Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部13話 ひとを動かすのは(興聖寺1)

高野山に行った時の出来事は私にはとても大きいことだったようで、翌日は伸びていて、昼過ぎてからでないと起きられませんでした。

 

そのまた翌日、私は京都の上京区にある未公開のお寺・臨済宗興聖寺(こうしょうじ)に来ていました。友人の画家渡邉敬介さんの絵の展示があり、そのお手伝いのためです。

宇治市にも興聖寺というお寺がありますが、それは曹洞宗で、同じ名前ですが、別のお寺です。)

f:id:yulilove:20190529111329j:plain

京都市上京区興聖寺(梅の頃)

興聖寺では昨年(2018年)の台風で蔵が壊れてしまいました。蔵には大事な「一切経」がそのまま保存されていて、早く修理しなければいけません。

 

その蔵の修理費を集めるための勧進企画として、渡邉敬介さんが興聖寺東日本大震災復興を描いた100mの大作絵巻を展示していました。

 

f:id:yulilove:20190529111431j:plain

興聖寺の蔵勧進企画 渡邉さんの絵画展と音楽家のコラボ



渡邉さんは2011年に東日本震災が起こった時、1995年の阪神淡路大震災で支援に行った時の記憶がよみがえり、「震災は人ごとじゃない。何かしなければ」と思われたそうです。

半年後「ともかく現状を見てこよう」と福島県いわき市に行き、その時の印象を作品にして大阪で個展を開かれたそうです。

 

それから、渡邉さんは震災から1年半後の2012年9月に、再び導かれるように、仕事の休みを取って、東北に飛んで行かれました。幅広の長さ100mの巻物の和紙を4つに切って、25mの巻紙4本と最小限の画材だけをかかえて行き、東日本震災被災地の復興の絵を描かれました。

 

私は昔、よく外でスケッチをしていました。だから屋外でスケッチをするというのがどれくらい大変なことか、知っています。渡邉さんはそれを100mの巻紙(25mの巻紙4本)にその場でリアルに描きまくられたのですから、驚きです。

 

「これを描きなさい」と神仏が告げたのでしょうね。

 

私はふと

「一枚一枚の絵ではなく、なぜそんな大きな巻紙を持っていかれたのかな?」と思い、お手伝いの合間に、渡邉さんにそのことを尋ねました。

 

渡邉さんは答えました。

「はじめに東北に行った時、『一枚一枚絵を描いている場合じゃない』と思ったからです。

それに今回が巻紙に描くのは初めてではありませんよ。

2010年にドイツに行った時も宿舎に30mの巻紙を先に日本から送って描きました。」

 

「ドイツに、というのは?」

と聞くと、返ってきた答えに驚きました。

 

「2007年にビナ・バウシュさん(世界的舞踊家振付家)が京都賞を受賞した時の舞台を見て、楽屋におしかけ、
『バウシュさん、あなたの出世作の『春の祭典』のリハーサルを描かせてください』と書いたドイツ語の手紙と私の画集を渡して直接申し込みました。

 

そしたら10日ほどしてバウシュさんから
『どうぞ来てください。』とメールがきました。

 

バウシュさんは日本でいうと人間国宝レベルの人です。そういう人の舞台練習に入らせてもらえて描かせてもらえるというのは普通考えてありえないことだと思います。
それを聞いてみんなびっくりしていましたよ。

実現したのは、バウシュが亡くなって一年後の2010年になってからです。
ドイツに飛んで、バウシュの振付していた舞踊団の『春の祭典』の通し稽古の絵を一か月ほどスケッチしました。稽古場にはいつも赤いバラがガラスの一輪挿しに活けてあり、そこがバウシュさんのいつも座られる席でした。」

 

・・・壮大な話でした。

渡邉さんは世界的な器だと思いました。

 

渡邉さんの話は続きました。

「ボランティアのスタッフの協力で10日間のスケッチ旅行ができたのだけれどね、スタッフから『被災地を絵に描いて役に立つのか?』と何度も問われました。直接的な労働もしていない画家が『役に立つのか?』と思い悩みました。」

 

がぁーん。確かにそうだよなぁ。被災地のボランティア作業ではなく、絵を描くという行為を選ぶのは、勇気がいることです・・・。
私は頷きながら聞いていました。

 

