Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

世界平和第二部20 四年ぶりに行くことに (淡路島1)

 

タイムドメインの由井さんに会い(二部18話)

その後神童寺に行った(前話)その翌日のことです。

 

Mさんからメッセージが届きました。

 

「ゆりさん、突然なんですが。

淡路島にある伊弉諾(いざなぎ)神宮に行きます

ご一緒しませんか? 一応4月30日を予定しています」

 

それを見て「直観」に聞いたら

「行ったらいいよ」という返事がきました。

すぐに「行きます」と返事をしました。

 

Mさんは

「平成最後の日に、日本のはじまりの場所へ

ゆりさんと!」

と喜びのご返答。

 

淡路島は遠いので前夜にMさんのお宅に泊めて貰い、

4月30日朝に、Mさんの運転する車に乗って

淡路島に向かうということが即座に決まりました。

 

行く事が決まったのが4月22日。

Mさんの家に前泊させてもらうのが29日。

その間に「えっ!」と驚くことがありました。

 

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2015年に伊弉諾神宮に行った時の写真

行くのが決まってから二日後の4月24日にSNSに
「四年前の記事」というのが上がってきました。
それがなんと! 伊弉諾神宮に行った時の記事でした。

 

平成27年(2015年)4月24日に主人と二人で淡路島に行き、

当時淡路島に住んでいた友人に案内して貰いました。

 

平成27年(2015年)の4月頃SNSの友達同士の記事には、

伊弉諾神宮に参拝に行く事が流行っていて、
「私も伊弉諾神宮に行ってきました」という記事がでていました。

 

4年前の記事の中に、私、こんな事を書いていました。

(貼り付け)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たまたまですが
「淡路島に来られませんか?ご案内しますよ」

と友人が誘ってくれました。

その時あちこち移動が多かったので、

「気にはなっているけど、まぁ別に行かなくてもいい」

と思っていると、SNSの画面が固まってしまいました。


「あれ?どうしてだろう?
 もしかして『行け』ってことかな?」と思って、
「じゃあ、行かせてもらいます。お願いしますね」と
返事を書いたらSNSの画面が動き出したので、びっくり!
これって、本当に「行け!行きなさい」ってことなのでしょうね。
だから、行ってきました。
・・・・・・・・・・・・(貼り付け終わり)

 

 

なるほどー、忘れていたけれど。そうだったかー。

 

行ったからどうなった、というようなことは全然わからないのですが、

 

「行きなさい」という知らせがあった時に「逆らわずに行くように」するのは、この頃から始まったのではないかと思います。

 

さて前泊りの日になりました。
続く

世界平和019話 神童寺(南山城2)

いきさつは覚えていないのですが、
ある時、主人と聖徳太子の話をしていました。

主人が

「僕の実家の近くに神童寺(じんどうじ)
という聖徳太子が建てたお寺があるよ」と言いました。

 

タイムドメインのスタジオで由井さんに会った(前18話)後で、

主人と二人で神童寺にいくことにしました。

 

車は、南山城地域の山をのぼるようにして進んでいきました。
結構山の上の方にあるんだなぁと思いました。
道の端に深い溝がある狭い道もありました。

 

主人は「こういう所を運転するのは危険だ」

と言いながら慎重にハンドルをさばいていきました。

 

神童寺の近くに公民館があり、その前の駐車場に

車をとめて坂をのぼって行くと神童寺がありました。

 

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仏像拝観の方はこちら、という案内があり、

そこで拝観料を払い、本殿に案内してもらいました。

 

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神童寺はかつて広い敷地があって沢山のお堂が立ち並んでいた時期もありましたが、

何度も兵火に焼失しそのたびに再建したそうです。

 

神童寺の、今の蔵王堂は1400年頃に再建されたものだそうです。

本殿で一番目立つのは本尊の蔵王権現(ざおうごんげん)像、

それと弘法大師像です。

 

役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行した時二人の神童の助力を得てこの像を刻んだと伝えられています。

この青い蔵王権現像は、すさまじい形相をされています。

 

調べてみますと、役行者修験道(しゅげんどう)の開祖であり、伝説の呪術師でもあったようです。

まるで安倍晴明弘法大師を合体させたようなイメージがしました。

 

役行者弘法大師は同じ頃に生きておられたのかしら?と思って調べてみましたら、役行者がなくなられてから70年後に弘法大師が生まれました。

 

