Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第三部051話 神がかったカラス(古墳2)

宇治神社の祭神の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の兄・大山守の命の古墳があるのを知ったのは、知人の話がきっかけでした。

 

知人はこの九月から異動があるという話をしていました。

 

異動先の場所を聞いて、私はスマホの地図アプリを開いて、それがどんなところにあるのかを調べました。

 

異動先の職場のまわりに神社やお寺がある時はお参りしておくといいのです。

 

東西南北四方をしらべて、なんとなく「関係ありそう」に感じる神社にお参りすることを勧めます。(神社が大きいとか、有名無名は関係ありません)

 

知人にお参りするといいだろうなと思われる神社が出てきたので、知人に見せて一緒にお参りすることにしました。

 

それは奈良高校の北側にあたる所でした。

 

どうやっていくか? 車で行く場合は駐車場があるのか、道が狭い所にあるのか、などを先にチェックしました。

 

行こうとしている神社のさらに北側に「大山守命の古墳」と書いてあるのを発見しました。

 

「え? ここの神社に行こうとしている所で、その神社の近くに大山守命の古墳だって!

大山守命って、宇治神社の祭神の菟道稚郎子さんのお兄さんで、大山守命が謀反を起こして郎子を亡き者にしようとしていたっていうことよね?」

 

調べてみると、そこに行った人のブログが出てきて、大山守命のことを調べて書いてあり、訪れた感じは静かでいい感じでした、と書いてありました。

 

「ということは、ここも行きなさい」ということだよねー。

 

ということで、すぐの日曜日に知人と行ってきました。

 

知人の運転する車に乗せてもらい、まず神社の近くにある薬局まで行きました。
薬局で買い物をし、車をそこに停めたまま神社まで歩いてお参りすることにしました。

神社のある地域の道はせまくて、慣れている人でないと無理なようです。

 

住宅地をしばらく歩いて山を登るような感じになってきました。

 

その時、道の右側に目にしたのが、神社の名前が彫ってある石碑でした。

その神社名の石碑の上に、まるで飾りのようにカラスがとまっていました。

 

ええ? カラスが!?

 

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あまりにもぴったりなので、本物のカラスか、飾りのカラスか、どっちだろうか、と思いました。

 

そのカラスの雰囲気は、ヤタガラスというか、もしくは

神話の神武天皇の絵によく描かれている

「弓にとまった『金色のトンビ』」

(戦敵の長脛彦が、黄金の光のあまりのまぶしさに、目をくらまして負けたという話です)

と言ってもいいような、

 

堂々とした神がかった感じがしました。

 

あまりのすごさに、写真をとろうかとスマホを探したとたん

カラスは「カー」と鳴いて飛んでいきました。

 

「意味は解らないけど、もしかしたら何かのメッセージだったのかも。

だって、あんなに、ありえないよ。

あんな見事にオブジェみたいに完璧な位置に

カラスがいたよ。

銅像みたいに完璧だったよね。」

と知人と 話しながら歩き、目的の神社に

たどりつきました。

 

神社は地域のひとに愛されているような感じがしました。
そこから古墳までは、もう一度車をとめたところまで歩いてもどり、
古墳の近くの住宅地までいくことにしました。

 

続く

第三部052話大山守命の墓(古墳)(応神天皇の家族3)

大山守命が葬られている古墳があるのを発見したのは、偶然でした。

 

知人が、「今秋から、仕事のお得意先の会社が新しく加わるんだ」という話をしていました。

私は「それってどこにあるの?」と尋ねました。

地図で見たついでに、その付近をちょろちょろ眺めて「ふぅん、ここにこんな神社もあるのね。」と言っているうちに

 

マップに「大山守命の古墳」と書いてあるのを発見しました。

 

場所は奈良教育大学付属中学の北側です。

 

すぐに主人に「この近くまで車で乗せていってほしい」と頼みました。

 

たまたまですが、数日後の日曜日に私も主人も予定があいていましたので、二人で車に乗っていきました。

 

