Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第三部033話 五大明王壁画(初夏の仁和寺6)

この日、5月28日は、仁和寺
五大明王大祭が執り行われました。

 

通常非公開の国宝、金堂裏堂の五大明王壁画を
この日1日だけ公開されるということでした。

 

壁画はとても迫力がありましたが、
ただ絵として迫力があるだけでなく、
五大明王としての存在感が
すさまじいものがあります。


五大明王というのは、
不動明王を中心として
中心的役割を担う5名の明王を組み合わせたもの
だそうです。

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仁和寺 五大明王の朱印

見て行った順番として
(壁画の左端から)
大威徳明王(だいいとく みょうおう )、
軍荼利明王(ぐんだり - )
不動明王
降三世明王(ごうざんぜ - )、
金剛夜叉明王(こんごうやしゃ - )

 

私が壁画所に行った時は
どの明王の説明か忘れましたが、
こんな話がありました。

 

人を食らう夜叉、魔人でしたが、
大日如来によって善にめざめ、
それ以後仏法を護る守護神となった

というお話でした。

 

他の参拝者がお帰りになったあとも、
TMさんと渡邉さんと私の三人は絵描きの目として
細部に興味を持ち、
ガイドのお坊さんに質問しました。

 

この明王さんが足で踏んでいる人は
綺麗な姿で「神様」だということだが、
仏が神を踏む、ということなのか?


とか


あの明王さんの右から出ている顔が
半分しかないのは何故か?


とか


こちらの明王さんの名前の
「三世」とは何を表すのか?

など、

 

こと細かく質問し、その都度
ご親切に丁寧に答えていただきました。

 

その時、私は五大明王を見る前に
そこの角っこにおられた「光孝天皇」が
気になって、
ガイドが終わってからお坊さんに
「あれはどなたですか?」と聞きました。

すると「あれは光孝天皇です」
ということでした。

詳しい説明もしていただきました。


「この仁和寺を建てたいと望まれた方です。
それで仁和寺の着工が始まりました。

それは886年のことです。

そして
この仁和寺が建てられたのは888年です。

 

(888年。ここで聴いていた私達三人は感心しました。)

 

その時には発願された光孝天皇
亡くなられていて息子さんの
次の代の宇多天皇が遺志を継いで
建てられました。

仁和の元号をいれて
仁和寺」と名付けられました。

・・・という話でした。

 

国宝の五大明王を含めた金堂の右奥に
光孝天皇」がいらっしゃることは
やはり金堂と仁和寺を見守ってくださっている
ということではないかと思いました。


この後、御室88箇所巡りに向かいました。
つづく