Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部064話(終戦知らず1)おじいちゃんと小野田さん

ある日、長年の友人Nさんが宇治に来ました。

 

そのNさんは、先月会った時に

「世界平和とシンクロニシティの不思議」の上巻を買ってくれました。

 

その感想を聞いてみました。

 

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すると、Nさんは

「途中でなぜか読む気がしなくなって、読むのがとまっている」というのです。

 

どこまで読んだのか、尋ねてみると、どうやら

「小野田さん」が登場する寸前で読むのが止まったようです。

 

 

「小野田さんが竈山神社に植樹しはったところは読んでいないようですね?」

と言うと

 

Nさんは「は? 小野田さん?」とわからないようでした。

 

そこで私が

「昔、太平洋戦争が終わっても、それを知らないで南の島にこもって戦い続けた人がいて。」というと

 

Nさんは小野田さんの二年前にグアム島から帰ってきた横井庄一さんを思い出しました。

「『恥ずかしながら、帰ってまいりました』っていう・・・」

 

「そうです。その横井庄一さんも72年にグアム島から帰ってきはったね。

小野田さんもフィリピンのルバング島に一人籠ってはって、

その二年後日本に帰ってきはったんや。

小野田さんに

『戦争は終わった、日本は敗戦したから日本に帰りなさい』

って誰が言うても

「そんなん嘘や」と信用しなかったけど、

かつての上官からの命令を聞いて、やっと日本は敗戦し、戦争は終わったんだ、ということを受け入れて日本に帰らはったんや。」

 

 参考までに・・・小野田寛郎 - Wikipedia
 こちらも参考までに・・・横井庄一 - Wikipedia

 

「あー、そういえばそういう人いてはったね。

でもね、うちのおじいちゃんもそうやったんや。」

とNさんは言いました。

 

「え? どういうこと?」と聞き返しました。

 

Nさんは言いました。

「わたしのおじいちゃんも、戦争でどこか南の島で戦っていて、戦争が終わったことも知らないで、まだ戦い続けてはったんや。」

 

Nさんのおじいちゃんも、小野田さん、横井さんみたいに、戦争が終わったことも知らないで戦っていたんや。そういうのは何人もいたのかもしれない・・・。

 

Nさんは言いました。

「お父さんは自分のお父さんのことを、そんな戦争が終わったことも知らずに、戦っていたのは『しょうもないつまらん人生やった』って言うてた。」

 

「しょうもない、つまらん、って・・・」

 

「方言だからどういう意味なんかな。多分ダメって意味やね。

お父さんはおじいちゃんのことをそう言うてた。」

 

「Nさんのお父さんはおじいちゃんのこと、恥ずかしいとかそういう気持ちがあるのかな。」

 

「私はそれを聞いて、『お父さん、おじいちゃんに対してそんな言い方せんでも』って思ってたわ。」

とNさんは言いました。

 

それで私はナグサトベと小野田さんのことを話しました。

 

神武天皇が日本を統一していく「神武東征」の頃、

もともと和歌山のあたりに先住民がいて、

そこにナグサトベという女王がいました。

 

ナグサトベは神武側に支配されました。

それから代々、その子孫は、「ナグサトベの頭部」を神社に祀って、

『神武側に負けたことになっているけど、

負けた訳やないで。負けてないで!』

と言い伝えられてきました。

 

小野田さんはその神社の宮司さんのおうちに生まれた人で、小さい時から「負けた訳ではないで」というのを言い聞かされてきたのです。

 

その「負けた訳やない!」という気持ちがあるからこそ、小野田さんはフィリピンのルバング島で一人、何年も頑張ることができたのです。

 

 

その話を聞いて、Nさんは言いました。

「そうか、私のおじいちゃんも『しょうもない、つまらない人生』ではなく、

戦争に行って頑張り戦い続けた強さがあるってことやねー」

と言いました。

 

 

「そうですねー。それだけじゃなくて小野田さんは、日本に帰って、年いってから和歌山の竈山神社に植樹頼まれた時に『あぁいいですよ』と言って、木を植えはったん。

実は竈山神社は、神武天皇のお兄さんのお墓があるところやから、小野田さんからしたら、先祖の敵ということになるんです。でも快く植樹してくれはったそうです。ですから、これはほんまの意味で『戦いは終わった』ということなんやと思います。」

と言いました。

 

それを聞いてNさんは言いました。

「そういえば、私も家族のなかで、一人抵抗して戦ってきた感じがする。

今のゆりさんの話を聞いて、やっと私の『内なる戦い』を終わらせることができた気がする。

おじいちゃんも一人戦争が終わっても戦っていたように、私も戦っていたんやなぁ。

ほんまに『内なる戦い』が終わり、終戦することができたわ。

ありがとう。」

 

本を読んでいて、小野田さんのことが書いてあるページにいく寸前で読むのが止まっていたのは、もしかして、Nさんのおじいちゃんが、お父さんに言われた「しょうもない人生やな」という言葉に傷ついていて、小野田さんのことを読ませないで、止めていたのかもしれません。

 

Nさんのおじいちゃんのことと、本の中の小野田さんのことと、Nさんの家族間での戦いのこと、すべて「戦いを終わらせること、終戦を受け入れ、平和になること」とつながっていました。

 

本を発行して良かったと思いました。

 

この事は、それだけで終わりではありませんでした。

というのは、

続き。