古墳の近くにはコインパーキングがなかったため、道端に車を停めて、主人は車のなかにいて、私だけで古墳まで行きました。

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古墳は住宅地の中に唐突に現れました。

 

古墳の参道は松が植えられていて、小さいですが、綺麗でした。

参道を歩くと私のまわりを蝶がひらひらと飛び回りました。

 

大山守命という方は、古事記日本書紀でも地味な扱いなので、余り訪れる人はいないかもしれません。

しかし、綺麗でした。

 

歩いて行くといい香りがしました。

 

二か月ほど前奈良の「神武天皇社」にお参りした時と同じような「高貴な方々の香り」とでもいうような、いい香りがしていました。

 

手を合わせました。

 

「思い通りにならなかった」という言葉が聞こえたような気がしました。

 

私はその声に向かって語りかけました。

 

「あぁ、大山守命さんは天皇になりたかった、というよりは、皇太子に選ばれたかった、

お父さんに認められたかった、という思いが叶わなかった、思い通りにならなかったんですね。」

 

するとその声は言いました。

「『思い通りにならなかった』という人生を生きた。」

 

「あー、思い通りにならない人生、というのを生きられたんですね。」

と私は心の中で言いました。

 

「そうだ。

 でも、もういいのだ。

 そういう人生だったのだ。

 そなたも『思い通りにならなかった』という思いをもっているのではないか?」

と声は言いました。

 

「はい、私も『思い通りにいかない』とか『思い通りでない、悔しい』という思いを何度も味わいながら生きてきました。」

と答えました。

 

すると声は言いました。

「そうだ、『思い通りにならない』というのは『思い』だ。」

 

「え? それはどういう事だろう?」

と思った時

頭の中がふっと明るく、軽くなったような気がしました。

 

その時頭の中が洗われたような気がしました。

 

「思い通りである、とか、思い通りでない、とか考えなくてもいい。

 思い通りだとすべていいか、というと、そういう事はない。

 思い通りでなくて、かえって良いこともある。」

 

というような感じがしてきました。

 

頭の中に「思い通り」に固執するような思考がわいてこなくなりました。

 

大山守命さんが

「これでいい」と言ってにこにこしているような気がしました。

 

その時、参道を歩いていた時にひらひらと飛んでいた蝶が古墳の中をひらひらと飛んで行くのが見えました。

 

「思い通りでない事が悔しい」と思って兵をあげようとした大山守命さんはそれがきっかけで命を落とされました。

亡くなってから「あぁ、そうか」と学ばれたのでしょうね。

 

このことについて、53号でもう少し詳しく書いています。
続く

 

第三部50話 兄弟なのに(古墳1)

私は世界平和シリーズの記事をこれまで二年半かかって書いてきました。

 

世界平和の祈りをささげ、古代の歴史に埋もれた痛ましい思いをした神霊などの声をきいて癒す旅を続けてきました。

古代の戦いで敗れた先住民の方々や、政治の力関係でひどい扱いを受けた高貴な方などの魂の声を聞いてきました。

 

その始まりは「宇治神社」でした。

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宇治神社

しかし、私は忘れていました。

菟道稚郎子(うじのわき いらつこ)」という自害された、応神天皇の皇子の物語に、もう一人の皇子がいたことを。

 

その人の名は「大山守命(おおやまもりのみこと)」です。
大山守皇子(おおやまもりのおうじ)と表記している文献もあります)

 

ある時、大山守命は父親の応神天皇に呼ばれました。

行ってみると、大山守命をはじめとする兄弟が、父の元に集まっていました。

 

大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。後の仁徳天皇)と、末弟の菟道稚郎子もいました。

 

そこで父の応神天皇は言いました。

「この中でわしが一番かわいいと思っているのは誰だと思う?」

 

(こんな質問をする父親も父親だ!)