役行者葛城山で山岳修行を行い、熊野などの山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いた、とあります。

(詳しくはウィキペディアで「役小角」で検索してみてください)

 

これを見ると、ひょっとして弘法大師役行者の跡を継いでいるんじゃないか?と思いました。

空海が中国に渡る前、日本国内で仏教を学んでいた時に、机の上の学びだけで飽き足らず、吉野の金峯山や四国の石鎚山などの山の中での修行をされたことや、役行者関連のことも勉強されたことだろうなぁということは想像がつきます。

 

こうしてみてみると、日本の仏教は、大昔から何人もの高僧が築き上げてきた教えや学びを面々と受け継いで今に伝わっているんだなぁと思います。

 

宗派がどうとか、教えの内容がどうとか、いうのはあると思いますが、それよりは仏教全体が時代時代に応じて変化しつつ、成長していったんだなぁと思いました。

 

弘法大師が日本にいる間に影響を受けた人の中に、役行者もいるんじゃないだろうかと思いました。宗派はちがうけれども、です。

役行者が山岳修験道を開かなければ、今の日本の仏教界はないのではないのでは?

呪術的な逸話が多くて、伝説の仙人のような扱いになっているのですけれども。役行者はもうすこし評価されてもいいのではないだろうか?と思いました。

 

この神童寺の本堂の脇には、石段をあがっていった高台があります。

その高台のところに、収蔵庫があります。

 

このお寺の受付で「仏像拝観」をお願いして、拝観料を払うと、
案内してもらい、その収蔵庫の中も見せていただけます。

 

そこには役行者像と赤鬼青鬼の像があり、愛染明王像、日光菩薩月光菩薩像、もあります。

 

これらの仏像はみな言葉にできない、迫力があります。

 

この神童寺の仏像は、苦しみながら生きていく民を救うために、

いわゆる今までの釈迦像、観音像では、民は救えないとして、

神仏にとことん祈って「蔵王権現」を体得された役行者の気持ちが

伝わります。心をゆさぶられるものがあります。

 

この時代、生きていた人々の「人生」はさぞつらかったことでしょう。

先達の人々、ご先祖の皆様の心をささえ、命をつなぎとめて伝えていくものとして、仏教の教えはすさまじいものだったことでしょうね。

 

何度も兵火で燃えては再建されたということから、ここが「山城国一揆」の「南山城地方」でもあることを想い起こし、当時の生きて行くだけで精一杯だった農民の方々の、一揆を起こされた緊迫した思い、平和を切望する思いを想い起こしました。

つづく

第二部18話「世界平和スピーカー」(南山城1)

興聖寺お能「羽衣」を見せて頂いてから二週間したある日、

 

主人と共に久しぶりに、南山城にある、「タイムドメイン」のスタジオに行きました。

 

タイムドメイン」は、スピーカーを作っているところです。

私は聴覚障害ですからちょっと音には敏感です。しかしタイムドメインのスピーカーだと聴いていても疲れません。

 

そのスピーカーを研究発案し製作しているのが、タイムドメイン

由井啓之(よしい ひろゆき)さんです。

 

由井さんのスタジオに行き、由井さんの開発されたタイムドメインの色々なスピーカーで、音楽を聴くのが好きです。

 

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由井さんと主人と私

由井さんのタイムドメインスタジオには、15年ほど前から
主人とふたりで、年に一、二回は訪れて交流を深めてきました。

由井さんの昔話もよく聞かせてもらいました。

 

50年前、由井さんは大手のオーディオメーカーにいらっしゃいました。そこで、今もマニアの中で語り継がれる「伝説的なスピーカー」を開発されました。

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そしてフランスから勲章を贈られたそうです。

授賞式のためにヨーロッパに渡られ、本場のオペラハウスにも足を運び、本物のクラシック音楽の音響の素晴らしさ、オペラ歌手の歌唱の素晴らしさを耳で聴くだけでなく肌で感じられました。

(その当時日本人がまだ海外に行かない時期でした)

 

由井さんがヨーロッパに渡られた時の写真は、アルバムに丁寧に残してあり、主人と一緒に由井さんから見せてもらいました。写真から感動が伝わってきました。

 

由井さんは帰国されてから、レコードに吹き込んだものを再生するのはとても難しいということに気づかれました。そして更に研究をされました。

 

