Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和シリーズ第二部10話、タイミングは仏の導き?(高野山4)

燈籠堂の地下から地上に上がってきた時に、

主人が思いもかけないことを言いました。

 

「さっきのお坊さん、ここのお寺の一番偉い人なんやろ」

 

「は?」と私は言って言葉につまりました。

 

(いちばん偉いひと?

 いちばん偉い人がおつきもなしに

 あんな風に一人で拝んでいるやろか?)と思いました。

 

帰ってから、主人がお坊さんから頂いた包みを

もう一度見てみました。

金剛峯寺 五百二十世 法印 云々
(名前は出していいのかわからないので略しておきます)
 と書いてありました。

 

 そして凄いものが包みから出てきました…。

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頂いた「書」作品

 

これはいったいどういうことなんやろ?

と 思って
高野山のウェブサイトを開きました。

高野山金剛峰寺のサイトのお知らせの所に

拝観ご祈祷ができない日があります、という事が

書いてありました。

 

「は? でも今日は奥の院や燈籠院は行けたよ」

と思いました。

 

よく見ると

今週から翌週にかけて色々式典がある、と書いてあり

 

今日は、私が見たいと思っていたけど行けなかった

壇上伽藍や金堂は拝観できないことになっていました。

奥の院と燈籠院は拝観できた訳です。

 

「じゃあ、今日は

『いきなり奥の院に行く』ってことで正解やったんや!」

と驚きました。

 

そして、

来週は「五百二十世の法印」の役になった方の

「法印転衣式」があるので、

奥の院あたりは拝観できないと

高野山金剛峰寺のサイトのお知らせの項目に

書いてありました。

 

(法印転衣式というのは最高位の法印の役の衣にお着換えになる式らしいです)

 

法印っていうのは、

調べてみると

法印は高野山の法会や儀式をつかさどる最高位。
今後1年間、弘法大師空海の名代として山内の
主要行事の導師を勤め、一山を挙げて師表と仰ぐ。

と書いてありました。

 

そしてあのお坊さんが役を引き継いでいる写真の記事が出てきました。

 

お坊さんは、確かにこの写真の右の方でした。

(リンクをはろうとしたけどごめんなさい、
この記事はもう見れないことになっています)

 

「ええええ。あのお坊さんは

『一番上の役になった人』やったんや。」

 

と言ったら

 

主人が

「そう、さっきの、これをくださった方は

『ここのいちばん上の役をさせてもらうことになりました』

って言っていたと思う。」

 

と言うのです。

 

 

この日、高野山に行くのが思ったより遅くなったのも、

駅でお昼ご飯を食べてからバスに乗ったのも、

バスでいきなり奥の院に行ったのも

御廟のところで鼻水が出まくって困ったのも

後ろに下がるしかないなぁって思ったのも

主人が一緒にさがってくれたのも

いろいろなこと、全部タイミングが仕込まれていたのか。

と思うと絶句しました。

 

タイミングが仕組まれていた、ということだけでなく

 

一見、その時には

「自分の思い通りにいかないこと」の連鎖だったことも

驚きでした。

 

思い通りにいかなかった・・・・

「遅れ遅れになっていたタイミング」も

「御廟の真ん前で花粉症の症状が突然出てきたこと」も

「恰好わるー」と思って

「後ろに下がる」しかないと思ったことも

全部、

「主人がお坊さんから包みを受け取るタイミング」
になっていた、と思うと

・・・ことばを失い、改めて驚きました。

 

思い通りでないことが、

こういう出来事につながることもある・・・。

思い通りであることがすべていいとは限らない・・・。

くどいようだけれど、

思い通りでなくてもこういうことにつながることもあるんだ・・・。

 

 

神仏の計らいというのは、人智の計り知れないものがありますね。

 

思い通りでなく「遅れることでいいタイミングだった」というのは、
丹生都比売神社でもそうでした!(下巻参照)

 

「すべて私の思い通りにしたい!」と思うのはエゴなんだ、

と改めて学ばせて頂きました。

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