 

応神天皇は末弟の菟道稚郎子をたいそう可愛がっていました。

学があり、海外からきたワニ博士に儒教をしっかり学んでいました。

それがお父さんのお気に入りでした。

 

大山守命は何も言えませんでした。

 

気を利かせた大鷦鷯尊が

「一番若いもの(郎子)が可愛いものでしょう」

と答えました。

 

お父さん応神天皇は「うむうむ」とうなずきながら、言いました。

 

「わし亡きあとの、次の天皇になる『皇太子』は、菟道稚郎子だ。

そしてお前は山林と川をしっかり護るのだ。

お前の名は『大山守命』だ。」

 

天皇の言うことは絶対でした。

大山守命は、自分が皇太子になれなかったことが悔しいと思いました。

 

「おれは、父ちゃんに認めてもらっていない。

 くそ、父ちゃんはいつでも郎子、郎子と言う。

 あいつさえいなければ」

 

と思っていました。

 

天皇崩御したのち、郎子が天皇の地位につく前に、郎子を暗殺してしまおうと兵をあげました。

しかし、それを知った大鷦鷯尊は菟道稚郎子に「おまえ、大山守命に狙われているぞ」と告げ、川で兵と共に潜んでいる大山守命は郎子に兵をあげる寸前で殺されてしまいます。

 

大山守命は平城山にほうむられた、ということです。

 

宇治神社天皇の位を兄大鷦鷯尊に譲ったとされる「菟道稚郎子」が祭神です。

そして宇治上神社は、その父の応神天皇と、天皇の位を譲られた仁徳天皇(大鷦鷯尊)と菟道稚郎子の親子三人が祭神です。

 

その時、「もう一人の兄弟・大山守命はどうなった?」と誰も思わないのかもしれません。

 

菟道稚郎子の命を狙ったんだから悪い兄だから、一緒にお祭りなんかできないよ」

ということなのかもしれません。

 

私もなんとなく、そう思っていたふしがあります。

 

でも本当にそうでしょうか?

 

実は行ってきました。

大山守命のお墓(古墳)に行ってきました。

続く




第三部049話 空海、長安を思い起こす(空海の動画)

高天彦神社の動画をアップしてから

その次に取り組んだのは弘法大師空海のシリーズです。

 

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中国の湖と栁



第一作目を発行したのは七夕です。

空海1 こどもの頃からすごかった!
https://youtu.be/R8vw3vIpEl0


それから一か月経ちました。

 

七作目ではこんな内容です。

弘法大師空海7 恵果和尚の遺言

https://youtu.be/Mm8d3y8KwRs

師・恵果は、空海さんに

「早く日本に帰って密教の法を弘めなさい」

と言って亡くなられました。

 

空海さんはその言葉を忠実に守って

帰国後日本で密教を弘めました。

後に「弘法大師」という名を
天皇から頂くに至ったのです。

 

その事を「すごい」と

新たに思いました。

 

八作目にとりかかったある夜のことです。

【漫画】弘法大師空海8 皇帝と空海

https://youtu.be/s9IuHQPQ_-w

 

夢の中で私は空海さんの心と

繋がっていたようでした。

 

空海さんは、

遣唐使として訪ねた国際都市・長安

日本に帰ってから思い出しているようでした。

 

その街ではありとあらゆる国の、

ありとあらゆる民族が、

共存していた。

 

青や緑色の目、白い肌の人々、

黒い目、褐色の肌の人々。


髪の色も形も色々で、

多種多様の人々がいた。

 

建築物も宗教も多種多様で
違っていても、共存しあっている。

 

日本に帰ってきてから空海さんは

「自分の家」「自分の国」という感覚が希薄になり、

心は長安に置いたままでした。


密教の「宇宙」から自分を見る視点を持ち、

個をこえる感覚になると、

世俗の世知辛い人政権争いが本当に

ばかばかしく思えてならなかっただろうと思います。

 

長安の文化が華開いた世界にいて、

日々漢詩を詠んでいた時が夢のように思う。

 

まだ日本は「おのれ」だけが大事な感覚の者が多いようで。

 

つまらない「政権争い」は日常茶飯事。
天皇」の気に入らない者は左遷される。

天皇だけでなく、日本の政治の現場では

「自分の家族だけ」

「自分の土地だけ」

「自分の宗派だけ」

「自分の寺だけ」が大事なままで、

互いに噛みついている。

 

