Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和シリーズ第二部059話(元出雲7)まるで待っていたかのように

二度目の出雲大神宮参りです。

「出雲神社前」でバスを降りると、目の前に「出雲大神宮」の鳥居が見えました。

 

前回は月曜日で、今回は同じ週の土曜日。

一週間も間を開けずに、二度目のお参りです。

この二回目はとてもスムーズにたどりつけました。

 

 

参道を通り、本殿までたどり着いた時、まさに宮司さんによる「毎朝のご祈祷」のような雰囲気の祝詞が始まりかけていました。

 

まるで私が到着するのをわかっていて、待っていたかのように、です。

私はすぐに二礼二拍手一礼をして、手を合わせて祈りました。

 

宮司さんの祝詞が終わり、ご祈祷の太鼓も終わった後、私はそのまま手を合わせて祈りました。

 

大国主命三穂津姫命。夫婦の二柱。だから『日本一のえんむすび』ということなんだな」

 

と思っていると、こんな声なき声が胸に響いてきました。

 

「縁というものは よきかな」

 

それを聞いて思いました。

 

「あぁーそうだ、ご縁があるからこそ出会える。

えんむすびは よい事だなぁ。

人と人の縁は大事にしないとなぁ。

あ、そうだ。

 

自己評価が低い人が、人に会った時に

やたら『自分は人に迷惑かけてしまう』と思って、

関係性を作ることをしりごみしたり、

 

『私はすぐ人から迷惑かけられてしまうから疲れるわ』

と考えて人と会うのをけむたがったりするのは、

 

やはりご縁を大切にしていないってことになるのだなぁ」

 

と思いました。

 

そしてさらに、

「そうか、

疲れているだけで夫婦仲がこじれてくる人がいる一方、

二人の関係を大切に、と思っていると、

疲れていても仲良くしていけるんだなぁ」と思いました。

 

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2匹の蝶

大国主命さんは奥様の三穂津姫命とひきさかれ、一人で出雲の国の杵築宮(きづきのみや)に隔離されたものだから、余計に、ご縁は大事にすべきだと感じているのではないだろうか。

 

 

ここで初めて「杵築宮」というものが出てきます。
実は有名な出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」という名前で称していたそうです。

江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされます。

 

(参照サイト:出雲大神宮ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE

 

 

お参りを終えてから、社務所の前の並んでいるお守りを見ると、桐の箱に入ったものがありました。

見ると「国常立尊守り」と書いてあり、それは他のお守りより立派な感じがしました。

 

社務所の人に「このお守りだけ箱に入っている、というのは、これは何か特別なお守りなのですか?」と聞いてみました。

 

社務所の人は箱のふたを開けて中を見せてくれました。

立派な風格のある感じのお守りが入っていました。

「これはこの奥にあります、国常立尊の神様のお守りです。」という説明でした。

 

それを聞いて、この前の一回目のお参りの時のことを思い出しました。

(54話参照)

主人と一緒に山道のようなところを歩いて行って

一番奥に「国常立尊」の祭られている所がありました。

そこはご神体の御影山とつながっているようでした。

 

「なんか凄そう」とその時は思いました。

 

そして境内に「皇祖より壱萬年以前大八州國国祖神社」と書いてありました。

ということは、つまり天皇の血筋の神武天皇が日本にやってくる以前に、

この国を支配していた、大国主命の神社なのだぞ、と言うことなのでしょうか。

神武天皇以前、というと、縄文時代ということでしょうか?


出雲大神宮の中には古墳もあります。

知られているよりも、本当はもっと凄い神社なのかもしれません。

 

帰る前に鳥居のあたりで、本殿の方をふりかえって、もう一度手を合わせて祈りました。

大国主命三穂津姫命」に向かって祈り、その次に「国常立尊」に向かって祈りました。

 

 

その時、から何かが始まったような? 何かを感じた気がしました。

胸の奥が浄化されたような?感覚でした。

 

 

家に帰ってから国常立尊について、調べました。

54話で少しふれていますが)

 

この神様は

古事記』では国之常立神くにのとこたちのかみ)、

日本書紀』では国常立尊(くにのとこたちのみこと)と表記されています。

 

日本書紀』本文では「天地開闢(かいびゃく)の際に出現した最初の神」となっています。

 

 

それって、古事記のほうの物語とはずいぶん違うような?


日本書紀』の『天地開闢』についてしらべてみました。

続く