Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和シリーズ第二部6話 冬の星空と 涙(施行4)

施行がほとんど終わりに近づき、
興聖寺の前で全員が下りてくるのを

待っていた時のことです。

 

ふと興聖寺から真上の空を見上げた時

目に見えたのは

 美しい星空・・・でした。

 

「星がきれい」と思わず言いました。

すると、そこにいた皆さんが空を見上げて

感嘆の声をあげました。

 

これは山の動物たちからのお礼かもしれません。

山のお地蔵様からの感謝の気持ちなのかもしれません。

観音様に向かって皆で一つになってお経をあげたことで

観音様に心が届きましたよーということなのかもしれません。

 

宇治はわりと星がきれいに見える所ではありますが、
これほどまできれいに見えたことはありません。

 

そこから興聖寺の琴坂をおりて宇治川に出る寸前の所で

施行のメンバーの一人の女性から呼び止められました。

「あのね、ここは『涙岩』というのよ」と。

 

「え?涙岩? どうして?」と尋ねました。

 

「それはね」
「涙岩」の名前がついた由来を教えてくれました。

 

お寺の修行というのは厳しいものです。

特に寒い冬は大変です。

昔、この興聖寺で修行しているお坊さんが

「もうあかん、やめよう」と修行を諦めて

ここを通り出て行こうとしました。

冬の寒さで、この「岩」は毎年つららがいっぱい出ます。

(今年2019年は暖冬でつららは出ていませんでしたが)

その修行をやめて出て行こうとしたお坊さんは

ここで「岩」のつららを見て

「お母さんの涙」に見えました。

あぁ、お母さんが自分を送り出してくれた、

というのを思い出したのです。

それでお坊さんはここで修行を放棄するのを

やめて、もう一度修行に励むことを決意され、

のちに立派なお坊さんとなられたそうです。

つららがお母さんの涙に見えた、ということで

この岩は「涙岩」と言われているそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこを何度か通っているけれども

そんな話は初めて聞きました。

物凄く心を動かされました。

 

私は感激して そのお話を聞かせてくれた方に

お礼を言いました。

 

施行の一行は、

一番はじめの集合場所の所に

向かいました。

 

 

2時間半かけて、山道をまわって

「施行ー施行―」と声をかけながら

行きました。

 

一行の前の方と後ろの方とで

「施行――!」の声かけの響きを

聞きながら夜の山道を行くのは

とても面白かったです。

「火の用心」みたいな声かけでした。

 

最後に、一番はじめの集合場所に

戻りました。

番号を言っていくと、13人。

無事全員がそろっていました。

 

毎年2月の第一土曜の夜6時から

2時間くらいかけて山の動物たちの
食べるものを施していくそうです。

 

来年も参加できるのなら参加しようと

思いました。

世界平和シリーズ第二部5話、見えない支え 温かな心(施行3)

 

朝日山のてっぺんで、朝日山の観音様と、

うじの わき いらつこさんに手を

合わせたあと、みんなで下山しました。

 

その時、驚くことがありました。

 

朝日山の山頂付近は足元が危なくて

のぼりにくく、おりにくいのですが

 

その下りて行く時、何度か足がズリッと

滑りそうになったのですが、

滑りそうになるたびに、誰かが私の

右腕の肘を支えて持ってくれるのです。

 

「大丈夫か、氣ぃつけるんやで」

 

という感じで。

 

でも実際には誰もいないのです。

 

誰もいないのですが、どなたかがいて

右ひじを支えて持っていてくださるのです。

それで滑らないですんだのです。

 

そのことに、凄く凄く感動し、感謝しながら
「施行」の赤飯のおにぎりを置いていく施しをしつつ下山していきました。

 

お地蔵さんのあるところでは、

施行のメンバーの方が

お地蔵様のよだれかけと帽子を

新しく取り替えていらっしゃいました。

 

年に一度、施行の時にお手製の

手編みの帽子と可愛らしい

よだれかけを用意して、

取り替えられるのだそうです。

 

よだれかけには地域のこどもさんの
お名前が書かれていました。

 

それを見て私は昨年2018年の春に

実家の父に頼まれて、近くのお地蔵様の

地蔵盆のとき用」のよだれかけを

作ったのを思い出しました。

父が西陣織のはぎれを買ってきて
父のデザイン通りに縫いました。

 

それもなかなかご縁でもなければ

させてもらえない事だった、と思います。

 

そういうご縁もあり、今回宇治で

「施行」に参加させて頂いているのでは

ないかと思いました。

 

しばらく行くと、また皆さんと

休憩をしました。

その時はなんと! 甘酒が!

