世界平和第二部 43話 耳塚の人々への祈り
縣祭(あがたまつり)の翌日に、私は宇治在住のTさんに会いました。
その時はたまたま世界平和第二部の15話(興聖寺3)の「織部さん」の回
https://yulilove.hatenablog.com/entry/2019/06/06/134534
を発表した頃でしたので、その話題が出ました。
Tさんは「古田織部さんの漫画『へうげもの』っていうの、ご存知ですか?」
と言いました。
私は織部さんの記事を書くにあたって、色々調べているうちにそういう漫画があるらしいことは知りましたが、なんとなく読まずにいました。
ネットで調べた時に出てきた「へうげもの」という漫画の図柄は
少女漫画ではなく、大人の男性むけの劇画タッチの漫画でした。
「これ、なんか凄い漫画なんやないやろうか。
ちょっとやそっとで読みこなせないような?」と思いました。
「あるらしいですね、読んでないんですが」と言いますと、
Tさんから
「それ、いいですよ。アニメになって放送されたんですよ。
アニメでもわかるけど、はしょってあるので、原作の漫画の方がいいですよ。
それみると、戦国時代のこともよくわかります。読まはるといいですよ」
と、勧められました。
それで、私はネットで「へうげもの」の中古本の全巻をまとめて購入しました。
数日後に「へうげもの」は届きました。
25巻までありました。それから少しずつ読んでいきました。
古田織部さんは、織田信長につかえて、「世界観の大きさ」を学び、
千利休にお茶の「わびさび」「数奇」を習い、豊臣秀吉の時代から
徳川家康の時代へと、お茶の「茶碗」で自分の世界を追求していく姿が描かれていました。
それだけでなく、位が上の者に睨まれたらそれで処刑されていく、非情さに、私は涙を禁じえませんでした。
いずれ朝鮮半島や中国に出陣しようと世界征服の夢を描いていたようです・・・。
このことは知りませんでした。
豊臣秀吉も、晩年に朝鮮に出陣の命令を下したのですが、
それは、秀吉のコンプレックスで、信長を越えなければならない
という執着に似た想いで、朝鮮出陣を命じた、とは知りませんでした。
秀吉は「サル」と呼ばれ、馬鹿にされている、落書きを書いた者を
みつけたら処刑した、というくだりは、聞いたことがあります。
実際「おい、サル」と呼ばれ続け、笑われ続けたら、どれだけ心が傷つくことでしょうか!
それにしても、晩年の秀吉の荒れようは、読んでいる私の心も痛みます。
朝鮮への出陣で、持ち帰った朝鮮人の兵士の方々の「鼻や耳」を「耳塚(鼻塚)」におまつりするくだりでは、そのむごたらしさに、目をそむけたくなりました。
しかし、実際に京都の町に「耳塚(鼻塚)」があります。
いつかしら「耳塚」というものが京都にある、と知って、でも怖い気持ちがしてそこには近寄らないようにしていました。
たまたまですが、その漫画を読むとは知らず、「へうげもの」を勧められる数日前に私は耳塚に行ったところでした!
(耳塚の説明看板)
というのは、耳塚の近くに知人宅があり、そこにお邪魔した時、
「そうだ、耳塚に行って手を合わせよう」と思って手を合わせてきました。
その時に「耳塚(鼻塚)」と書いてあり、耳だけでなく、鼻もか、と思いました。
なんと痛ましいことか、と思いました。
そのあとで「へうげもの」の漫画を勧められて、読むことになりました。
漫画の中では「たくさんの鼻」が描かれていました。
目をそむけたくなるようなことだけれど、それが日本の歴史にあったことだということを認識しなければならない、と思いました。
秀吉はコンプレックスのかたまりになっていました。
たくさんの武将を束ねて日本一の地位にいても、そのことで秀吉の心は満たされませんでした。
それどころか、自分がのぼりつめた道を今度は蹴落とされるかもしれない恐怖におののいていました。
秀吉は、栄華の道を登る途上で、どれだけ苦しんできたことでしょうか。
しかし、戦国大名に韓国出陣までさせるというのは無謀なことではないでしょうか。
そのことを責めてもしかたありません。
それより、その戦いで倭国の戦国大名に戦いを挑まれて、戦死した朝鮮の人々、耳や鼻を斬られてひどい目にあった人々へ、
私になにができるとも思わないけれども、せめて10日間お祈りをしようと決めました。
それで6月の終わりまでお祈りを続けることにしました。
秀吉の命じた朝鮮出陣の戦いで、犠牲になった人々、耳鼻を斬られて耳塚(鼻塚)に入っている方々の魂が癒されて、神仏の光明輝く世界におられますように。
世界が平和になりますように。
日々祈らさせて頂きました。
つづく