おりもおり、仕事で身体を壊して二年間入院されました。病室での生活で心の支えは音楽だったそうです。

 

退院されたら職場に自分の机と席がなくなっていたそうです。

もう職場では、由井さんが追求したい、本物の歌、音楽をそのまま再生したい、という思いで研究を続けることはできませんでした。

 

退職され、研究に研究を重ねて、2000年に最初のタイムドメインのオリジナルのスピーカーを開発されました。

従来の大きな四角い箱形のスピーカーではなく、長い円筒のスピーカーを二本という奇想天外なスタイルでした。

 

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タイムドメインのスピーカーと私

タイムドメインのスピーカーの形には円というモチーフが出てきます。由井さんのお話では、音は広がるのですね。

 

池の水面に石を投げ入れたら、そこからまぁるく同心円がいくつもひろがっていきますよね。だから丸い、円の形が出来てくる、というのです。

 

最近、焼き物の庄田窯とコラボした新作スピーカーができました。スピーカーの本体を焼き物の陶器で作っているのだそうです。
今年(2019年)の2月から発売開始されました。

 

これは音が優しく、耳で聴くというよりは

心に響くオーディオ という感じがします。

それだけでなく、インテリアとしても美しく、

眺めているだけでもとてもいい感じなのです。

 

由井さんは50年無欲に淡々と、理想のスピーカーを目指して研究を重ねてこられました。

 

その姿を見ていると、宇治の大吉山での「施行」を思い出すのです。

(第二部3話

http://yulilove.hatenablog.com/entry/2019/05/13/154705

~6話「施行」参照)

毎年一番寒さの厳しい時に大吉山の動物たちに食べ物を施す「施行」を何世代にもわたって50年続けてこられた方々がいらっしゃいます。

無欲にこつこつ50年続けることが、どれだけ尊いことか、と思うのです。

 

ところで、私が初めてタイムドメインのスピーカーで音楽を聴いたのは15年ほど前です。

 

カルメン」のオペラを聴いて、のけぞりました。

「えええ? どこに歌っている人がいるの?

 どこかに隠れているんじゃないの?」

歌手なんて隠れていない、このスピーカーの力だというのです。

あまりにも臨場感たっぷりなので、びっくりしてしまいました。

 

その後、タイムドメインのスタジオで、youtubeのジャズの音楽をタイムドメインのスピーカーで聴かせていただいたことがあります。それぞれの楽器演奏者がどこにどんな風に立っているか、という立ち位置までも聞いて伝わってくるくらい立体的で臨場感がありました。

 

そういうのを聞いていると、何もよけいなものは要らないんじゃないか、という気がしてきます。

 

音楽を純粋に楽しんだり、熱中して演奏したり聴いたりする、リズムに乗る、サウンドが心と身体に響くに任せる、そうすると「戦いなどというものが実にバカバカしいこと」という感じがしてきます。

 

昨年(2018年)夏に松本市での音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」で感じた、「音楽で世界は平和になる。音楽で世界は変わる」という小澤征爾さんの信念に感動したことを思い出しました。

 

私にとって音楽は平和ととても結び付いています。

タイムドメインの由井さんの50年の活動も広い意味で平和の活動のような気がします。

 

「由井さんが取り組んできはったのは、

ま、言うたら世界平和スピーカーというもんやないかなぁ」

と思います。

 

ほんまにありがたいことやないか、と思いました。
さて、タイムドメインのスタジオから出た後、
主人と私は・・・ 続く

世界平和第二部 17話 天女の伝説(興聖寺5)

「羽衣伝説」は日本中あちこちにありますが、

静岡県清水市の「三保の松原(みほのまつばら)」が有名です。
三保の松原 参考サイト
https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=336

 

お能の「羽衣」も「三保の松原」が舞台となっているそうです。

というのも、弓なりの海岸線に松林が生い茂り、
その向こうに富士山が浮かびあがります。

思わず手を合わせたくなるような美しい景色です。

こんな美しい景色を前にすると、
心が清められて穏やかになっていきます。


昔は富士山を天の神々が住まう須弥山に見立てました。

そう見るのもわかりますね!