出て参りました。

 

皆さんで手分けして、

動物たちのお供えだけでなく、

甘酒まで持って夜の山道を登ったり

観音様にお経をあげ、お地蔵様の

新しい服装に取り換えられる・・・。

これは

心がないとできないことです。

 

自分の家の幸せのことだけを考える

のではなく、山の動物の事、
地域のこどもさんの安全成長を

祈る気持ち、
ご一緒に登られる皆さんのための

温かい飲み物とお菓子のご用意まで

していただく・・・。

この心の豊かさ。

この行為の優しさ。

みかえりを求めていない、
善良なる人々の善良なる行為は

なんと心をうつことか・・・。

 

これが宇治なんだなぁと思いました。

 

休憩が終わって山道をおりてきたら、
興聖寺の前まで出てきました。

そこで全員が下りてくるのをしばらく

待っていました。

その時のことです。(続く)

世界平和シリーズ第二部4話、 朝日山観音様(施行2)

大吉山を登る遊歩道の入り口に

大きな石碑がありました。

 

そこでまず一人が葉蘭を一枚

お皿代わりに敷きます。

そこに

お雑魚

お揚げさん(薄揚げ)

小さな赤飯の握り飯を

それぞれの担当の者が

置いていきます。

 

私は友人と交代で、
小豆の入った赤飯の握り飯を

2つずつ置いていく係をしました。

 

小さい握り飯は60個分あり、

30か所置いていく、ということ

でした。

 

置く場所は動物が食べやすいように

山道の角っこや

お地蔵さんのある足元などです。

 

しばらく行くと大吉山の展望台まで

きました。

アニメ「響け!ユーフォニアム」でも

とりあげられアニメの聖地と

なっているようです。

(TVアニメ「響け♪ユーフォニアムhttp://tv.anime-eupho.com/
(映画版アニメ http://anime-eupho.com/


展望台から夜景を見て「へえぇ、綺麗やねぇ」と感心しました。

私はもともと夜景にそんな興味がない人間です。

「へぇ、綺麗ね」ですぐに見飽きてしまう・・・。


ところが、今回は違いました。
それはなぜかというと
ここであったかいお茶とお菓子が出たんです。
一年で一番寒い時期の夜の「施行」ですから
暖をとる必要があります。

 

ポットを持って山を登ってくださる方が

いらっしゃったのです。

 

寒いし暗いけど、夜景がきれいで
参加している皆さんで声をかけあい
足元に気をつけあいながら行く、心遣いのあたたかさに、

物凄くほっとしました。

だから夜景の美しさも見飽きませんでした。

 

それだけでなく、この展望台はかなり遠方まで見えるそうです。
興味がある方はこちら

https://www.kyotocity.net/diary/2016/0908-daikichiyama-itami_hanabitaikai/

休憩が終わり、しばらく歩いて
大吉山から朝日山の山頂に行きました。

(朝日山の山頂について書いてあるサイトも
ありました。関連リンクはこちら
https://www.kyotocity.net/diary/2016/0907-asahiyama-osaka_wheel/

 

 

そこには私の好きな

うじの わき いらつこさんの

お墓がある、という事ですが、

それだけでなく、

朝日山観音様がいらっしゃいました!

とても綺麗なのです!

 

施行のリーダー的なおじさんのお話ですと

この観音様は宇治川の中で発見され、

その時は二つに割れていたのだそうです。

割れ目のところをつなぎ合わせて、
朝日山の山頂に祀っているということです。

 

 

宇治川の中から出てきた、というのは

京阪宇治駅のすぐそばの「東屋観音様」と

同じですね!

 

そういえば、
35話に出てくる「おかめさんの碑」も

宇治川の中からみつけられたのでしたね!

 

観音様の前で、みんなで声をあわせて

般若心経をあげました。
心が一つになった感じがしました!

