第三部052話大山守命の墓(古墳)(応神天皇の家族3)
大山守命が葬られている古墳があるのを発見したのは、偶然でした。
知人が、「今秋から、仕事のお得意先の会社が新しく加わるんだ」という話をしていました。
私は「それってどこにあるの?」と尋ねました。
地図で見たついでに、その付近をちょろちょろ眺めて「ふぅん、ここにこんな神社もあるのね。」と言っているうちに
マップに「大山守命の古墳」と書いてあるのを発見しました。
場所は奈良教育大学付属中学の北側です。
すぐに主人に「この近くまで車で乗せていってほしい」と頼みました。
たまたまですが、数日後の日曜日に私も主人も予定があいていましたので、二人で車に乗っていきました。
古墳の近くにはコインパーキングがなかったため、道端に車を停めて、主人は車のなかにいて、私だけで古墳まで行きました。
古墳は住宅地の中に唐突に現れました。
古墳の参道は松が植えられていて、小さいですが、綺麗でした。
参道を歩くと私のまわりを蝶がひらひらと飛び回りました。
大山守命という方は、古事記や日本書紀でも地味な扱いなので、余り訪れる人はいないかもしれません。
しかし、綺麗でした。
歩いて行くといい香りがしました。
二か月ほど前奈良の「神武天皇社」にお参りした時と同じような「高貴な方々の香り」とでもいうような、いい香りがしていました。
手を合わせました。
「思い通りにならなかった」という言葉が聞こえたような気がしました。
私はその声に向かって語りかけました。
「あぁ、大山守命さんは天皇になりたかった、というよりは、皇太子に選ばれたかった、
お父さんに認められたかった、という思いが叶わなかった、思い通りにならなかったんですね。」
するとその声は言いました。
「『思い通りにならなかった』という人生を生きた。」
「あー、思い通りにならない人生、というのを生きられたんですね。」
と私は心の中で言いました。
「そうだ。
でも、もういいのだ。
そういう人生だったのだ。
そなたも『思い通りにならなかった』という思いをもっているのではないか?」
と声は言いました。
「はい、私も『思い通りにいかない』とか『思い通りでない、悔しい』という思いを何度も味わいながら生きてきました。」
と答えました。
すると声は言いました。
「そうだ、『思い通りにならない』というのは『思い』だ。」
「え? それはどういう事だろう?」
と思った時
頭の中がふっと明るく、軽くなったような気がしました。
その時頭の中が洗われたような気がしました。
「思い通りである、とか、思い通りでない、とか考えなくてもいい。
思い通りだとすべていいか、というと、そういう事はない。
思い通りでなくて、かえって良いこともある。」
というような感じがしてきました。
頭の中に「思い通り」に固執するような思考がわいてこなくなりました。
大山守命さんが
「これでいい」と言ってにこにこしているような気がしました。
その時、参道を歩いていた時にひらひらと飛んでいた蝶が古墳の中をひらひらと飛んで行くのが見えました。
「思い通りでない事が悔しい」と思って兵をあげようとした大山守命さんはそれがきっかけで命を落とされました。
亡くなってから「あぁ、そうか」と学ばれたのでしょうね。
このことについて、53号でもう少し詳しく書いています。
続く