「ある仮設住宅では『心のケアお断り』と表札のところに書いて貼ってあるの。善意の心のケアの訪問でも、被災地の人にとっては迷惑なこともある。私自身『こんな時に何を絵に描いているのだ』と悩みました。」

 

私は息をのんで聞いていました。渡邉さんの話は続きました。

 

「それでね、気仙沼市うどん屋でうどんを食べていた時そこにいた人から『どこから来たの』と聞かれてね。『京都から、絵を描きに』と答えました。すると『ご苦労さんやなぁ。それなら明日の朝早くに漁港においで』と言って漁港の『許可カード』を貸してくれました。その人は地元の缶詰工場の社長さんでした。」

 

「うわぁ、許可証を貸して貰えて、よかったですねー。」

 

「はい、そうです。その言葉が本当にありがたかった。『絵を描いていいんや』と思いました。背中を押してもらった感じがしました。」

 

真実、人を動かすのは、心なんだなぁ、と思いました。

相手の心に響く「真の行動」をしている人は

実は「人」を動かしているんじゃなくて

「人の心」を動かしているんだ、と気づきました。

だからこそ、バウシュさんは渡邉さんに「どうぞ来てください」とスケッチを許可し、気仙沼の缶詰工場の社長さんは渡邉さんに漁港の『許可カード』を貸してくれたのでしょう。

 

私は渡邉さんのお話に深い感動を覚えながら、展示のお手伝いをしていました。
展示会にはこういうこともありました。

続く

 

参照
「月刊京都」 2015年6月号(767号)

『わが青春は京都に~思い出の場所をたどる

うまずたゆまず、多くの人に支えられて』

渡邉敬介氏の手記記事

 

 

「人権と部落問題」2018年3月号(909号)

『随想 10.100.1000

   ~芸術なんかくそくらえ』

渡邉敬介氏の手記記事

世界平和第二部12話 南無大師遍照金剛(高野山6)

奥の院のお参りを終えて、喫茶店で休憩することにしました。

 

私はお善哉を頂きました。

温かくてほっこりして美味しかったです。

 

茶店のおばさんが注文の品を持ってくる時に言いました。

「お客さん、今日も寒かったと思いますが、

昨日はもっと寒かったですよー。」

 

こんな寒さの厳しいところで修行するって

物凄いことだなぁと感心しました。

 

お善哉をいただいてから、

主人から預かっている「お坊さんからもらったもの」を

思い出しました。

「そうだ、あの包みの中身は一体何だったのだろう?」

と思い、カバンから取り出してみました。

 

紙の包みに

「五百二十世 法印 (名前は略)」と書いてありました。

 

おそるおそる開いてみると

書作品のような・・・。

端っこを見てみると

「南無」「金剛」という文字が見えます。

えぇ!

「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」

と書いてあるようです。

 

↓この写真は帰ってから広げたようすです。↓

f:id:yulilove:20190519131325j:plain

スマホで調べてみました。

高野山東京別院のウェブサイトに

このような記述がありました。

(引用はじまり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「南無大師遍照金剛」

これは御宝号(ごほうごう)といい、真言宗で唱える一番短い『お経』です。

仏さまの慈悲の光は、すべてのものに及びます。そして、すべてのものに幸せを及ぼそうという智慧(ちえ)の働きは、ダイヤモンド(金剛石)のように堅固で輝きを失いません。これが「遍照金剛」の由来です。

弘法大師さまは、師の恵果(けいか)さまから真言密教の法を受継がれたとき、この「遍照金剛」をお名前の一つとして贈られました。

・・・・・・・・・・・・・・・(引用終わり)・・・

http://www.musubidaishi.jp/message/2007/05/post-4.html

 

弘法大師さんの名前の一つでもあるのか・・・。

これは凄いものをいただいてしまった。

それを私でなくて、主人がいただいたことで

主人とふたりでこの「世界平和の祈り」をしていくという

ことなんだろうなぁ、と思いました。

(記事をここまで書いて、ひとりでに首が大きく頷きました。

 びっくり!)

