自分への眼差し(自分の人生をふりかえる)
私は自分へ
どのような眼差しを向けてきたか?
それを最近は追求している。
(めちゃ長い文章です)))))
昔、24才頃
「自分を見直して生き直すべし!」
と思ったのは
私の他人への冷たい視線に気づいて
「なんて冷たいんだ、私って人間は!」
と心を入れ替え、精神世界の探求を
し始めた。
☆
35才頃にスリーインワンに出会った頃、
自分が「自分の感覚」と言うものを
持たないで生きているから
何がしたい、何が食べたい、と言う
ものがまるでなくて、親の言う通りにだけ
して生きていることに気づいて驚いて
きちんと自分の気持ちに
目を向けるようになった。
☆
スリーインワンをやっていた時期は
自分と親ときょうだいとの関係を
凄く見直して過ごしていた。
☆
自愛をやっていた時期は
祖父母と親と私の関係を凄く見直して
すごしてきた。
☆
ここ最近は
自分と自分の関係だ。
自分がどんな風に自分に
抑えてきたか
応援してきたか
蔑んで、見下してきたか
許してきたか、
許さないで切り捨ててきたか
と言う様々な自分との経験を
見直してきている。
☆
大まかに言えば
自分と周り
自分と親
それから
自分と自分との関係
と言うように変化してきている。
☆
セラピストとしては
自分が自分にどんな風に接するか
どんな言葉を心のなかでかけているか?
ありのままの自分を受け入れる、
と口で言うはたやすいが
実は私は長年自分に対する厳しさが
手放せなかった。
「自分を愛する」と口では言うけれど
その愛は「厳しい愛」であり、
叱咤ビンタの愛だったのである。
☆
母の私に対する言い方のような、
である。
☆
その「つぼ」のところを
いま、見直してきている。
☆
今年の夏から秋は
まさに
自分愛の修整にかけている。
☆
何々ができていないでしょう!
とか
そんな事を言うだけで自分はできてるのか!
とか
なにかを言ったり書いたりするごとに
私のなかの強烈な評論家が
私のしたこと、考えたことのあらゆるすべてを端っこから全部ジャッジしていき、すべてにダメ出しをしていく
と言うことがあります。
☆
脳のなかの司令塔であり、
脳のなかの最高裁判官みたいなもんですね。
☆
そこに対して
私は
自分で自分の脳に
「そんな事言うならあんたがやってみー、
あんたはその高い台の見晴らしのええとこで
あぁだ、こうだ、と言うだけではないか。
ほんまやったら、全体のバランスをみて
司令すべしだよ。
やったあとのジャッジだけするなら
やる前に全体を見て言うべきやん。
文句を言うだけしか能がないのか」
と言ったら
ジャッジは、大人しくなってきた。
☆
自分が自分のありのままを見て
ありのままを受け入れる、て
なかなかできなかったりするが
ようやく最近受け入れるように
なってきた。
☆
受け入れてきたら
笑顔の深さが変わってきた。
夜眠る時に、
隣に主人がいるだけで
どれだけそれが嬉しいか
感じられるようになってきた。
喜びの感情が前より
感じるようになってきた。
☆
よっぽど自分で自分のことを
見下げて踏みつけてきたんやなー。
自分差別、自分蔑視をしてきたんやと思う。
今はおいおいに自分をいたわりながら、だな。