Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

怖くて泣いていたのではなく 怒って泣いていた。

先日、友人の配信している動画を見ていました。

動画に合わせて自分の悩み解放に取り組んでみました。

☆彡

今の自分の悩みは?

そうだなぁ、

人と会うところのブロックがあるような?

だなぁ、

と思いました。

 

それでそのブロックの感情は?というと

そうやなぁ、「あかんやん!」とか

「情けないわ」とかそういう感じがしますね~

 

次に過去の出来事?

 

ふむ。何や知らんけど

今思い出したのは、子どもの頃にボイラー室に

閉じ込められたっていうのを思い出した。

 

狭い暗いところに閉じ込められて

めっちゃイヤやったんやなー

それは確か双子の姉と二人で閉じ込められたんや。

 

二人で

ぎゃーーーぎゃーーーわぁーーーわぁーー

泣いたのを覚えてる。

 

何をやって そこに閉じ込められたのか

覚えていないのだけれども

 

こわいーーーって言うのもあるけど

実は怒ってたの。

こわがって泣いてるっていうて

親が笑ってるのが悔しかった。

小さいこどもや、ってバカにして笑われたのが

くやしかった。

非力やで、小さいこどもやで、と馬鹿にして笑われたのが

悔しかった。

ボイラー室から出してもらえる時

☆彡

狂乱寸前やった。

もう死ぬかと思った。

マジであかんと思った。

出してもらった時、

よくぞ、私を閉じ込めたな!と怒りがわいた。

よくぞ、私をあざけり笑ったな!と怒った。

許さんぞ許さん!

とめっちゃ腹がたったけど、いかんせん、子どもだから

言葉や思いがついていかない。身体がついていかない。

☆彡

父に出してもらった時、父がにやにやと笑っていた。

よく父は子どもがかわいくて、よりも

自分より弱いものを小ばかにしたような笑いをしていた。

☆彡

父は自分よりも小さいものや

自分よりも浅はかなものを見てはよく馬鹿にしていた。

一般の家の主はよくやるらしい。

(祖父も同じ言葉を口癖にしていたから 記憶なのかもしれない)

☆彡

それを見て、

いつしか思い込んだ。

私は父に そういう弱いもの、ばかなもの、非力なものとして

そんざいすることを 求められている、と。。。。

要するに ばかものでいなさい と

できないこどもでいなさい と 求められていると

思い込んだ。

☆彡

こどもは「@@@はだめよ」と言われてもわからない。

言われた言葉の「@@@」を受け取り、

一生けんめい「@@@」をやってしまってから

あとから頭で「そうだ、これはだめだと言われたな」と

思う。

そういう「禁じ手」のルールがこどものころには

なかなか受け取れないものなんですよね。

だから

大人はやってはいけない見本を示すよりも

やったらいい見本をこどもに示すべきなんですよね。

☆彡

でもそこが、ま、わからなかったことなんですね。

こどものころ、小さいころに、なになにはだめ、を

いっぱいもらってしまった人は

「だめ」な私、という印象がぬぐえなくて苦労するんですねー。

☆彡

それで私は勘違いしてしまったんだと思う。

☆彡

だから小学生の時に男子にいじめられる時も

微妙に相手から「だめなお前」「つまらないお前」

「くさいお前」というのを求められているという

風に受け取っていたことも覚えている。

☆彡

だから私は生きていけばいくほど

だめな私を求められていると潜在意識的に感じて

頭では、あぁ、どうして私はこんな私なんだ、と思い、

潜在意識では どうしてダメな私が求められていて

相手の求めるようにダメな風になっていくのに

どうして相手の潜在意識は満足させているのに

どうして相手の本体からは ひどいことを言われるのだろう?

不思議でしかたなかった。

☆彡

潜在意識の声、といっても

思慮深い、知恵そのものといってもいいような

深いレベルの潜在意識ではなくて

浅いレベルの、意識のちょっと下くらいの

なんとのー無意識にやってまうのレベルの声を

聞いていたので、

そういう目にあったんですね。

☆彡

昔、人の心の声が聞こえる超能力者の

綺麗な家政婦さんのお話がありました。

その人の心の声っていうのも、

エゴ位のレベルなのか、

もっと深いレベルの声なのか、で

ずいぶん違いますよね。

☆彡

深い知恵を持っている人とそうでない人っていう差も

あるかもしれませんし、

同じ人でも潜在意識の深さのレベルによって

声も色々なんだと思います。

☆彡

私はこどものころ、

浅い潜在意識の声がわかったんやろなーと

思います。

☆彡

その後エゴだらけの自分で生きてましたし、

20代で、このままではいかんな、と気づいて

勉強しだしたのでここまで来れましたが。

☆彡

話はもとにもどして。

こどものころ、ボイラー室にとじこめられて、出してもらった時

めちゃ怒っていたのを思い出したのです。

それまではめちゃこわがって泣いていたのだと思っていました。

☆彡

確かに怖かったのもありますが、

怒ってもいたのです。

そしてこの私をこんな目に合わせて!

見ていろ! その時のことを後悔してやるぞ。

 

と思ったことも 思い出したのです。

 

そうして

私は無意識に 力を発揮しないように生きてきた

無意識に こわがりのまま留まるようにして

生きてきた。

無意識に親が「かわいいかわいい」と思うような

猫っかわいがりするようなこどもでいようと

いう心を持ちながら 生きてきた。

☆彡

それを自覚したとき、

私は自分の能力をため込みながら発揮させないように

して生きてきたんだなぁということがわかりました。

☆彡

それってめっちゃつまらないですね。

☆彡

力を発揮することは お金をつかうことと同じで

もったいない、こと、だったようです。

☆彡

使わないと、枯渇します。

自分の器が大きいにも関わらず、

めちゃ器が小さい人であろうとして生きてきた、

ということも実感しました。

☆彡

それに気づいた時、

昔からなんとなくもっていた

人間全体に関する怒り、

人類全体に対する恨みが消えたのです。

☆彡

それは薄い色でしたが、ずっと私の物事を見る時に

いつでもかかっていました。

まるで憎しみサングラス、恨みサングラスをかけっぱなし

だったかのような、そんな感じです。

それをとった時、

それは脳の中の見ることに関係した部位の脳が

クリアーになったのを感じました。

そこに憎しみと恨みのフィルターが本当にかかって

いたのですね。

とれてこそ、わかるのです。

かかっている間はわからないのです。

☆彡

長い文章になりました。

最後までお読みくださった方はいらっしゃいますでしょうか?

長くなってしまい、申訳ありません。