自分をゆるしていくと 自分に感動する
トラウマ解放セラピスト 柳澤由理です。
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月に一度 香川県の宇多津まで
マスターカウンセラー講座を受けに行っています。
マスターカウンセラー養成講座 - jinseinantokanaru ページ!
長年セラピーをしてきて、
自分で自分を そうとう振り返ってきましたが
まだ
触らずにおいていた部分(一番暗かった十代の頃のこと)や
幼少時の自分のことなんかも、振りかえってみています。
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今までは だめな自分、というのがあったら
徹底的に 自分をジャッジして、やりこめて
否定しまくって、そのあげくに記憶の倉庫に
しまい込む、ということをしてきました。
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今は、そういう過去の自分に光をあてて
つらかったから、そうしたんやなぁ、という事や
そういう自分の過去の過ちを 許すという事を
チャレンジしています。
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今までは 許さないで生きてきたのです。
「許す」というのは こういうことか
という感じがします。
そして
そういう過去の過ちをありのままに認めて
光をあてていくと、そういう思いをしたから
そういうことを経験したから、
「これではいかん」と思って
人生を修正してきたんやなぁ、という事も
わかるようになってきました。
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なんとなく、ですが、
だめだめな自分も 認める
というか 許容しだしてきているんです。
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過去を受け入れる、
ありのままの、だめだめな私も受け入れると
だめだめな私は
ただのだめだめで終わらないんですね。
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今の自分がその時の気持ちも
その時の痛みもわかって
関係者への影響のことも考慮にいれて、
それでも
人生を生きていく、という意義
というのを感じています。
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今までだと
悪いことをした人は
「おのれ! 成敗してくれる!
そこに直れ! 叩き切ってやるわ!」
みたいな、
正義の味方ぶった、怒りの権化みたいな精神になって
自分で自分をいたぶっていましたよ。
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正義の味方も一歩間違えれば
自分にとっての正義を踏み壊された、と言って
怒っている、
ただの八つ当たりにすぎないですからねー。
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不思議ですが、
なんで「正義」というものが
あるとするならば
「正義」は味方してやらないと
いけないんだ?
正義であれば、正義はそれ自体が力を発揮する。
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セラピストって 色んな人がいる。
「いい人ぶってる」人がいるのだけれど
自分にとっての「こうあるべき」を人に
押し付けているだけの人もいる。
私自身が
そういうの、全然してへん、て
いうつもりはない。
過去において、押し付けってしたことある。
でも
もう過去はいい。
反省はする。あぁ、ここがずれの元だったなぁと自覚しているところもある。
でも
これからは 本当に気をつけていく。
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だって、今までとは違うレベルで
活動していこうと思っているからだ。
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話を戻して
自分で自分を許容していくと
自分で自分を受け入れだすと
自分が自分であることに 感動してくるのだ。
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自分が自分であることに 感動
って 変なことかもしれない。
自分が自分であることを 受け入れる
という文章は 見かける。
でも
自分が自分であること に 感動
っていうのは、
言葉ではうまく伝えられないけれども、
胸の奥とか
腹の底とか
どこか奥からじわじわとくる 響きなのだなー。
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静かな、静けさなんだけど、響いてくる、みたいな
そんな感じなのだ。な。