 

そしてその祈りは

神仏の慈悲の光はすべてに及ぶということ、

すべてのものに幸せを、と考えること

が 大切である ということなんですね。

 

続き

世界平和シリーズ第二部11話 すべては光る虹(高野山5)

燈籠堂の後ろにある弘法大師御廟のところで

おもいがけずお坊さんから

紙の包みを頂いた主人と私は、

燈籠堂の正面に戻ってきました。

 

その時、

読経供養が終わって、たくさんのお坊さんが列をなして

燈籠堂から出て行かれるところでした。

 

お坊さんは皆、左肩にオレンジ色の衣をかけていて、綺麗でした。

 お坊さんが参道を通って行かれるのを二人で見送りました。

その時主人が言いました。

「そういえばさっき『お大師様あての郵便ポスト』というのがあったね。

それにちょっと書くわ。」

 

受け付けに行くと、お大師様(弘法大師御廟)に
直接お送りするお葉書

というのが置いてありました。

 

受付の方が説明してくださいました。

 

「ここで書いてすぐに

そこの、お大師様へのポストに

投函していただいてもいいですし。
また、

お持ち帰りになって、おうちで思いをこめて書かれて、

郵便で送って頂いても構いません。

どちらでも同じ所に届きます。」

ということでした。

 

私は数枚いただいて、一枚は
この「世界平和シリーズの記事を書くに至った、
もろもろのご縁を感謝して書きました。

残りは知人に「良かったら使ってね」と後日お送りしました。

 

燈籠堂からまた奥の院参道を歩きました。

今度は花粉よけにマスクをかけたせいで、
眼鏡が曇ってよく見えないので、主人と手をつないで歩きました。

 

眼鏡のくもりレンズ越しに参道の風景をみると、

全体がぼぉっとかすんで見えます。

それだけではなく、木の枝の間からみえる空が

ぼぉっと光って見えます。

 

f:id:yulilove:20190515230045j:plain

まわりじゅう、白く光ってかすんで見えるなかで
樹の間から見える空が虹色の光輪をまとっているのです。

まるでそこに天使がいるかのようです。

 

頭はまだぼぉっとしていて

主人と手をつなぎながら歩き、

「眼鏡が曇ったおかげで、まわりじゅうが綺麗。

空が虹色・・・」

と言うと、まるでおかしな人です。 

頭がおかしくなったのか、と思われそうです。

 

それで主人に眼鏡をかけてもらい、

その眼鏡に息をふきかけて、わざと曇らせました。

 

すると主人も空が虹の光輪がかかっていて、

そこかしこが綺麗に見える、という現象が起こったようです。

 

しかし、これは危ないので、皆さんはマネしないでください。

 

その時先ほどの大師御廟の通路の天井にあった灯りに

書いてあった「遍照金剛」を思い出しました。

「あまねくすべてのものは、

ダイヤモンドのように

きらきらと輝いている。

神仏の光に満ちている。

遍照金剛っていうのはこういうことではないか」

と思いました。

 

お墓の立ち並ぶところを抜け、

宿坊のある地域にたどり着きました。

 

時間は夕方になっていました。

茶店をみつけて入りました。

続き

世界平和シリーズ第二部10話、タイミングは仏の導き?(高野山4)

燈籠堂の地下から地上に上がってきた時に、

主人が思いもかけないことを言いました。

 

「さっきのお坊さん、ここのお寺の一番偉い人なんやろ」

 

「は?」と私は言って言葉につまりました。

 

(いちばん偉いひと?

 いちばん偉い人がおつきもなしに

 あんな風に一人で拝んでいるやろか?)と思いました。

 

帰ってから、主人がお坊さんから頂いた包みを

もう一度見てみました。

金剛峯寺 五百二十世 法印 云々
(名前は出していいのかわからないので略しておきます)
 と書いてありました。

 

 そして凄いものが包みから出てきました…。

f:id:yulilove:20190519131325j:plain

頂いた「書」作品

 

これはいったいどういうことなんやろ?

