Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第四部05話出釈迦寺(捨身の覚悟5)

年末年始の 今回の四国の旅に行くことを決めた時、
正月の期間、レンタカーの店はお休みの処が多かったです。

  
正月でも営業している所は、ホテルから離れていて、 電車で移動しなければいけませんでした。

  
調べたところ、 観音寺駅の近くのトヨタのレンタルリースの店が 駅からすぐだったので、そこで借りることに決めました。

  
観音寺駅へ行くには多度津駅で路線を乗り換える必要が ありました。

乗換の時間が一番すくなくすむ時間配分で行く事にしました。 観音寺駅の路線は便数が少ないようなのです。

  
翌日元旦の朝をホテルで迎えました。

朝食(正月用おせち料理)に、餡いりのお餅が入った 白みそ仕立てのお雑煮を頂いてから、出発しました。
観音寺駅のレンタカーの店で説明を聞いて、車を借りました。

  
そこから出釈迦寺までの道は、とても空いていました。

  
出釈迦寺の近くの駐車場で車を停めました。 その時まだ午前11時でした。

 

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出釈迦寺はのどかなお寺でした。 お参りをして、捨身ヶ嶽禅定へはどうやって行くのか 売店で売り子をしていたおじさんに聞いてみました。

  
そこまで行ける車が土曜日曜には出ているのだけれど コロナの影響で、今はその車は出ない
という話でした。

  
車でこの道を通って駐車場まで行って、そこで車を停めて 急な坂を登っていく。

すると途中「柳の水」という処がある。
そのあたりに「車止め」の鎖がある。 それを越してのぼっていきなさい。
と言われました。

  

出釈迦寺の前の休憩所のベンチで、前日の夕食の 残りのご飯を昼食に食べました。

  

そこから捨身ヶ嶽の登り口横の 駐車場まで車で移動しました。

  
登り口から、曲がりくねった山道を登る登る登る。 えんえんと続く急な坂をひたすら登りました。
結構しんどかったです。

  
登って行くうちに、坂の勾配が急すぎて、 足が前に進まなくなりました。

それで坂を蛇が這うように、ジグザグに 登ることにしました。
これだったら、何とか登れる!

  
途中下りてくる人に尋ねました。

  
「あのー、これはまだまだ続きますか?」

  
「はい、ここだと、まだ続きますねー」 と言われました。
げそっときました。

  

でも 「あ、でも半分は行ってますよ」 と言われたので、がんばることにしました。

  

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坂をのぼっていくと「捨身ヶ嶽」のお堂がありました。 お堂で手を合わせました。

  
ここまであがってくるのも、なかなかしんどかったよなー と思いました。

  
そのしんどさを感じながら手をあわせ、目をつぶると 浮かんだのは

  

両親ときょうだいの顔、

親戚のかたがた、

友達やクライアントの皆さんの

顔 顔顔顔。

  
同時に肚の底から、得体のしれない底力が湧き出してきました。

 

今回、四国に行く、というのは一人二人にしか言いませんでした。

  
言ったらきっと「コロナ渦」や「雪」だとか 色々なことで
「行くのやめときや」 と言われるだろうと思いました。

  

「それでも『絶対に行く』と決めてここまで来た!」 合わせている両手がくっついて、離れませんでした。

  
「絶対に絶対に四国に行くんだ。 絶対に出釈迦寺に行くんだ。」
と思った、その思いは頭の思いではなく、 腹の底で思っていたようです。

  
肚の底から言いようのない熱いエネルギーがわいてきました。

  


もしかして空海さん、子供時代7歳の真魚さんは 両親の思惑、「こう生きてほしい」と思っている道とは違う、 仏教の道を歩み出したいと、本気で考えたのだ・・・ その熱い思いがつたわってきました。

  


「命をかけても! この世界の人々を救いたい、仏の世界をきわめる!」

  
命の祈り。 いのち の いのり。
伝わってきました。 つづく