このままでは互いに殺し合って、

国が滅びるな…。

 

空海さんは思ったようです。

 

密教では大日如来から始まる宇宙の広さ、

世界の広さを語ります。

大日如来は多種多様に変化し、様々に働きます。

その多様性がいかに素晴らしいか、

 

空海さんは感じたようです。

 

「多様性」の世界では、「他」を受け入れる。

 

つまり、自分とは異なる人・生き方・文化を受けいれて

「全ては同じ、大日如来の現れである」

と見通す目があり、そう見る意識があれば、

「平和」を生み出す。

 

だからこそ、空海さんは「神道」とも手を結びました。

 

だからこそ、空海さんは全ての仏教の宗派を批判しませんでした。

 

全ての仏教の宗派はすばらしい。

そして、密教はとりわけすばらしいと語っている。

 

空海さんは言いました。

 

自分の命がつきても、密教が生き残り信仰される構造を作らねばならぬ。

誰が見てもわかるように。

学問がある者もない者もわかるように、絵や彫像でわかるように。

 

それは立体曼荼羅

 

二つの曼陀羅をそれぞれに作ると、いずれ分裂し、その間に戦いが生じる。

 

だから両部の曼荼羅は混在し、それでいて調和するように作らねばならぬ。

 

それは現実の世界でも

異なる民族

異なる考え

異なる派閥の者がいても、調和していける、ということを現すために。

 

それがこの国を活かす最高の方法。

 

教王護国寺(東寺)に立体曼荼羅を作る。

 

それは美しく調和したものでなければならない。
そうでないと人々にたちまち飽きられるだろう。

 

色、雰囲気、表情で表す。

 

高野山と京の都の教王護国寺(東寺)で、日本人の精神構造の改革を企画!

 

密教曼荼羅の世界を見事に作り上げる。

 

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空海は自分の心の中にある光を見つめ

 

それは奇跡体験であり、

それは恵果和尚の広い心。

「私に何もかもを与えてくださった。惜しみなくなく私に全てをくださった。

 その思い切りのよさ・・・」

 

空海さんは何度も心の中の師に問いかけた。

「恵果和尚にいただいた真言密教

私はそれに見合うだけの働きができていますか?

恵果和尚、私はあなたからいただいたものを

一つも無駄にすることなく、活かしきっていますか?」

 

事実、空海はすべてを私物化することなく、公のために活かしきり、

後世のために綺麗に整理して残した。

 

それがすごいなと思いました。

 つづく

第三部048話 人間に戻って昇天(高天彦神社の動画2)

高天彦神社の蜘蛛塚、蜘蛛窟のことを思い出していたら

 

踏みにじられて「土蜘蛛」と呼ばれた人々が、
蜘蛛から人間に戻って天に昇っていかれた夢をみました。



実はそれに似たことがありました。

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2018年マツモト・フェスティバルの会場



二年前、2018年の夏に、主人と二人で

長野県松本市小澤征爾さんのクラシック音楽

フェスティバルに行きました。

 

その時、

早い目に到着したので、

松本市四柱神社にお参りしました。

 

神社のお参りのあと、鳥居のすぐ近くにある

「戦っているカエル」のモニュメントを見て、

なんと、グロイことか・・・と思いました。

 

それも何かの戦いが関係していると

感じて、主人と二人で祈りました。

 

祈った後、小澤征爾さんの
世界的音楽祭のコンサートに行きました。

 

オーケストラの演奏を聴いている時、

会場の座席中から

たくさんのカエルがでてくるのが見えました。

 

カエルたちは

「カエルにされていたんだ、人間に還れてうれしい」

と言いながら、

江戸時代の市井の人々の着物姿に変身しました。

 

(私には馴染みのある時代劇

「遠山の金さん」「水戸黄門」の番組の雰囲気です)

 

そして人々が天に召されていくを目撃したことがありました。

 

