第三部062話 お掃除で気づいたこと(内宮古殿地清掃奉仕5)
内宮の御正宮の古殿地でお白石の上にいっぱい杉の小枝や葉が落ちていました。
お白石が敷き詰められているところから、にょきっと桧だか杉だかの木の若芽が伸びているところがありました。
案内人は説明しました。
「これはこのまま放置しておくと、こーんな大きな木になってしまいます。
ここは時期がきたら、また新しい御正宮の建物を建てるので、大きな木が生えてしまったら困ります。
ですからこれは抜いてしまってください」
参加者の笑いを誘いながら、掃除のあらましを説明してくれました。
掃除を始めました。
はじめは懸命に、白石の上にふりかけたように散らばっている木の枝葉を拾っていました。
30分ほど経った時に休憩しました。
その時、私は気づきました。
私はずっとリュックを背負ったまま、掃除をしていたのです。
リュックは足元に置いておけばいいのに、そんな事に全然気づかず、集中して掃除していました。
リュックを足元に置いて、掃除の後半時間になりました。
私は掃除のやり方を変えることにしました。
お白石の上にちらばっているものを拾うだけでなく、お白石をどかして、その下に入り込んでいる、将来芽を伸ばすであろう芽というか種のような事を拾って、お白石を元に戻す、という作業をし始めました。
その作業をしているうちに、これが私のセラピスト根性の現れだ、と気づきました。
上辺の掃除をある程度したら、その下部にあるものを取り除く。
つまり、人の話を聞いて「こういう事で困っているのですね」と受け取ったら、
それだけで終わらず、さらにつっこんで
「その現象が起こっているのは、どういう心理が原因なんだろう?」
という、隠された原因、心の奥の気持ちを知ろうとする・・・。
セラピストとしての「奥に隠されたもの」を目指し、根本治癒となるように、という職業病?のようなものが、ここで現れたなぁ、と思いました。
それだから偉いとかそういう問題ではなく、
なんか、そうしたくなる、というのがあるなぁと思ったのです。
掃除が始まって一時間が経った頃、案内人が戻ってきました。
参加者のみんなで集まり、掃除していた所をふりかえった時、
お白石の敷いてある場所がきれいになっている、と感じました。
掃除をしている間は、
「あそこにゴミがある、あぁ、あそこにもある、ここにもある」
という風に見ていて、
まだまだ掃除が足らないと感じていました。
それでも、離れてみたら、初めより綺麗になっていました。
その時思いました。
掃除を始める前に、「うわぁ、いっぱいある」と思いましたが、
掃除をしていると、それなりに綺麗になっていくのですね。
完璧を求めていると、「まだまだ」ですけど
でも客観視すると「進歩、進化」したということがわかります。
私は今まで完璧を求めていたんだなぁと気づきました。
完璧を求めているんだ、とその時は気づかないのです。
「これくらいやって当たり前なんだ」と思って自分を追い込んでいるのです。
どれだけたくさんのやることがあっても、やってみたらやった分だけ進んでいるんですね。掃除だって、掃除した分だけ綺麗になります。
そう考えたら、途方もなく多いことに取り組む時でも、それなりに進歩したことを受け取れるなぁと思いました。
そんな風に考えたことは今までありませんでした。
今回の内宮の御正宮の古殿地のお掃除研修は、私にとって、これが気づきであり、天照大神様からの大きな祝福だと思いました。
続く