愛されたかったら来なさい 愛されサクセスストーリー

もうなんでこんな人生なんやと思ったら宇治のゆりさん所まで来なさい。

なぜ自分に厳しいのか?

セラピーを長年やってきて、

自分のこころの中に なにがあるか?
自分が自分を どう思うか?
ということが

その人の人生や
その人の世界観を作っていく根本の
ところになっていくんだな、
ということが

分かってきました。

 

自分が自分のことをどういう人間だと思うか?
そして
自分が自分にどうまなざしを向けるか?
ということは

親が自分がどう接したか?

ということが ひな形になっています。

 

親との関係で
親にいつも「ばか」と言われたら
自分で自分に対しても「ばか」と言ってしまいます。

 

反対に

親が自分を甘やかしすぎると、
もっともっと欲しい欲しいと言って
貰いたがるようになるそうです。

 

親から言われたから、というのが、
原因ですが、それだけでもない、
ということが わかりました。

それはこういうことです。

 

先日 私は自分が長年、
自分自身に対して厳しいまなざしや
厳しい、グッと堪えるようなきつい一言を
言ってしまうような癖が 抜けないできたことを
カウンセリングの勉強仲間にシェアしました。

 

その時

「うんうん、ゆりさん、つらかったね。

 厳しく言う以外なかったんやねー。

 でも

 ゆりさんは、なんで
 自分に優しくできなかったんやろか?」
と尋ねられて

 

今までだと
「親のせい」みたいなことを

 

こたえたと思います。

 

でもその時
カウンセリング仲間の方が

「ゆりさんは 自分に厳しいことを言う以外

 なかったんやな」

と言ってくださった言葉に、

 「は!」

と きて。

 

そうだ、その時、私は
優しくしたいと思うにしても

それまでが あまりにつらかったので
自分に厳しくするしか方法がなかったんだ。
だって
自分に優しくなんかしたら、
優しくされたりしたら、

自分が解けてなくなってしまう、
そんな感じがしたんや・・・

ということを 気づきました。

 

あまりに傷ついてきた場合、

それ以上傷を重ねないで、自分を大切に

自分に優しくしようと思っても

「優しくしないで!」
ということになってしまうんだ・・・。

 

自分に痛みを与えることで、
自分は生きてもいいと思えるような
そんな精神構造だったんだなぁ、

 

と しみじみ

 今はそういう精神構造から
 抜け出てきているので、

 痛みがある、と 痛みが嫌でも 痛みを重ねてしまう。

 ということの からくりが ちょっとわかった気がしました。

 

うわべだけ 取り繕っても

心のなかまで 許してない場合、

その許してない感が どこかで出てきます。

 

ひとは、いつか、その自分のなかの

「許してない」感とか

「ここだけは変えないぞ」感と

対峙せねばならない時がきます。

 

他の人にはわからないけど

自分のなかで ごまかしてきたけど

ごまかしきれない部分と

向き合う時、

それは

究極的に「素直になること」なんだと思います。

 

素直に

というのは

ひとのいうことを聞くのではなく

自分が自分に対して素直になる、ということです。

自分が自分を認めるとか

自分が自分を受け入れるとか

自分が自分の想いを感じ取ってやるようなこと

ではないかと思います。

 

人間には 自虐的な ところが あります。

 

それだから、戦争だとか

内戦だとか、おこるのでしょうけれども

 

本当のところ、自分で自分を痛めつけて

何の得があるのでしょうか?

 

誰かがかばってくれる、とか

誰かが優しくしてくれる、とか

そういうこともあるかもしれませんが

 

実際のところ、

痛めつけすぎると、

誰かからのやさしさや思いやりすらも

拒んでしまうほど、自虐が進んでしまうこともあります。

 

自分で自分を大切にしているか、していないか、
の ポイントは 幸福と健康を作り出しているかどうか
本当に満足している、幸福感に満喫しているか、
ということだと思います。

 

優しくされることを拒んだり

ゆっくりとのびのびすることに罪悪感を
感じていた自分を どんどん許していくことが

私の道なんだろうなと 思います。