天女はそこから来て、そこに帰ったと思うのは

ごく自然なことだと思います。

 

 

「羽衣伝説」について調べていると

日本中あちこちに「羽衣伝説」があることが

わかります。

 

京都の北にあたる、丹後地方にも羽衣伝説が

伝えられているそうです。

 

丹後国風土記」の中に書かれています。

参考サイトhttp://2style.jp/ritsnoh/readings/kenkyu_hagoromo.html

 

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丹後国風土記」の中にある羽衣伝説では、
天女はある老夫婦に羽衣を取られてしまいます。

そして老夫婦の子どもとして育てられます。

天女は万病に効くお酒を造って、老夫婦を金儲けさせます。

しかし、十数年たつと、突然家をおいだされます。

 

行き場を失った天女は悲しみながらあちこちにさまよい、

奈具村にたどり着き、そこに鎮まったそうです。


それが宮津市の奈具神社の祭神である
豊宇賀能賣命(トヨウケビメ)であり、

しかも、

伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)の祭神、
豊受大神と同一だそうです。

ウィキペディア
「奈具神社」と「トヨウケビメ」「豊受大神」で調べてみてください)

 

 

万病に効くお酒を造り、老夫婦に富の生活をさせた

のに、そこをほうりだされ、天女はさまよう。

奈具村にたどり着いた時、天女は泣いていたのだろうか。

(泣く→なぐ→奈具村)

天女は、奈具村で、悲しみを手放し、

神(豊受大神)になったのだろうか。

 

頭の中で長年思い込んだネガティブな思考を手放す時、
その頭の中に占められていた量が多ければ多いほど、
手放していく時に頭が真っ白になります。

 

そこの場所があくんですね。

記憶の断捨離と同じです。

 

そうするとそこにポジティブな発想をいれることができます。

「こうだといいな」「こうなると世界は良くなる」というような

楽しい未来を想像し、それに向けて行動していくことが

できるようになります。

 

それってもしかして、「豊かなものを受け取ることができる」

ということなのかもしれない。

それがそのまま名前になったら「豊受大神」ということに

なるのかもしれない・・・と思いました。

 

もしかして、つらいことがあって散々な目にあっても、

それに固執することなく、手放していけば、
心の豊かさにつながっていくのかもしれない。

 

物を作り出し生み出していく豊かさと

執着を手放していくことが表裏一体なのかもしれない。

 

 

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そこまで考えた時、たまたま「古事記」を開くと

豊受大神の誕生について書いてありました。


国生みの神様イザナギイザナミの夫婦のうちの

奥様のイザナミが火の神様を産んだあと

具合が悪くなられました。

 

病で床にふせっておられましたが、苦しみもがき、

嘔吐し、糞尿をされ、お亡くなりになりました。

その時、嘔吐からも、大便からも、尿からも、死体からも

神様が続々お生まれになったそうです。

(参考サイト:ウィキペディアで「トヨウケビメ」を検索してみてください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%A1

(それにしても、なんという桁ちがいなお話なんだろう!)

 


その尿から生まれた和久産巣日神(わくむすび)という神様

は、身体から蚕と五穀がはえてきたそうです。
そして食べ物(ウケ)の神、豊受大神をお生みになったそうです。

豊受大神イザナミの尿の神・和久産巣日神のお子
だということです。

 

丹後国風土記」の中にある羽衣伝説の天女の苦しみと

古事記」の中にある病床のイザナミの苦しみが
伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の祭神・豊受大神誕生に

つながるというのは、本当に驚きでした。

 

「尿」というのは、昔は「肥料」として使われました。

人が生きて暮らしていくのを支える

「産業・生成」というのは、ある意味、

糞尿のようなものから生み出されるのかもしれません。

 

人々の悲しみ苦しみの中から生み出されていくものが

人々の生活を支えている

 

・・・ということを考えると

苦しみをただ退けるのではなく、苦しみすらも

ありがたいことになるのではないか、と思いました。

 続く

 

世界平和 第二部16話 お能~天女の羽衣(興聖寺4)

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蓮1


4月8日は花祭り(お釈迦様のご生誕された日のお祝い)です。


京都の上京区にある臨済宗興聖寺では4月6日に
花祭りの行事があり、
その中で、一切経を治めた蔵の修理勧進能が
金剛流の山田伊純さんを中心に行われました。
https://lineblog.me/yamadanatsuki/archivs/1062443445.html


お能に関する解説のあと、
山田伊純さんの舞う「金剛流 舞囃子『羽衣』」を
見せていただきました。

 

