第五部12話お釈迦様の決意(二度目の日泰寺2)
その日は風の強い日、主人と二人で名古屋に行きました。
名古屋から地下鉄に乗り換え、覚王山駅で降りました。
ほぼ丸二年ぶりの覚王山駅周辺。
前よりさらに活気があるように感じました。
参道の緩い坂をあがっていくと正面に「日泰寺」。
他のお寺だと筋肉隆流の金剛力士などの仁王像が左右に立ち並ぶところだが、
日泰寺の場合は、アーナンダとマハーカーシャパです。
アーナンダ(阿難・阿難陀)は、釈迦の十大弟子の一人であり、釈迦の侍者として常に説法を聴いていたことから多聞第一とよばれ、お釈迦さまを最期までみとった方です。
マハーカーシャパ(摩訶迦葉 まかかしょ)は、お釈迦さまがお亡くなりになったあとに教団をまとめた方で、同じく釈迦の十大弟子の一人です。
とてもすっきりとした感じがします。
境内に入り、奥の本堂に釈迦牟尼像があります。
コロナもあって、中に入れなくなっていました。外から見るのみです。
普通のお寺にあるようなごちゃごちゃした飾りがなくスッキリとしています。
本堂の前に、スリランカの国王の像が立っていました。
この方が「日本に送っていいよ」と言ってくださったからお釈迦様の真骨(頭頂骨)が日本にきたのですね。ありがたいです。
境内を東にぬけて、奉安塔のあるところへ行きます。
私達一般人は通天門までしか行けません。
お釈迦さまのお骨があるところなのに、ここを訪れる人はまばらです。
主人と一緒に来ることができたことを思い、お礼申し上げました。
そして「出家するくだり」についてどう描くのかを迷っていると心の中で告げました。
するとなんとなくですが、「どうしても出家せねばならなかったのだ」という感覚のようなものを感じました。
何をさしおいてでも、という感じがしました。
よくお釈迦さまは子どもがうまれたのに出家したのだ、とか、家族と国を捨てて出家したのは、けしからんことだ、と考える人が多いです。
また、お釈迦さんについて書いてある本の中でも、そのことを著者は「自分は割り切れないけど、いたしかたないこと、と思う」と言う風に書いてある本もありました。
それについてどう思うか、を聞いてみたかったのです。
どういう状況であろうと、それが第一に必要だと思ったから出家したという事が伝わってきました。
父親(父王)とか妻(ヤショーダラ妃)に原因があるとか、そういうことはなかったみたいです。
確固たる決意で出家されたようです。
ということは「夜の闇にまぎれて」という消極的な出家方法ではなかったようです。
それがつかめただけでも良かった、と思いました。