セラピストのつぶやき トラウマとからだの記憶解放 柳澤由理

もうなんでこんな人生なんやと思ったら宇治のゆりさん所まで来なさい。

何年か低迷してきた原因がわかった

 

私はここ何年か低迷してきました。

その理由が

ごく最近わかったんです。

 

それは

 

流産です。

 

妊娠した時

 

赤ん坊の魂が

やってきた瞬間がわかったし

 

しょっちゅうお腹のなかの

赤ん坊とやり取りしていて

 

赤ん坊の魂が話すことも

よくわかっていた。

 

主人にめっちゃ似た大きな体になる

可能性がある子どもだった。

 

流れる日の昼間まで話していた。

 

生まれてきたら

どんなことがしたい?

 

と聞いてみたら

 

みんなを愛する

その世界を愛で満たすんだ!

 

と答えがかえってきた。

 

素晴らしい答えだった。

 

名前も健太と名乗っていた。

 

でも

健やかに太く生きられないで

8週間で流れてしまった。

 

そのあと数ヵ月して

あれ?

また子どもができたかな?

 

と思った。

 

 

でも

お腹に主人と二人でさわってたら

 

流れてしまった。

それはまだ1、2週間だと思う。

 

それもあって、

 

 

私は自分の体の感覚があるのに

信じられなくなった。

 

体の声があるのがわかるのに

筋肉反射テストも、わかるし

さわらなくてもわかるくらいにまで

なってるのに

 

私は自分に自信がなくなってしまった。

 

流産してしまった時

メルマガにそれを書いたら

デトックスしてから

またチャレンジしたらいいですよ

 

というのがいくつかあって

 

流れた子どもは

私の体内の毒のせいだと

いうのか、

 

・・・・受け取れなかった。

 

 

実際には

なにが原因で流れた

なんてどうでもいいことだ。

 

でも私の罪悪感が引き出された。

 

結果的には

もともと持っていた罪悪感が

そこで思いっきり引き出された

と言うことなんだな。

 

頭ではわかってる。

 

でもグサリときた時の痛みは

私が何をしても

「でもあなたは

子どもを流してしまったじゃないか

それも体内に毒をためていたせいで」

自分で自分を責める声となって

 

私を声なき声として

責めていた。

 

 

こないだ

自分の悩みや

気になることを

思い付くまま書いていくと

 

その方向性が

自責だと気づいた。

 

その自責は

赤ん坊のことだな、と気づいた。

 

もう赤ん坊のことで悩まなくていい、

赤ん坊も私を責めていない。

私のことを誰も責めていない。

 

わかってるのに

責め続けたのは

 

それ以前から

私が私に

自分が生き続けていることに

責めていたこととも関連してる

と、今はわかった。

 

こどもの頃

私なんか何の役にも立たないのに

親の厄介になってるのに

生きてるんだ、と

思って

 

こんな自分はダメだ

 

そう自分に罵り続けてきたこととも

関係している。

 

私は

 

いま、

一人もクライアントが

こない状況を作り出して

 

そして

それでも生きていていい、

 

と言うことを

認めた。

 

自分の価値を認めた。

 

役に立てるのに

「役に立てない自分」を

作り出したのは

それでと自分の値打ちを

自分でつかみとりたかったから。

 

 

役に立てるのに

やたら自分なんか何の役にも

立たない、という風に

無意識に思ってしまうのは

 

その全くのゼロの位置で

 

自分の値打ちを再確認したかったから

なんやなー。

 

流産したことがきっかけで

数年へこんでるのは

 

実はそれ以前の

もともとあった、

自分と言う人間の価値を

みつけてほしかったのかもしれない。

 

自分は役に立たない人間だ

と言う認識から

セラピーの勉強を始めていた。

 

でもそこを見直したかったのかも

しれない。

 

私って 愛すべき人だよー。

私は私が好きです。

 

自分で自分を愛する、て

いうの

やれてなかったのかー。

 

愛する

ていうから

何か特別なことのように

思ってしまったんや。

 

ただそれだけでいい。

 

ほんまの基本の基本

 

役にたてるように

勉強して積み上げてきた

あらゆること、

みんな生かして行こうと思う。

 

自分で自分のことを

アカンとか

冷たい目で見たり

突き放してたり

 

最近よくある、

テレビのタレントを見て

片っ端からあの人はあそこがダメだ

もう老けたねー、とか

ジャッジしたりするの、

 

あれと同じことを自分にやってた。

 

テレビで関心のあるタレントに

イチャモンつけるの、

それと同じことを

自分にもやってた。

 

あの人は何々ができても

もう落ち目だーとか

 

私が私にやってきた。

 

「それでできてるつもり?

子どもが流れたくせに」

と言う冷たい目で

自分を見てきた。

 

それはもうやめるわ。

 

「お腹のなかの子ども一人

生めなかったくせに」

 

この台詞は

そうだ母が祖母に

「あんたは男の子を一人も生んでないやろ」

て言われたーー!

って言ってたのと

繋がってるのかも。

 

その祖母も女の子の孫に

世話になったやないか。

 

祖母が母に言った時もそれが

本心ではなかったやろな。

何かプライドが傷つくことがあったから

そう、母に言ったんやろなー。

 

本心とプライドは違うからね。

 

私も子どもが流れたとか

自分を責めてる気持ちの時の

ほんまの気持ちが昨日わかった。

 

寂しさやった。

悲しくて寂しかった。

 

そのほんまの気持ちを感じたら

胸の奥の手放したかった思いが

手放せた。

 

私はこれが手放したかったんや。

 

赤ん坊のながれたこと、

少なくとも二人流れたこと

 

宿ってくれてありがとう、

くらいに思ったらいいのかもしれん。

 

生まれる、て決めてる子は

なにがなんでも絶対に

生まれてくるはずや。

 

私のお腹に宿った子は

短期滞在だけで満足したんや。

それで良かったんや。

 

だから私は

自分の体の感覚も

自信もっていい。

 

ちょっとの間、

宿ったのも

わかるくらいやから。