Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第四部15話 本気で幸せを祈る(幸せを祈る3)

翌朝も「人の幸せを祈る」気持ちがそのままキープしていて、朝の読経の時、自分の身近な人や知人のために「何かいいことがこの人に起こりますように」と願うと、そう願うだけで実際になにかが起こった訳でもないのに、とても嬉しくなってうきうきしました。

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通りかかりの花



その時、ふと気づきました。

 

「あれ? 私は今まで人の幸福って祈ったことなかったのかしら?」

 

祈ってきたつもりだったけれども、心の底から
「その人に何かいいことがありますように」と祈る時の

「いいこと」感 と 「幸福を祈る」という言葉は微妙に違うような気がしました。

 

心で祈るのと、頭の観念で祈るのちがい、なのかもしれない、と思いました。

 

「いいことあって、嬉しい」って
その人が心底思われるような良い出来事がありますように、

と、具体的な幸福感までは今まで想像しなかったのかも・・・。

 

そう考えながら

勝道上人の絵にとりかかった時、

 

ふっと、「人の幸せを祈る」ってそういえば

「後七日御修法」の祈願をする時の本尊は「人々と世界の幸福」の仏さまじゃなかったか?
と思い出しました。

 

自分で描いた「後七日御修法」の動画に書いている文章を一部書き写します。
https://youtu.be/gm_aderHt1M

「後七日御修法」は宝生如来がご本尊となります。
宝生如来とは、大日如来を中心とした五智如来のなかの一仏です。

宝生如来はだれにでも分け隔てなく宝の雨を降らせるように、

その願いをかなえてくれる
とされています。
「全ての者」を救わんとして、右手を差し出しています。

鎮護国家の秘法である後七日御修法のご本尊が
誰にでも分け隔てなく宝の雨を降らせる。


天皇だけ、権力者だけ、お金持ちだけ、頭の良い人だけ救われる、というのではない。
すべての民を救うということが、国を守り救うことになる。
平等に救う。
これが空海の本気度を現わしていると思われます。

鎮護国家と世界平和の祈りは
全ての生きとし生けるものを救う。
これが空海の本願ではないかと思います。

 

あの後七日御修法の最後の行列を見ていた時、
忘れていたけど、

宝生如来をご本尊として、世界中の、すべての生きとし生けるものの願いを叶え、救う、
文字通り世界平和の祈りの結願(祈りの最終日)の時に行ったんだった。

 

すべてのものの幸福を祈る7日間だったんだ。

 

そうか、全ての人の幸せ本気で祈るのが空海さんの本願
って、後七日御修法の動画で書いたなぁ

 

それと

勝道上人が二荒山に登頂して、

神仏に全ての民の幸福真剣に3週間籠って祈られたということも、

 

これはつながっているなぁ、と思いました。



そこで

出釈迦寺奥の院・捨身ヶ嶽のところで、
空海さんの思いのような熱いエネルギーを感じたことを
思い出しました。

(リンク参照↓↓)

第四部05話出釈迦寺(捨身の覚悟5) - Smileゆり(柳澤由理)のはてなブログ

 

 

整理してみると

 

幼い空海さんが、
遠くの海までも見えるほど高い山に登り、

「仏門に入り、命をかけても、人々を救いたい!」

と神仏に誓われたこと

 

後七日御修法で宝生如来を本尊として、
全ての人を救うことを本願とされたこと、

勝道上人の動画を描いていて、
勝道上人が本気で山を登り、三週間神仏に向かって
全てのいきとしいけるものが幸福であるように

祈りを捧げた、ということ。

 

これらに共通していることは、本気で
すべての人を救いたまえ、と神仏に祈っている
ということですね。

 

宗教家って凄いなぁって改めて尊敬しました。
気が向いた時だけ、とか、自分の好きなひとだけ、とか
そういう区別はないんやもんなー。

 

続く