と 思って
高野山のウェブサイトを開きました。

高野山金剛峰寺のサイトのお知らせの所に

拝観ご祈祷ができない日があります、という事が

書いてありました。

 

「は? でも今日は奥の院や燈籠院は行けたよ」

と思いました。

 

よく見ると

今週から翌週にかけて色々式典がある、と書いてあり

 

今日は、私が見たいと思っていたけど行けなかった

壇上伽藍や金堂は拝観できないことになっていました。

奥の院と燈籠院は拝観できた訳です。

 

「じゃあ、今日は

『いきなり奥の院に行く』ってことで正解やったんや!」

と驚きました。

 

そして、

来週は「五百二十世の法印」の役になった方の

「法印転衣式」があるので、

奥の院あたりは拝観できないと

高野山金剛峰寺のサイトのお知らせの項目に

書いてありました。

 

(法印転衣式というのは最高位の法印の役の衣にお着換えになる式らしいです)

 

法印っていうのは、

調べてみると

法印は高野山の法会や儀式をつかさどる最高位。
今後1年間、弘法大師空海の名代として山内の
主要行事の導師を勤め、一山を挙げて師表と仰ぐ。

と書いてありました。

 

そしてあのお坊さんが役を引き継いでいる写真の記事が出てきました。

 

お坊さんは、確かにこの写真の右の方でした。

(リンクをはろうとしたけどごめんなさい、
この記事はもう見れないことになっています)

 

「ええええ。あのお坊さんは

『一番上の役になった人』やったんや。」

 

と言ったら

 

主人が

「そう、さっきの、これをくださった方は

『ここのいちばん上の役をさせてもらうことになりました』

って言っていたと思う。」

 

と言うのです。

 

 

この日、高野山に行くのが思ったより遅くなったのも、

駅でお昼ご飯を食べてからバスに乗ったのも、

バスでいきなり奥の院に行ったのも

御廟のところで鼻水が出まくって困ったのも

後ろに下がるしかないなぁって思ったのも

主人が一緒にさがってくれたのも

いろいろなこと、全部タイミングが仕込まれていたのか。

と思うと絶句しました。

 

タイミングが仕組まれていた、ということだけでなく

 

一見、その時には

「自分の思い通りにいかないこと」の連鎖だったことも

驚きでした。

 

思い通りにいかなかった・・・・

「遅れ遅れになっていたタイミング」も

「御廟の真ん前で花粉症の症状が突然出てきたこと」も

「恰好わるー」と思って

「後ろに下がる」しかないと思ったことも

全部、

「主人がお坊さんから包みを受け取るタイミング」
になっていた、と思うと

・・・ことばを失い、改めて驚きました。

 

思い通りでないことが、

こういう出来事につながることもある・・・。

思い通りであることがすべていいとは限らない・・・。

くどいようだけれど、

思い通りでなくてもこういうことにつながることもあるんだ・・・。

 

 

神仏の計らいというのは、人智の計り知れないものがありますね。

 

思い通りでなく「遅れることでいいタイミングだった」というのは、
丹生都比売神社でもそうでした!(下巻参照)

 

「すべて私の思い通りにしたい!」と思うのはエゴなんだ、

と改めて学ばせて頂きました。

続き

世界平和第二部9話、弘法大師御廟にて(高野山3)

高野山奥の院
お大師さんの御廟の真ん前のところで手を合わせました。

 

その時です。

 

そのとたん、

高野山奥の院参道に足を踏み入れてから

ぴたりとおさまっていた花粉症の症状が

いきなり、どどどっと出てきました。

 

涙ぽろぽろ。鼻水ぐじゅぐじゅ。

それだけでなく頭がぼぉっとしてきました。

 

「普通は
御廟の前に行くまでは、涙鼻水で困っていたのが
御廟の前に行った途端に収まる、のが、筋じゃないの?」
と、ちらっと思いましたが、どうにもなりません。

 

今から思うと、これも「浄化」だったのかもしれません。

 

お大師さんの御廟の真ん前で、涙、鼻水だらだらしていると

聖なるところなのに、きたないし、みっともないので

ぼおっとした頭で
「とにかく後ろに下がろう」と思いました。

 

そこは通路になっていて、

通路の向こう側にお坊さんが手を合わせて

お祈りしておられるのがちらっと見えました。

 

私が後ろに下がりだしたら、主人も一緒に後ろにさがってくれました。

 

たまたまですが、

通路の向こうでお坊さんの左に主人が、その左に私。

三人がきちっと綺麗に並びました。

 

 