舞囃子というのは、能のある曲の中の所だけを取り出し、
シテ一人がお面・装束をつけず、紋服・袴のままで、
地謡囃子を従えて舞うものを指すそうです。
 最も面白い部分だけを演じるため、能のダイジェスト版

といってもいいようなものです。

 

本来は「面・装束をつけず、紋服・袴のままで」
なのですが、

今回特別に、山田さんはそのアレンジ版として
あえて羽衣を着た天女役のお面と装束をつけて
本格的なお能を舞ってみせてくださいました。

 

本来ならばお能能舞台で演じて、
観客は少し離れたところから鑑賞するものです。

しかし今回は、お寺の方丈という広間で、お能
取り囲むように観客席が配置され、

観客はすぐ目の前で演じられるのを眺める

ことができるというぜいたくなものでした。

 

手をのばせば届くような距離でありながら、

絶対に手は伸ばせないような、

美しく、緊迫したステージでした。

 

このステージのあと和尚さんがお話しました。

 

「このような素晴らしいお能が見れたのは
興聖寺の開山さまが素晴らしいからです。
そしてその開山さまが大事にしてこれらた
興聖寺の貴重な一切経が収められている蔵の

修理勧進能であるから

ということを考えて、山田伊純さんを
はじめとした金剛流の皆様が勧進能を
演じてくださったのです。」

 

本当にそうだなぁと思いました。

 

天女のお衣装は美しく着飾られて
その姿の舞は、素晴らしかったです。

 

見ているうちに、私はふと、

足元に目が釘付けになりました。

 

天女の舞の歩みは、小さい一歩なのです。

お能の舞は中腰で、摺り足だそうです。)

小さく一歩一歩すり足で進んで舞う、その足元に
目が吸い寄せられました。

 

その時「天女は身体が細く小さい女性である」
という雰囲気がすごくしました。
人間で言えば、

まだ少女のお姫様のような、たよりなさげな
かぼそい感じがすごくしました。

大人の男性が演じているとは到底思えない!
手の動きも「小さく細い腕だなぁ」と感じました。

 

また、舞を見はじめた時に、なぜか「怒り」を感じました。

 

「ぷんぷん、私はなぜ、このような目にあったの!」
という感じです。

 

それからしばらくして、気を取り直した感じがして

「まぁ、いいです。あなたは知らないでしょうけど、
実は私って、こういう者です。」

と名乗っている感じがしました。

 

私は子どもの頃、読んだ

日本むかし話の本の中にある『天の羽衣』のお話では

確か、羽衣を取られた天女は、羽衣をとった男に
「おれと結婚してくれたら羽衣を返してやる」と

言われ、妻になります。
そして最後には天女は天に帰るという筋書きでした。

しかし金剛流の『羽衣』の筋書では、

参考サイト「金剛流 潤星会」の「能:羽衣」のページ「http://junseikai.or.tv/program/program21/

羽衣を取った漁師はちゃんと天女に

羽衣を返してあげるんですねー。

(えらい!)
「その羽衣がないと、天に帰れないの~!」と悲しむ天女を
見て、漁師は哀れに思い、天女に言う。

「羽衣返すから、天の舞を見せてくれ」と言います。

羽衣を着た天女は美しい天の舞をみせて、
宙に舞って、天に帰っていくんですねー。

 

だから、お能を見て、はじめにちょっと

「怒りぷんぷんぷんよ!」と言っているような心を

感じたのはあながち間違っていなかった、かも(笑)

 

お能:羽衣」について調べていると
この物語の舞台になっている場所について

書いてあるサイトがありました。

続く

 

世界平和第二部15話 織部さん(興聖寺3)

京都市上京区にある、観光客には未公開のお寺、

興聖寺に、私は時々お手伝いに行きます。

 

なぜ宇治からわざわざ京都の上京区にある
興聖寺にお手伝いにいくようになったか?

