セラピストのつぶやき トラウマとからだの記憶解放 柳澤由理

もうなんでこんな人生なんやと思ったら宇治のゆりさん所まで来なさい。

自分への眼差し(自分の人生をふりかえる)

私は自分へ

どのような眼差しを向けてきたか?

 

それを最近は追求している。

 

(めちゃ長い文章です)))))

昔、24才頃

「自分を見直して生き直すべし!」

と思ったのは

私の他人への冷たい視線に気づいて

「なんて冷たいんだ、私って人間は!」

と心を入れ替え、精神世界の探求を

し始めた。

35才頃にスリーインワンに出会った頃、

自分が「自分の感覚」と言うものを

持たないで生きているから

何がしたい、何が食べたい、と言う

ものがまるでなくて、親の言う通りにだけ

して生きていることに気づいて驚いて

きちんと自分の気持ちに

目を向けるようになった。

スリーインワンをやっていた時期は

自分と親ときょうだいとの関係を

凄く見直して過ごしていた。

自愛をやっていた時期は

祖父母と親と私の関係を凄く見直して

すごしてきた。

ここ最近は

自分と自分の関係だ。

自分がどんな風に自分に

抑えてきたか

応援してきたか

蔑んで、見下してきたか

許してきたか、

許さないで切り捨ててきたか

と言う様々な自分との経験を

見直してきている。

大まかに言えば

自分と周り

自分と親

それから

自分と自分との関係

と言うように変化してきている。

セラピストとしては

自分が自分にどんな風に接するか

どんな言葉を心のなかでかけているか?

ありのままの自分を受け入れる、

と口で言うはたやすいが

実は私は長年自分に対する厳しさが

手放せなかった。

「自分を愛する」と口では言うけれど

その愛は「厳しい愛」であり、

叱咤ビンタの愛だったのである。

母の私に対する言い方のような、

である。

その「つぼ」のところを

いま、見直してきている。

今年の夏から秋は

まさに

自分愛の修整にかけている。

何々ができていないでしょう!

とか

そんな事を言うだけで自分はできてるのか!

とか

なにかを言ったり書いたりするごとに

私のなかの強烈な評論家が

私のしたこと、考えたことのあらゆるすべてを端っこから全部ジャッジしていき、すべてにダメ出しをしていく

と言うことがあります。

脳のなかの司令塔であり、

脳のなかの最高裁判官みたいなもんですね。

そこに対して

私は

自分で自分の脳に

「そんな事言うならあんたがやってみー、

あんたはその高い台の見晴らしのええとこで

あぁだ、こうだ、と言うだけではないか。

ほんまやったら、全体のバランスをみて

司令すべしだよ。

やったあとのジャッジだけするなら

やる前に全体を見て言うべきやん。

文句を言うだけしか能がないのか」

と言ったら

ジャッジは、大人しくなってきた。

自分が自分のありのままを見て

ありのままを受け入れる、て

なかなかできなかったりするが

ようやく最近受け入れるように

なってきた。

受け入れてきたら

笑顔の深さが変わってきた。

夜眠る時に、

隣に主人がいるだけで

どれだけそれが嬉しいか

感じられるようになってきた。

喜びの感情が前より

感じるようになってきた。

よっぽど自分で自分のことを

見下げて踏みつけてきたんやなー。

自分差別、自分蔑視をしてきたんやと思う。

今はおいおいに自分をいたわりながら、だな。