世界平和第二部61話(元出雲9)自分の思い通りに
ここまで体験してきたことをふりかえって書いたところで
「大国主命さんからのメッセージは何だったのだろうか?」
と思いました。
古事記によると、大国主命はたくさんの兄がいて、そのお兄さん達から苛められて何度も死にそうな目にあいます!
しかし、そのたびに助けてくれる女性がいて、生き延びます。
他に、因幡でうさぎを助けた話は有名です。
(白うさぎだということですが、梅原猛さんの本によると、
実際は素兔、と書いてあるそうです。白というより素だそうです)
スサノオのみことの娘さんと仲良くなり、スサノオから何度も死にそうな目に遭いますが、スサノオの娘さんの知恵で助かります。
少彦名命と一緒に日本中をまわり、国を平定しました。
一つの団体や企業をひとまとめにするのはなかなか大変なことです。
色々な意見が出てきてまとまりにくいです。
それを大国主命は少彦名命と一緒に、医薬の技術や色々な人のご縁や戦いなどで、国をひとまとめにしていった。これは大変なことです。
名前がそのまま、大きな国の主であるとついています。
そこまで成し遂げ、これからその国を治めて行く、という時に、そこを譲らなければならなかったのは大層悔しかったことだろうと思われます。
大国主命は、天照大御神の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となった、という。
それで大国主命は
「私はさからわず、この国はすべて譲ります。(略)
この国の行く末を見守ります。」
と言ったということになっています。
大国主命は、国を譲って、国を見守ると言いますが、
本当は「恨んで」いないだろうか? と思います。
ここで「恨む」という字に注目すると
御殿が建てられた「根の国」(出雲の国とされる)の
「根」という文字と
「恨む」という字が
非常に良く似ていることに気がつきました。
思い通りにならなかった、と思うことで、恨みや痛みの気持ちはわいてきます。
悔しくても、退いて、神様レベルのあの世(冥界)の主になられました。
神様でさえ、思い通りにならないことがあるのですね。
生きるということは思い通りにならないこと。
私は、思い通りにならないことがかえってプラスに働く、ということも今まで経験してきました。
もしかして「思い通りになるように」祈願しなくてもいいのかもしれない。
大国主命の国譲りは、
天照大神が自分の子に「国」を治めさせたい
という「思い」を「思い通りに」させようとした結果、
この「思い」は自分のエゴであり、「思い通りにさせよう」とした行為は、わがままな権力の行使であり、迫害とも見えます。
「自分だけ」「自分の身内だけ」をかわいがり、相手のことを考えようとしなかったことがこのような結果になりました。
もしかして、この「神話」は、最高位を与えられている天照大御神に超わがままな役をさせることで、権力をもった者は無意識に他人に迷惑をかけてしまうことがありますよ、ということを教えているのかもしれません。
ここまで書いてきて、ふと伊勢神宮での正式参拝で「個人的な願い事をしないでください」と言われた事を思い出しました。
また伊勢神宮の内宮への早朝参拝では
「内宮正宮はご挨拶をしに行くところ。
世界平和のお祈りなら祈願してもいいです。
個人的なお願い事がある人は荒魂をお祭りしている荒祭宮で
これこれを致します、と宣言をしてください。」
と言われたことを思い出しました。
もしも個人的な「思い、願い」を持つならば、自分だけの幸せではなく、
一緒に関わる相手の幸せも祈るのが本来なのではないだろうか?
自分と相手の両方が幸福になっていく道をさぐることです。
それが世界平和の道なのではないかと思います。
順序は前後しますが、
出雲大神宮に主人と一緒に(一回目の)参拝した翌日に、
ある郵便物が届きました。
続く