 

「大事なお経の納められた蔵が壊れたので
修繕費がかかるらしい」という話を

友人のMKさんから昨年(2018年)の秋に聞きました。


MKさんのお友達の画家の渡邉敬介さんが

興聖寺の早朝座禅に参加されていて、

その関連でMKさんも興聖寺によく出入りされているそうです。


その興聖寺では、蔵の修理のために、
お寺で何か公演やイベントに使って貰い、
そこに参加された方に蔵の修理代として寄進して頂く、
ということを始めるらしいとMKさんから聞きました。

 

私は自分がそこで何かできるかもしれない、
できたらいいな、と思って、

興聖寺に芸術家の方々が見に来られる、という内見会の時に、
初めて興聖寺に行きました。

 

興聖寺は綺麗なお寺で、観光客未公開なだけあって、綺麗なまま残っていいます。

 

住職の案内で芸術家の皆さんと一緒に、
お堂や座禅の部屋など見せて頂くなかで、
ふとお墓のある処まで来ました。

 

住職が「ここの奥に『古田織部さんのお墓』があります」と言いました。

 

織部」というのは焼き物の「織部焼」の「織部」です。

 

古田織部さんは戦国時代から江戸時代はじめにかけての武将で
千利休と共に「茶の湯」を大成された方です。

 

調べてみると今の「茶道」の原型は千利休よりも
織部さんが築かれた部分の方が多いようです。

 

しかし、政治的になにごとかあって、切腹させられ、
お家を断絶させられました。

織部さんは茶の湯の世界を築き上げた功績があるのに、
千利休に比べると評価されていないようです。

 

話はもどって、

住職にお寺の案内をして頂いている時

お墓の近くで住職が

「ここの奥に『古田織部さんのお墓』があります」

と言いました。

 

その時、みんな

そこに停まって動こうとしなかったのですが
なぜか私は急に興味がわいてきて

「え? どれですか? あの奥ですか? 行ってもいいですか?」

と言って、奥に進みました。

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墓場の奥の真ん中に、
綺麗に織部焼の飾りがほどこされていて
台のようになっているところに、
古田織部さんとそのご家族の方々のお墓が並んでいました。
真ん中の一段高い石が、古田織部さんのお墓だそうです。

 

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織部焼がほどこされている

それを見に行った日は寒い日でした。

しかし、そのお墓の真ん前、
特に古田織部さんのお墓のまん前に立った時、
からだがほのかに温かくなるのを感じました。

その時古田織部さんは亡くなられても
このお寺にいらっしゃり、

蔵が壊れたことや修理にお金がかかる、

ということでどうやってお金を集めようかと
苦心している住職や周りの方々のことも、
よくわかっておられる・・・と感じました。

 

念のため、MKさんに
織部さん一族の方々のお墓があるうちの、
織部さんの墓』の真ん前の処を指し示して
「ここのところがちょっと温かいと思わへん?」と聞いてみました。

 

するとMKさんは「そういや、そうね」と言いました。

この微妙な温かさに気づくか気づかないか、

だけど、そこに古田織部さんのこころを感じました。

 

その後、興聖寺のお庭の落葉掃除に行って、

帰る前に織部さんのお墓のところにご挨拶に行きましたら、

「よぉ、やってくれたな。ありがとう」と

言ってもらえたような気がしました。

 

(追記)

この織部さんとご家族の方々のお墓は
現住職の前代の住職が、綺麗にされたそうです。

はじめはお墓がどこにあるのか、わからなかったのを探して、
一つの所にまとめられ、それから織部焼の飾りをつけたりして、
綺麗に整備されたのだそうです。素晴らしいですね!

(2015年のまだ織部焼の飾りがついていない時期の
お墓の写真が出ているブログをみつけました。)
https://ameblo.jp/2633ganko-jiji/entry-11983810693.
html?fbclid=IwAR0eqczi4-ktUwWqDSnwgzW6ws4s6KV2EsPS
_CvZ88ZXbUUCyWYxnOEdfFQ

 

 

織部さんが切腹させられ、お家も断絶させられたことに

ついて少し調べてみました。

 

すると、

「そのことについては なにごとも言うな。

わしは何もいわずに墓に持っていった。

何も推しはからないでくれ」

と言う声が聞こえてくるような感じなのです。

 

「それよりは興聖寺の蔵のことで尽力してくれてありがとう。

わしはわしのことを思ってくれるよりも、その方が、ありがたい。」

織部さんが言っているような気がしました。

それで織部さんについて調べるのはやめました。

 

私は織部さんの温かさを感じます。

そういうこともあり、
興聖寺に行くとなんともいえない心が落ち着く感じがします。

特に、お寺の庭の落葉のお掃除をすると、
私の心も過去もすべてが一緒にお掃除できていく

ような感じがするのです。

それでお掃除に時々行っています。

 
お掃除に行っているだけでなく、
催しがある時は、裏方のお手伝いをすることもあります。

 

