第三部50話 兄弟なのに(古墳1)
私は世界平和シリーズの記事をこれまで二年半かかって書いてきました。
世界平和の祈りをささげ、古代の歴史に埋もれた痛ましい思いをした神霊などの声をきいて癒す旅を続けてきました。
古代の戦いで敗れた先住民の方々や、政治の力関係でひどい扱いを受けた高貴な方などの魂の声を聞いてきました。
その始まりは「宇治神社」でした。
しかし、私は忘れていました。
「菟道稚郎子(うじのわき いらつこ)」という自害された、応神天皇の皇子の物語に、もう一人の皇子がいたことを。
その人の名は「大山守命(おおやまもりのみこと)」です。
(大山守皇子(おおやまもりのおうじ)と表記している文献もあります)
ある時、大山守命は父親の応神天皇に呼ばれました。
行ってみると、大山守命をはじめとする兄弟が、父の元に集まっていました。
大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。後の仁徳天皇)と、末弟の菟道稚郎子もいました。
そこで父の応神天皇は言いました。
「この中でわしが一番かわいいと思っているのは誰だと思う?」
(こんな質問をする父親も父親だ!)
学があり、海外からきたワニ博士に儒教をしっかり学んでいました。
それがお父さんのお気に入りでした。
大山守命は何も言えませんでした。
気を利かせた大鷦鷯尊が
「一番若いもの(郎子)が可愛いものでしょう」
と答えました。
お父さん応神天皇は「うむうむ」とうなずきながら、言いました。
「わし亡きあとの、次の天皇になる『皇太子』は、菟道稚郎子だ。
そしてお前は山林と川をしっかり護るのだ。
お前の名は『大山守命』だ。」
天皇の言うことは絶対でした。
大山守命は、自分が皇太子になれなかったことが悔しいと思いました。
「おれは、父ちゃんに認めてもらっていない。
くそ、父ちゃんはいつでも郎子、郎子と言う。
あいつさえいなければ」
と思っていました。
父天皇が崩御したのち、郎子が天皇の地位につく前に、郎子を暗殺してしまおうと兵をあげました。
しかし、それを知った大鷦鷯尊は菟道稚郎子に「おまえ、大山守命に狙われているぞ」と告げ、川で兵と共に潜んでいる大山守命は郎子に兵をあげる寸前で殺されてしまいます。
大山守命は平城山にほうむられた、ということです。
宇治神社は天皇の位を兄大鷦鷯尊に譲ったとされる「菟道稚郎子」が祭神です。
そして宇治上神社は、その父の応神天皇と、天皇の位を譲られた仁徳天皇(大鷦鷯尊)と菟道稚郎子の親子三人が祭神です。
その時、「もう一人の兄弟・大山守命はどうなった?」と誰も思わないのかもしれません。
「菟道稚郎子の命を狙ったんだから悪い兄だから、一緒にお祭りなんかできないよ」
ということなのかもしれません。
私もなんとなく、そう思っていたふしがあります。
でも本当にそうでしょうか?
実は行ってきました。
大山守命のお墓(古墳)に行ってきました。
続く