世界平和第二部 17話 天女の伝説(興聖寺5)
「羽衣伝説」は日本中あちこちにありますが、
静岡県清水市の「三保の松原(みほのまつばら)」が有名です。
(三保の松原 参考サイト
https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=336)
というのも、弓なりの海岸線に松林が生い茂り、
その向こうに富士山が浮かびあがります。
思わず手を合わせたくなるような美しい景色です。
こんな美しい景色を前にすると、
心が清められて穏やかになっていきます。
昔は富士山を天の神々が住まう須弥山に見立てました。
そう見るのもわかりますね!
天女はそこから来て、そこに帰ったと思うのは
ごく自然なことだと思います。
「羽衣伝説」について調べていると
日本中あちこちに「羽衣伝説」があることが
わかります。
京都の北にあたる、丹後地方にも羽衣伝説が
伝えられているそうです。
参考サイトhttp://2style.jp/ritsnoh/readings/kenkyu_hagoromo.html
「丹後国風土記」の中にある羽衣伝説では、
天女はある老夫婦に羽衣を取られてしまいます。
そして老夫婦の子どもとして育てられます。
天女は万病に効くお酒を造って、老夫婦を金儲けさせます。
しかし、十数年たつと、突然家をおいだされます。
行き場を失った天女は悲しみながらあちこちにさまよい、
奈具村にたどり着き、そこに鎮まったそうです。
それが宮津市の奈具神社の祭神である
豊宇賀能賣命(トヨウケビメ)であり、
しかも、
伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)の祭神、
豊受大神と同一だそうです。
(ウィキペディアで
「奈具神社」と「トヨウケビメ」「豊受大神」で調べてみてください)
万病に効くお酒を造り、老夫婦に富の生活をさせた
のに、そこをほうりだされ、天女はさまよう。
奈具村にたどり着いた時、天女は泣いていたのだろうか。
(泣く→なぐ→奈具村)
天女は、奈具村で、悲しみを手放し、
神(豊受大神)になったのだろうか。
頭の中で長年思い込んだネガティブな思考を手放す時、
その頭の中に占められていた量が多ければ多いほど、
手放していく時に頭が真っ白になります。
そこの場所があくんですね。
記憶の断捨離と同じです。
そうするとそこにポジティブな発想をいれることができます。
「こうだといいな」「こうなると世界は良くなる」というような
楽しい未来を想像し、それに向けて行動していくことが
できるようになります。
それってもしかして、「豊かなものを受け取ることができる」
ということなのかもしれない。
それがそのまま名前になったら「豊受大神」ということに
なるのかもしれない・・・と思いました。
もしかして、つらいことがあって散々な目にあっても、
それに固執することなく、手放していけば、
心の豊かさにつながっていくのかもしれない。
物を作り出し生み出していく豊かさと
執着を手放していくことが表裏一体なのかもしれない。
そこまで考えた時、たまたま「古事記」を開くと
豊受大神の誕生について書いてありました。
奥様のイザナミが火の神様を産んだあと
具合が悪くなられました。
病で床にふせっておられましたが、苦しみもがき、
嘔吐し、糞尿をされ、お亡くなりになりました。
その時、嘔吐からも、大便からも、尿からも、死体からも
神様が続々お生まれになったそうです。
(参考サイト:ウィキペディアで「トヨウケビメ」を検索してみてください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%A1)
(それにしても、なんという桁ちがいなお話なんだろう!)
その尿から生まれた和久産巣日神(わくむすび)という神様
は、身体から蚕と五穀がはえてきたそうです。
そして食べ物(ウケ)の神、豊受大神をお生みになったそうです。
豊受大神はイザナミの尿の神・和久産巣日神のお子
だということです。
「古事記」の中にある病床のイザナミの苦しみが
伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の祭神・豊受大神誕生に
つながるというのは、本当に驚きでした。
「尿」というのは、昔は「肥料」として使われました。
人が生きて暮らしていくのを支える
「産業・生成」というのは、ある意味、
糞尿のようなものから生み出されるのかもしれません。
人々の悲しみ苦しみの中から生み出されていくものが
人々の生活を支えている
・・・ということを考えると
苦しみをただ退けるのではなく、苦しみすらも
ありがたいことになるのではないか、と思いました。
続く