私は気持ちを落ち着けようと、そのまま手を合わせていました。

頭はぼぉっとするし、何が何やらわかりませんでした。

 

ふと右をちらりと見ると、

お坊さんと主人が御廟の方に向いて手を合わせた姿勢のままなにやら話しています。

 

何やろかー、と思うだけの頭も 働いていません。

私は頭がぼぉっとしています。

 

どうせ聞こえないし、主人にまかせることにしました。

 

するとお坊さんは袂(たもと)から何やら包みを出して主人に渡しました。

主人は頭をさげて受け取っていました。

そしてお坊さんが拝まれるのを聞くような感じになりました。

 

私はよく聞こえなかったのですが、

下を向くと鼻水が出そうで、視線は自然に上になりました。

通路の天井の照明に「大師」「遍照金剛」という文字が見えました。

 

f:id:yulilove:20190515230045j:plain

きらきらした光

それをじぃっと見て思いました。

 

「遍照。すべてのものを照らす。」

「金剛。金剛石はダイヤモンドの事だ。ダイヤモンドのように輝くってことだな」

「っていうことは

 

すべての人や物事は、照らされて

ダイヤモンドのように、きらきらと輝くように

っていうことだな」

 

しばらくしたら

お坊さんの拝まれるのが一区切りついたような感じがしたので、

主人と私は頭を下げて、「ありがとうございました」と

お礼を言ってその場を離れました。

 

 

お坊さんから受け取った包みを主人は私に渡しました。

私はそれを受け取ってカバンにしまいながら、

私は主人に尋ねました。

「さっきのお坊さん、何て言うてはったん?」

 

主人は答えました。

「『一日一人の人に、と決めて、

持ってきています。

ご縁だと思うので、お受け取りください。』

・・・と言っていたような。」

 

それを聞いて私は言いました。

「ふぅん、そうか、

なんや知らんけど、

三人見事にきっちり綺麗に並んだもんやなぁ・・・。

まるでそこに並びなさいと整列させられたかのように…」

 

そこまで話した時、

灯篭堂の地下へ降りる階段が見えたので
下りて見てみました。

「同行二人」と書いてある小さな仏様がいっぱいありました。
仏様には一つ一つお名前が書いてありました。

仏様が同行してくださるので、
ひとは自分一人ではなく

仏様と二人で生きている、っていうことでは、
ないかなぁ

と思いました。

 

灯篭堂の地下から地上に上がってきた時に、

主人は、驚くべきことを言いました。

 

というのは・・・

続き

世界平和第二部8話 奥の院に到着!(高野山2)

バスを降りて、杉林の中を歩き出しました。

その時はっと驚きました!

 

それまで花粉症で喉がイガイガしていたのが急におさまり、

穏やかなクリームでも塗ったかのように

ふんわりと喉の調子が整ってきました。

 

「これだけ杉の木がいっぱい生えてるのに!!

ええええ。ほんまかいな。

自分で体験していながら、信じられない!」

と私は心の中でわめきました。

 

しばらく行くと大きな木のふもとに白い雪がありました!

 

前日は寒かったから、高野山では雪が降ったのですね!

 

確か前夜、和歌山の友人から

「和歌山は冷え込んできました。
明日の高野山、和歌山は
とても寒いと思うのであったかくしてお出かけください」

というメッセージがきていました。

 

ほんまに寒かったんやなぁ。

 

「中の橋」を渡り、

お墓や慰霊碑の立ち並ぶ中の「奥の院参道」を

歩いて行きました。

日本の歴史そのもののようなところでした。

 

燈籠堂のところまでたどりつきました。

燈籠堂ではたくさんのお坊さんによる読経供養が

されていました。

 

何度か高野山に行っていますが、燈籠堂で読経供養が

されているのに行き合わせるのは初めてでした。

今までは、工事中だったり、読経がされていない時間だったりです。

 

厳かな読経供養の声音を聞きながら手を合わせていると、

そこにいるとふと「護摩木」の山がありました。

 

「最近いろいろなお寺行ったり神社行ったりしてるし、

しなくてもいいかぁ」と思ったら

足がぴたっと止まり、動きませんでした。

 

「うぅむ、これは書きなさいって事やなぁ」と思いました。

 

テーブルの上に「家内安全」等色々な四文字熟語の

願い事を書く見本が書いて置いてありました。

 