そのカエルから人間に戻って昇天していく姿と

 

今回の高天彦神社の

蜘蛛から人間に戻って昇天していく姿が

似た雰囲気でした。



今回は「高天彦神社」の境内の「蜘蛛塚」と

近くの「蜘蛛窟」のことを動画にします。

 

実際にお参りしてお祈りした時から

二年がたっているのだけれど、

霊界とか神様の世界は時空を超えているのでしょうか。

 

まるでお参りした時であるかのような、リアルタイムで、

蜘蛛にされた人々の苦しみと葛藤、それから解放された喜び、

というのが身体で伝わってきました。

 

これは漫画動画にすると、どういう風になるんだろうか、

分らないけど、頑張って描こうと思います。

 

のち、無事動画になりました。

 

リンクをつけておきます。

 

①高天彦神社の神様の説明をしています

「神社でふしぎな体験をした話12 造化三神」

 

 

②高天彦神社の 二つの伝説の説明をしています

「神社でふしぎな体験をした話13 高天彦神社」

 

 

③高天彦神社で「先住民」をまつっている

「蜘蛛塚」「蜘蛛窟」で祈りました。

「神社でふしぎな体験をした話14 先住民への祈り」

その祈りが伝わった奇跡の体験を動画にしています。


つづく

第三部047話 たくさんの蜘蛛が人間に(高天彦神社の動画1)

二年前、2018年の4月24日に、奈良の御所(ごせ)市の「高天彦神社」に行きました。

 

私は世界平和シリーズ第一部ブログに書いたことをyoutubeに漫画動画化して、順番に描いてアップしていきました。

 

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高天彦神社の絵(動画の中の一部)

 

書いたことは簡単に言うと次の通りです。

 

竈山神社めぐりは一段落して、次に、造化三神とよばれる、宇宙最初の神様の二番目のタカミムスヒの神様にお参りしよう、として、高天彦神社にいくことにしました。

 

行く前夜になって、高天彦神社のもう一つの面を知りました。

 

実はそこは神武東征で地元に住んでいた方々を「土蜘蛛」と称して、神武天皇側が皆殺しに近い形で殺してしまい、その人々を土を掘って埋めてしまった、というようなことが日本書紀に書かれているという・・・。

 

そこの場所を長年、その地域の方々が弔ってきました・・・ということが書かれているウェブサイトをみつけて知りました。

 

行ってみると、境内に蜘蛛塚があり、それだけでなく、境内から少し離れたところに、蜘蛛窟という、弔ってあり、お祀りされている場所がありました。

蜘蛛窟のところに、由来・歴史が説明してあるものが張ってありました。

 

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高天彦神社の蜘蛛窟の張り紙

日本書紀にはおおむね「神武天皇三年の時に、長脛彦が率いる、長脛族のことを土蜘蛛と称して、神武天皇側が殺して埋めたんだ」というような事が書いてあるそうです。
その地域の方々が代々、祖先の「塚」を大切に弔ってこられた、ということも書いてありました。

そのことを第一部の世界平和の記事に書きました。

(読まれたい方は
↓こちら。
↓紙の書籍でも電子書籍でも可能です)

それで

「順にあげていった漫画動画の『次の回』は、その高天彦神社のことになるなぁ。」

と思いました。すると、急に眠くなりました。

 

「たかまひこじんじゃ」と思うと、身体は温かくなりました。

そして、神社の神様と思われる方が見えました。

 

神社の宮司さんは神社でのご祈祷の時、「大幣(おおぬさ)」とよばれる白いふさふさしたものをふるわれますよね。

 

夢の中では、神社の神様と思われる方が大幣を左右に大きくふるって、

おはらいがおこなわれました。

 

その時、辺りが暗くなりました。

 

そこに蜘蛛窟が浮かんできました。

 

蜘蛛窟から大量の蜘蛛が出てきました。

蜘蛛窟の穴から、大量の蜘蛛が地面をはいずって出ていきました・・・。


「こんな大量の蜘蛛を見るのは初めて・・・」

と、おどろきました。

不思議なことに、それを見ながらぞっとしませんでした。

 

