Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部24話 導かれた道 (淡路島5)

車はこれ以上進めない位の坂で停まりました。

 

その坂の手前のそこの地域のお宅の前に

車を停めさせてもらい、ご挨拶しました。


すると、そこのお宅の人の話では、

岩上神社に行くのはここの地域の人は歩いていく、

車だとこの道ではなく、もう一本向こうの道を行く、という話でした。

 

あら、それじゃあスマホの指示の方が良かったのかもしれない。

まー、地域の住民の方のお宅の所に車を置かせてもらって

Mさんと愛犬ナビィと一緒に歩いて行きました。

 

歩いて行くと真言梵字を彫った石がありました。

これは丹生都比売神社の境内にあった

光明真言梵字を刻んだ碑と良く似ています。

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確か丹生都比売神社の宮司さんの話では
それが山岳信仰と「神仏習合」の時代の遺産であるというお話でした。

 

ということは、これから行く岩上神社も「神仏習合」の所だったのかもしれない。

 

というか、

「昔は、古い神社は皆、神仏習合だったのかもしれないねー」

と思いました。

 

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岩上神社の石段の左右には、
「岩上大明神」と書かれた細長い旗がいっぱい建っていました。

 

この雰囲気は

石切神社の上の社に良く似ている・・・」と思いました。

 

岩上神社

http://www.awaji-web.com/index.php?sightseeing_iwagami-jinjya

岩上神社の祭壇の横に石の階段があり、そこを登ると、

ご神体の神籠石(ひもろぎいし)の所までいけるようになっていました。

 

濡れ落葉がいっぱいの階段を上がるのも、滑りそうで一苦労しました。

上まで上がると、海がみえて、眺望がとても良かったです。

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丸い卵形の巨石は、トトロを想い起こさせます。

これは古代の人も拝んできた巨石なんだろうなぁと思いました。

手を合わせる時、何も思い浮かばず、ただお礼をのみ申し上げました。

 

石段を下りてから、隣の岩上寺にも行き、手を合わせました。

岩上神社と岩上寺。

やはり神仏習合だったのではないだろうかと思いました。

 

そこから車を停めたところへと戻っていく途中、Mさんが

「ゆりさん、これ、見て!」と言いました。

見てみると道のわきに標識があり、右の矢印があり、その下に

なんと

なんと

「旧柳澤城見張り台」と書いてありました。

 

ええええええー!

旧柳澤城っやてかぁーーー?
だからこの地域が「柳澤」っていう訳なのかー!

 

お城っていうと、戦いがあったって事やねぇ。

その時、ちらりと今朝の「落ち武者」の夢を思い出しました。

(21話参照)

戦に負けて、城を明け渡したり、殺されてしまったり、

そんな柳澤城の方々が落ち武者として出てこられたのかもしれない・・・。

そう思って、心の中で手を合わせました。

 

矢印の方向に少し行くと、スペースのある所に出てきました。

その真ん中に縄で四角く仕切っているところがありました。
そして台があって、何やら文字が彫ってありました。

 

 

「埴安媛命」

倉稲魂命

「天照皇大神

少彦名命

の4つの神様の名前が四面それぞれに彫られた石がありました。

 

これは、神様をお祀りしていた所ということですよねー。
見張り台というのとは違うような?

よくわからないので、一瞬だけですが無心で手を合わせました。

 

調べてみると「見張り台」はこれとは違い、別のもののようです。
「見張り台」の跡地に今は「展望台」が作られているそうです。

見張り台についてのウェブサイト
「柳沢の公式サイト
http://www.awaji-yanagisawa.jp/index.html
「見張り台:展望台」
http://www.awaji-yanagisawa.jp/yanagisawa.html

 

 

その時Mさんが言いました。
「カーナビの言う道を通ってこっちの道を通ってきたから、

これを発見したんやねぇ。

もし、地域の人の言ういわゆる『車で来る道』できたら、

ここは通っていない。

ここに来るために、カーナビはあの山の中の

ややこしい道を指示させたんやないかなぁ。」

 

そうかもしれない、と思いました。

 

その時、間違いに思えても、

長い目で見れば間違いではなかった、という事があります。

 

回り道をして無駄なようでいて、無駄ではないということ、

今までにも何度も経験してきています。

つまり、回り道に見えても導かれた道だということです。

 

地域の住民の方に、お礼を言って、

それから車に乗って帰ることにしました。

続く