 

うじの わき いらつこさんのお墓で

手短に手を合わせて、山道を降りて

いきました。

その時におどろくことがありました。

続く

世界平和第二部3話 人間だけでなく動物も(施行1)

 

宇治に住むようになって3年が経ち、

少しずつ宇治の町のことがわかってくると

私は宇治の町に心が癒されていくのを感じました。

 

はじめて「宇治ってすごいな」と思ったのは

引越ししてしばらくたった頃です。

最寄り駅の前の信号のない道で、

通行人がいた時に、車が、急がないで

ちゃんと停止して人が歩いていくのを待っていて

くれる、のを目撃した時です。

 

「なんと丁寧な人々が住んでいる町なんだろう!」

と思いました。

 

なんとなくですが、
宇治に住んでいる人々の気立てが優しい

感じがするのです。

 

それが「気のせい」ではない、
「本当に優しい・・・」と感動したことを書きます。

 

私は宇治市在住のお友達のSさんから

「『施行(せぎょう)』というのが今度

あるのですが、行きませんか?」と

誘われました。

 

『施行』というのは、
皆で大吉山と朝日山に行って動物達に施しをする

らしい、という程度しか知りませんでしたが

 

話を聞いた時にわくわくしてきて興味もでてきたので

私は誘ってくれたSさんに即
「はい、行きます!」と答えました。

 

「懐中電灯を持ってきてくださいね」と

いうことでした。

が私は忘れていました。

 

そうしたら施行の日の2,3日前に

通りかかった道でSさんにばったり会い、
その時に「待ち合わせの時間と場所、それから

懐中電灯の話」が出ました。

 

すっかり忘れていたので、その後

すぐにスーパーに行って懐中電灯を買い、
事なきをえました。

 

当日私はひとりで待ち合わせの場所に

向かいました。誘ってくれた友達をはじめ、
『施行』をされる人々が集まりました。

 

『施行』はその大吉山、宇治神社の近くの

地域に代々住んでおられる有志の方々が
守ってこられた風習です。


毎年2月の第1土曜の夜に集まって
「施行―ー施行――!」と声をかけながら
夜の大吉山から朝日山、そこから興聖寺
琴坂へとおりる山道を歩きながら、
山の動物たちに施しをするのです。

 

戦後まもなくの頃、人々が食べていくのも

大変だった時期に、
「冬のいちばん寒さが厳しいこの時期に
人だけでなく、山の動物たちも食べるものが

なくて大変だろう」ということで施しを

したことが最初だったそうです。

 

それをずっと、戦後の頃からこんにちまで

(中断した時期はあったにしても)50年以上

続けてこられました。
それを始めた世代から3代くらい受け継いで
続けておられるそうです。

 

その話を聞いてびっくりしました!

 

というのは、たまたまですが、その日の
昼間に、私は主人の実家に行きました。

 

お母さんから、その地域は「おいしい葡萄」を
育てている農家があるのですが、
高齢化が進み、育てるのが大変だということと

それから、サルが出てきて葡萄を食べてしまう

ので、収穫がだいなしになるから、

葡萄農家の方が葡萄を作らなくなったという

話を聞いたところでした。

 

「えええ? ここはサルが出るんですか?

 ここは住宅地でしょう?」

と驚いているとお母さんは

「山が近いからねー」と言いました。

あぁ、確かに山は近い、そういえば

イノシシも出ると聞いたことがあります。

 

山のなかで食べ物がなくなってくると

動物たちは山のふもと、里に下りてきて

田畑を荒らすと言うことです。

 

「そうか最近は、山に食べ物がないんだー」

と言う会話を、昼間に、お母さんと交わしていて

 

そして夜に宇治の大吉山朝日山に動物に

施しをしていく「施行」に参加する、と

いう・・・なんという偶然の一致。

 

この「世界平和シリーズ」につきものの

 神様のお告げのようなタイミングが

 今回も、でした!

 

さて、施行の説明が終わり、一人ずつ番号を

言っていくと全員で13人いました。

これから施行が始まります。続く

 

世界平和シリーズ第二部2話 『たくさんの神仏様』

立木観音に行き、そのすぐあとに
丹生都比賣(にうつひめ)神社に導かれ

そしたら次は高野山かなー、と思いました。

が、なんとなくまだ行かない気がして
しばらく様子を見ていました。


するとたまたまですが

本を読む流れがやってきて
何冊も読みふけるうちに
梅原猛さんの空海についての
著本に出会いました。

「京都発見 7 空海真言密教」(新潮社)

東寺には弘法大師空海の手に
よる「立体曼陀羅」があるんですね。

東寺には何度か行った事がありますが

「筋肉隆々の凄いマッチョな神様仏様が
いっぱいいてはるなぁー!」




彫刻塑像のバランスの見事さなどに
目を奪われて、曼陀羅としては
全然把握していませんでした。


そうだったのか、あれは立体曼陀羅だったのか
(すいません、全然知りませんでした。)