蜘蛛は物凄い沢山地上に出てくると、やがて

「我々は蜘蛛にされていたんだ」
「私達は元々人間だった」

と言って、人間の形に戻られました。

「あぁ、人間に戻れてうれしい」と言いながら、
多くの庶民的な姿に戻った人々は喜んで森をかけまわりました。

彼らは互いに手をつなぎ、
「私達、また会いましょうね。」
「はい、またいつかどこかで会える」と言って消えていきました。

天にのぼっていかれたのでしょうか。

 

続き

 

第三部046話 「ごめんなさい!と謝る」(元伊勢の始まり6)

「元伊勢」の始まりのことをふりかえり、
天照大神さまは崇神天皇に向かって
感じておられたことはこうではない?
言いたかったことはこうではないか?
ということを
素人ながら勝手に考察していきました。



天照大神さんの力が強すぎるから、

皇居から出るしかなかったんやでーー」

という書き方では、まるで

天照大神さんが悪いみたいですよね。



実際には天照大神さんは確かに強い力を

発揮されますが、

天照大神さんの力は微細にも働きます。

 

だから、天照大神さんも崇神天皇

一言、言いたかったのかもしれません。

 

言いたかったことは、
まとめてみると
こういうことになるんじゃないかなぁと

思います。・・・書いてみます。

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太陽 pixabayより



「まるで自分は悪くない、みたいな

 書き方をして。

 崇神さん、あんたはずるいわ。

 

 私が悪いんやないで。

 大物主神を崇めて、私をほうりだす

 なんて、あんたは飽きっぽいんや。

 

 私のことは作らせた鏡を通してでいい、って

 いうのは何や。

 

 そんなことしたら、あんたは伊勢神宮

 お参りできひんでー。

 

 謝りに来い。」



 実際には、明治時代に入って、

明治天皇伊勢神宮にお参りをしました。

それまでは皇居の中の賢所天照大神さまを

お祭りしていて、伊勢神宮はお参りしなかった

そうです。

 

(ただ一人、女性の天皇持統天皇だけは

 お参りしたそうですが)

 

天照大神八咫鏡を恐れ、

 

それと似た鏡をつくらせて

宮中でお祭りするから、

どうか八咫鏡は、わし(天皇)に近づけるな、

 

と言って恐れたのでしょう。



天皇は代々即位される時に

即位の礼」の式典とは別に

大嘗祭」の式典をおこないます。

 

天照大神におでましいただいて、

米やひえ、あわなどをふるわれて

召し上がっていただきます。

 

そして即位の挨拶をされるそうです。

 

その時にきっと

天照大神さま、

私のはるか先祖の崇神天皇の時は
すみませんでした。」

と、一言 心の中で
謝ってほしいんやろうなぁ

 

と思いました。

 

大嘗祭で間に合わなかったら

新嘗祭でもいいのでは?

・・・
でも、今の天皇に代わりに謝ってほしいか?
というとそうでもないようです。


天照大神様、
気分を害させて踏みにじってしまいました。
私が悪かったです。
ごめんなさい。」
と言うのを
私がかわりに謝ってみました。

 

すると「腹水、盆にかえらず」という
言葉が浮かんできました。

 

おこったこと、なしたことは
なかったことにはならない。

 

起こる前には戻らないのだ。

 

謝ってみると、

私も含めて人間というのは、

自然を壊したり色々なことを

しでかしながら生きていますね、

すごい自然界や神様に迷惑をかけて

生きてきていますね。

 

まるで親にすごい世話にならないと

大きくならない赤子のように

 

人間っていうのは、ほんとうにどうしようもない。

 

謝って許してもらって、愛されて

生きていくことしかできない。

 

人は親に対しても

神様に対しても同じこと、なのかもしれない。

 

謝って、

「もういいよ。あなたもここまで大きくなったね」と

許してもらって愛されて、受け取って生きる。

その繰り返しなんだな~

と思いました。

 


つづく