ある時、

お能」の催しがありました。

その時・・・。

続く

世界平和第二部14話 仏教は慈しみ(興聖寺2)

京都の上京区にある未公開のお寺、

興聖寺織部寺)で、2019年3月に行われた

友人の画家、渡邉敬介さんの

東日本震災の復旧の大巻紙の展示を手伝いに行った時、

興聖寺の住職が紙芝居をするというので、

見せていただきました。

 

住職は渡邉さんの100mの絵をすべて写真に撮影し

そのうち12枚を選んでオリジナルの物語を

作り上げられたそうです。

会期中毎日会場で上演されていました。

 

住職の紙芝居は、とても感情がこめられていて

主人公の男の子が「さみしいよぉ」と言う場面では

思わず、う、と心が動かされて涙が流れました。

 

仏教の教えが伝わるお話になっていて

住職の仏教への思いが伝わってきました。

 

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仏教といえば、こんなことがありました。

お手伝いに参加している時
住職と他の方のお話が聞こえてきました。

小乗仏教ではなく、大乗仏教の考えで、云々」

 

渡邉さんが住職に質問しました。

「住職、小乗仏教大乗仏教というのはどう違うのですか?」

 

住職は答えました。

小乗仏教は 個人の解脱を目的とするもので、
大乗仏教衆生全てを苦から救うことで、利他の精神です」

(こちらを参考に https://biz.trans-suite.jp/14743

 

渡邉さんは

「・・・ということは、

小乗仏教は利己的、大乗仏教は利他的ということかな?」

と言いました。

 

その時、隣に座っていた私は、こんなイメージがしました。

それは

山の洞穴にこもって修行しているお坊さんが、

穴から出て、里におりて、村の人々と交わりながら

修行して身につけた教えを人々に伝えている。

そういうイメージです。

 

そのイメージを渡邉さんに伝えました。

 

渡邉さんは、フムフムと話を聞いて

小乗仏教は自分個人の解脱を目的で、

自分がよければ良い・・・の個人主義

利己主義になってしまうことがあるんやね。

一人でこもって修行するのは、

周りのサポートがあってのこと

だから修行できたら、お返ししないといけないよね。

そこで、利他の精神、大乗仏教になるんやね。」

と言いました。

 

私は頷きながら言いました。

「仏教では慈愛とか慈悲の心が大事と言いますね。

その『慈愛』は

自分を愛する、の『自愛』ではなく

『慈愛』です。

その慈愛の『慈』っていうのは、

慈の中に糸が二つあるでしょう?

糸というのはご縁のことなんですよ。

糸は結ぶとか縁とかの字とも関連あります。

糸が二つあるから

自分と他人なんです。

自分と他人の二つの糸を

同時に乗せる大きな心がある、

と書きますでしょう?

慈しみは自分も他人も

大事にする心を持つことなんです。」

 

渡邉さんは、頷きながら聞いてくださいました。

 

それは私が知っていた訳ではなく

その時、たまたま私の後ろからか、上から

教えてくれる存在がいて

それをそのまま話しただけです。

 

その存在が、渡邉さんと私に教えてくれたような

感じがしました。

 

糸が二つ、大きな心の上に乗っている

「慈」の文字。

 

渡邉さんの絵画、住職の紙芝居、興聖寺一切経

いずれも慈しみ助け合う、利他の精神が大切だと

語っているように思いました。

 

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その「一切経」が収められている蔵が去年(2018年)の台風で蔵がこわれてしまいました。蔵には大事な「一切経」がそのまま保存されていて、早く修理しなければいけません。

 

経箱約五百に収められた「興聖寺一切経」は、平安時代に書写された五二九四巻にも及ぶ膨大な経典で、「西遊記」で知られる玄奘三蔵法師による『大唐西域記』の日本最古の写本も含まれているそうです。

殆ど欠本がなく、良好な状態で保存されているそうです。

 

その蔵の修理費を集めるための勧進企画として、

今回(2019年3月)友人の画家渡邉敬介さんが

東日本大震災を描いた100mの絵巻物を

興聖寺で展示していました。

 

またその翌月にも蔵修繕勧進企画として

金剛流お能が上演されました。

その時もお手伝いさせて頂きました。

 

次回は興聖寺さんとのご縁について書きます。

続く