そう思いながら
ある夜、眠りました。


すると
目の前に仏像のお顔が見えました。

じーと見ていると、
その仏像のお顔は色々な顔に
瞬時に変化していきます。

(昨年、主人と
高天彦神社に行った時の
ことを思い出しました。
その時は
神武側に弾圧された長すね族をまつっている
蜘蛛塚・蜘蛛窟にて鎮魂の祈りを捧げたあとに
空の雲に神様のダンスが現れ
それを呆然と眺めていました。)

→(書籍は上巻第二部6章参照)

次々に立ち代わり入れ替わる仏像のお顔を
眺めていたら

そのうちに、
見えるのが顔だけでなく、
頭部の細部まで見えるようになりました。

頭髮の形や、頭につけてる飾りや
頭の上に沢山の仏の頭がついている
ものまで見えるようになりました。

へぇー凄い・・・
と眺めているとやがて全身が見えて

光背が目映い光の形であるとか
燃える炎のゆらめきであるとか
光背のところに沢山の仏様が
いらっしゃるものであるとか

色々なものが見えて来ました。

へぇー凄い・・・
と見ていると

目の前の仏像はもはや日本の仏像ではなく
中国のものになり、
チベットのものになり、
インドの神々になりました。

最後には

ふと、ありとあらゆる神仏の像を
見せられているのではないか?

と思いました。


あらゆる年代の
あらゆる宗教の垣根を越えて

私達の目の前にいるのだけれど
私達にはなかなか見えないでいる神々

私達の背後にも絶えず
付き添うように
おいでなのだけれど、
私達が感じないで済ませてしまう存在

大自然にも
人の心の奥底にもいらっしゃる
神々、神仏達の存在というのを

見せられているんじゃないか?

こんなに沢山の神仏がいるのに
私達が見失って、がむしゃらに
自己中心的に生きていることを
思いました。

すると沢山の神仏達が
ひとつになりました。

そして画面は変わりました。


泥々の「泥」というか
「えぐみ」「疼き」「腐敗していく」
というものが見えました。

その疼きのなんとも言えない
歪みの光が闇から浮かびました。

見ていると
人のDNAのような螺旋のものがみえ、
その螺旋のなかに巧みに
その疼きの歪んだ青い光が
入り込んで行きました。


それが代々伝えられていくうちに
遺伝子の情報を壊していくのが
見えました。

それがつもり積もって
今日まで来てるのか!


それで何かあったら、
遺伝子のなかに潜んでる
傷が疼くんだな。

それを癒したいのに
癒しきれなくて
かえって傷を深めていく・・・。

心理学で言うトラウマだ。

それを沢山の神仏達が
私に見せてくれているんだ
と思いました。


神々が手出しできないところが
ある、てことなんやな。
そこを私にやってほしい、と
言うことなんだな・・・。


からだの奥に刻まれている
代々の痛み
苦しみに悶え

人間にだけある苦しみかな?


それを見せられて
文章にして、
それを読むことで人の傷が癒されていくのなら
私にとってそれは本望だ。

えげつない、
えぐりとられるような痛み
を見せられて


ニュートラルな位置に保ったままで
見せられる。

どこかで、はまるなよ、と
支えがあるから、
見ていられる。

沢山の神仏達、
国境や宗教、民族を越えて
共通して人を支え導いている存在達は

人の心に寄り添いながら
手を出す出せないのギリギリの所で
サポートしてくださっている。

それでも人は本質的なものより
手を入れたマーヤ(幻影)を求める


本質を生きると
マーヤは自由自在なのに。

私は見させられ、感じさせられ
気付きを受け取り、それを書く。
そこで私は100話を越えて
第二部を書いていくことを
決意しました。


何を見せられるんだろう。
それが何でも見て受け入れて行こう
と思いました。




世界平和シリーズ第二部1話 ミネハハさんの歌声

とある集まりに参加しました。

その時、CMソングの女王と言われる

 ミネハハさんがいらっしゃいました。

https://minehaha.com/

 

集まりの中盤になった頃、主催者の方から

「あなたはスピリチュアルカウンセラーだから
ミネハハさんと話が合うでしょう。
隣に座ってお話しなさい」

と促さされて、お隣に座りました。

 

すると、ミネハハさんは

みなさんと一緒にお話しながら

お食事を召し上がられているだけ

なんですが、

 

「歌っている波動」が伝わってきました。

 

 

実際には歌っておられる訳では

ないのですが、

 