それをじーっと見ていくと

見たことがない言葉がありました。

なぜか、そこで視線が停止し、身体の動きもぴたりと止まりました。

 

その言葉は「滅罪生善」です。

 

「これは、罪が軽くなり、善に生きるっていうことかなぁ。

これを書けっていうのかなぁ。」と思いました。

すると身体が動きました。(ビックリ)

 

「滅罪生善 世界平和」と書いて、名前と年齢を

書いて受付に出しました。

お代金を払った時に、重いものを感じました。

怒りというか反目というか。

自分の意識していなかった思いがこみあげてきました。
「罪」がこみあげてきたのでしょうか・・・。

 

さすが高野山護摩木を書いて出しただけで

効果が現れるとは!

 

 

「滅罪生善」調べてみました。リンク貼り付け

(これがわかりやすかったです。
・・・なるほど善い身口意で罪が消え軽くなるのですね)
http://www.otera.net/ensyuuin/i/seijyoukai.htm

 

護摩木を出した後、「順路」の通りに進んでみました。

 

いったん燈籠堂の外に出て角っこを曲がると

「おひとり蝋燭一本とお線香一束で100円」

と書いてありました。

 

「ま、1セットで、いいか」

と 思ったらぴたっと手が止まり動きません。

 

「3セット買いなさい」と言われているような感じがしました。

 

「はい、3セットですね、わかりました。」

と心の中で言うと、すっと手が動きました。

(またもや、ビックリ!)

 

3本の蝋燭と3束のお線香に火をつけて手を合わせました。

 

弘法大師さん、高野山ではお大師さんと言いますね、

お大師さんの御廟の真ん前のところで手を合わせました。

 

その時です。

続く

世界平和第二部7話 そうだ、高野山に行こう!(高野山1)

弘法大師空海さんが高野山を開く前に

開かれた立木観音は「もと高野」と

呼ばれているそうです。

 

そうとは知らずに立木観音に行き、

(69話から72話)そのすぐあとに

 

和歌山の友人Mさんから

和歌山紀の国の一の宮の一つである

丹生都比売神社へ行きませんか、と

誘われて、(77話参照)

 

丹生都比売神社にも行ってきました。

そのあと、導かれるように

山城国一揆」の世界に入り込みました。

(86話から96話まで)

 

立木観音から丹生都比売神社ときたら

あとは高野山よね~と

 高野山が気になっていましたら、

 

高野山ケーブルが工事中だということでした。

 

工事が終わり、高野山ケーブルの新車両が

2019年3月1日から開通!と聞いたので

「そうだ! 新ケーブルで高野山、行こう!」

・・・と3月のある日に行ってきました。

 

わたしは7年ぶりの高野山でした。

前回は小林正観さんが2011年に亡くなられ、

その半年後の2012年の春のお彼岸の日に

正観さんファンのみなさんと一緒に

正観さんをしのぶ会が高野山の無量光院という

宿坊でありましたので、行ってきました。

 

こうやってみると、丹生都比売神社にお参りして

小林正観さんの本を紹介することになった

(80話、83話から85話参照)という

こともありましたから

 

今回、丹生都比売神社から高野山というのも

つながっているんですね。

 

 

一緒に行った主人は、高野山初体験でした。

 

その日は、前日から寒の戻りで非常に寒い日でした。

 

 

撮影に時間がかかりその間に
駅前の「金剛峯寺」行のバスは出てしまいました。

 

次のバスまで待つことになったのですが、
お腹も空いていたので駅の隣の食堂で

ごま豆腐うどんのお昼ご飯を食べて

奥の院前」行のバスに乗ることにしました。

 

 

私のはじめのイメージでは

高野山

手前の霊宝館のあるあたりでバスを降りて

だんだん奥に向かって歩いていくもの。」

・・・そう思っていました。

 

「いきなり奥の院に行っちゃっていいのぉ?」

と思いました。

・・・直感に聞いたら「奥の院に行きなさい」

・・・というのです。

 

「そうなんー。そうやったらいいけど。」

・・・と言いながら奥の院行のバスに乗りました。

 

 

バスを降りて、杉林の中を歩き出しました。

その時驚くべきことがありました。

続く