがあります!


物凄く分厚くて、ページ数が多く、綺麗な写真がたくさん掲載されていました。まるで美術館で売られている「図録」のようでした。

その写真はすべて、堀出さんが撮影された、ということでした。

白隠に関心を持ち始めた私としては、偶然の一致に驚いて、その「白隠禅画墨蹟」の本の中を見せてもらいました。


するとそのなかに佐川美術館で見たものとよく似た雰囲気の観音図がありました。「十界図」と言う題の絵でした。

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その絵の説明(解説は芳澤勝弘氏)によると

「この絵は地獄の閻魔庁と同じ構図で描かれた極楽世界を描いたものである」
とありました。

地獄ではなく、極楽世界を描いたものだというのですね!

観音菩薩は手に経巻を持って」左前の男に渡そうとしている。受け取った男が心に一大安心を得た表情でした。

「地獄も極楽も人間の心の鏡に映ったものに他ならず、その根源は阿頼耶識であり、これが地獄ともなり極楽ともなる。その阿頼耶識とは心である。つまり、『こころ』をテーマに描かれたのが『十界図』である」

あーこれは、興味深いなぁと思いました。


そこまで思ったら、ふと気づいたことがあります。

ひとというのは、弱さがあっても、
そこから強さや崇高な心が出てくることがあります。

もう一方では、
「そんなことをしてはいかんよ」というような
自分本位なことをしでかしたりします。

人というのは一つの事柄があっても、
それからどっちに転ぶか、

人それぞれというか、
その時のこらえようが足りないか、こらえられるか、
ほんのちょっとした「差」でしかなかったりします。

そこが人間の人間たるゆえんで、人の心の温かさと冷酷さ、
美しさと醜さが同居している、というふうなことを思いました。

続く