ミネハハさんの魂が もう全身全霊で歌っておられる・・・。

その魂の歌声がものすごく美しく、

隣に座っている私に響いてきて

  心打たれました。

 

 

 

ミネハハさんの存在そのものが 歌そのものなんです。

なにもしていなくても もう歌っておられるのと同じでした。

 

内側からあふれる思いを

 どんどん歌にして

  みなさんに伝えたくて・・・

 

あふれてあふれてくる

 泉のように

 

与えて与えていく

 太陽にように

 

響いて響いていく

 風のように

 

広がり広がっていく

 さくらの花のように

 

そんな感じがしました。

 

その声なき声の、歌声の余りの美しさ、
そのエネルギーの余りの大きさが

素晴らしすぎて、とても隣になんて
座っていられませんでした。

 

 

 

 

 

私がセラピーをする時の、
悩んでいる人の心によりそっていくだけでなく

 

ミネハハさんは

もっと大きな世界、もっとたくさんの人に

もっと元気がでるように、もっと希望がわくように

どんどん活性化するように、世界を変えていく力がある。

そういう大きさを感じました。

 

 

その時私は人々の悩みやマイナスが

消えるように、というだけの視点で

生きてきたなぁって

思いました。

 

 

それをしながら、

同時にもっと大きな世界へ

羽ばたく視点も同時に持とう

 

と思いました。

 

 

 

 こんな言葉が浮かびました。

 

あなたはあなたが思っているより

もっとすばらしいのよ。

 

あなたは輝く存在なのよ。

 

あなたはそのままのあなたを

受け入れなさい。

 

 

あなたが生まれながらに

持っている心の翼を広げなさい。

 

あなたの心を輝かせながら

その毎日の現実を生きなさい。

 

 

・・・・・・・・

ちっぽけな視野だけで

生きてきたなぁ

大きい視野を忘れていたなぁ

 

「世界平和シリーズ」の記事を書きながら
私自身は世界へ視野をむけていなかったなぁ

と思いました。

 

視野は大きい広い視野と

目の前のことをこつこつやる視野の

両方必要だったなぁ、

 忘れていたなぁって思いました。

 

 

ミネハハさんのエネルギーを受けて
私は自分のつちかってきた、

「自分とつながり癒す瞑想」をはじめとする
癒しの方法を人々にお教えして


広く世界の人々に、
「自分で自分を癒していくことで、
自分を輝かせる生き方」ができることを

お伝えしようと思いました。

自分に厳しい人は

自己価値が低くて

自分に厳しい人は

自分だけではなくて

周りの人にも厳しさを

要求してしまう。

 

と言うのは

セラピーをやっていくと

当たり前過ぎるほど

当たり前なことです。

 

が、

自分に厳しくしてる人は

「いや、私は自分に厳しいけど

人には優しいです。」

と言います。

 

その人の言う「人に優しくしてる」

と言う、その基準がもはや厳しい、

ってことが、

わからなくなってる。

 

「これくらい当たり前でしょ」

「これは常識の範囲ですよね」

と思うかもしれない。

 

でも

厳しい人は

「ひとを受け入れる」のが

下手だ。

 

自分や家族がへたってたら

まずは「あんた、疲れてるんやな」

と判っておやり。

 

そして

「あんたも大変やな」

と受け止めておやり。

 

その上で話を聞いておやり。

 

その上で

「あんたは、そうしたいんやけど

そうでけへんのやな、そかそか」

と概要を受け取っておやり。

 

それから

「まぁ、ここいらで、

ゆっくりしていき」

と、リラックスさせておやり。

 

それから

お茶の一杯でもゆっくり

一緒に飲んでおやり。

 

 

私も長年自分に厳しくしてきたから

なかなか自分を許されへんかったわ。

 

そやから、情け容赦ないことを

言ったり、

言わなくても心のなかで

考えたりしてきたわ。

 

角が丸くなるにも年月がかかる。

 

私も55になって、

やっと自分をここまでは

許せるようになった。

 

あなたが自分を

許せへんのも、

そら、無理ないことやなー。

 

今、許せへんでも

そのうち、許せるようになるよ。

 

自分で自分をどついてきたから

人に手を出してるつもりで

突き飛ばしてしまうんやわ。

 

そやから、まず

あなたは自分に優しゅう

しておやり。

 

あなたが自分を許せた分だけ

自分に優しくできる。

 

あなたが自分に優しくできた分だけ

人にも優しくできるよ。

人を受け入れるのも

楽にできるようになるよー。

 

少しずつ

少しずつでいいんよー。